なぜ日本の大メディアは権力を本気で糾弾できないのか
なぜ日本の大メディアは権力を本気で糾弾できないのか
今回の「高市政権・暫定予算」報道を見て、改めて感じるのは、日本社会全体に漂う「空気への服従」の強さである。
本来、暫定予算とは「異常事態」に近い。
しかも今回の問題は、単なる予算編成の遅れではない。
問われるべきは、
• なぜ最初から見通しを誤ったのか
• なぜ強引な政権運営になったのか
• なぜ国会軽視との批判が出る状況になったのか
• なぜ説明責任が極めて曖昧なのか
という「政治姿勢」そのものだ。
ところが日本の大メディアは、そこを本気で掘り下げない。
もちろん、政権批判の記事を書くメディアは存在する。
しかし本質的な問題は、「批判が単発で終わる」ことである。
海外の主要メディアなら、
• 政策決定過程
• 官邸内の力学
• 財界との関係
• 官僚支配との癒着
• メディア側の自己検閲
まで徹底的に追及する。
しかし日本では、多くの場合、
「空気を壊さない範囲の批判」
で止まってしまう。
これは政治だけの問題ではない。
日本社会全体にある、
「波風を立てた者が悪い」
という構造そのものだ。
そして、この構造は地方へ行くほど強くなる。
地方では、
• 銀行
• 地元有力企業
• 地方紙
• 経済団体
• 行政
• 政治家
が極めて近い距離で結びついている。
そのため、本来なら監視役であるべき存在同士が、「地域を守る」という名目で相互批判を避け始める。
結果として、
「問題を指摘する人間の方が浮く」
という異常な空気が生まれる。
しかし、本当に地域を壊すのは、問題提起する人ではない。
不正や劣化を見て見ぬふりすることこそ、地域を静かに衰退させる。
本来、民主主義とは「面倒なもの」である。
権力監視も、異論も、批判も必要だ。
ところが日本では、いつの間にか
「批判=迷惑行為」
のように扱われ始めた。
だが、それは極めて危険な兆候でもある。
なぜなら、権力が最も暴走するのは、「どうせ誰も本気で追及しない」と確信した時だからだ。
そして今、日本社会全体に、
• 事なかれ主義
• 忖度文化
• 空気支配
• 責任回避
が深く浸透している。
それは政治だけではない。
企業でも、地方銀行でも、組織でも同じ構造が起きている。
だからこそ今必要なのは、「誰が強いか」ではなく、
「誰が正しいことを言っているか」
を見極める視点なのだと思う。
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