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ラジョーギという料理

お料理のお話です。タイトル、何のことかさっぱり?という方が多いでしょう。検索してもおそらく出てきません。とはいえ、この料理自体をご存じのかたは多くいらっしゃるかもしれません。ちょっと前置きのお話をします。

母方の祖父祖母。戦前から戦時中にかけて、祖父の「仕事」の関係で現在の北朝鮮に渡っていました。(祖父の仕事は、表向きは「建設会社の社長」
ですが、大学時代、わたしが東京でいろいろ調査した結果、当時の内務省(現在の警察庁あるいは防衛省の一部にも相当する部署)や軍に関係する、
当時の言葉でいう「特務」の仕事をしてたようです。祖父はそれを家族にも誰にも、絶対に一言も述べずに、別の時空に旅立っていました。わたしが
この星に来たのは、その8年後。実際に会うことがかなわかったからこそ、
祖父について色々と調べようと思いたったのかもしれません。

その仕事の性質上、名簿や記録などのようなものは当然一切存在しません。しかし綿密な調査の結果、かなり確実性は高いです。「特務」に関わる仕事も含み、表向きは建設会社の社長として、祖父は戦前から戦時中にかけて、朝鮮・満州・台湾に頻繁に行っていました。当時、祖母へあてたハガキも
残っていますが、それは本当にごくふつうの文面です。

一方、当時20代の祖母は、現在の北朝鮮の日本海側の港町で、当時は非常に
栄えていた清津(せいしん:今の現地読みでチョンジン)に祖父が構えた
家で、あくまでも「建設会社の社長夫人」として女中さん4人に囲まれて、何不自由ない、いわゆる奥様ぐらしをしていました。ただ、それもソ連軍が南下してくるまでの短い期間でした。まして、祖父の「特務」がどういう
ものかについて、それどころか「特務」というもの自体について、祖母は
まったく知る由もありません。

さて時はぐーっと流れ、昭和50年代前半。母子家庭で、祖母と過ごす時間が長かったわたしは、幼稚園に入る前から当時のことを、繰り返し聞かされてきました。そんななか、料理のことや、デパートのこと、そして、祖母が
歌手として関わっていた北朝鮮のラジオ局(今のNHK)のこと。日本統治下の北朝鮮がいかにめざましく発展していたか、などなど、現実・実際の体験として、よく聞いてきました。誤解のないように。これらは事実を客観的に述べているに過ぎません。右とか左とか、思想的な意図は全くないので、
どうぞご理解ください。

前置きがずいぶん長くなりましたね。すみませんw。

さて、表題のラジョーギ。漢字で書くと「辣椒鶏」です。この表記なら見たことがあるという方もいらっしゃるでしょう。ちょうど朝鮮と満州の国境
あたりで、今でいう「朝鮮族」の人たちが作っていたレシピと製法を祖父が覚えて、祖母に教えたんです。当然戦後は引き揚げて帰国したわけですが、ラジョーギは昭和20年代からずーっと作り続けてました。

見出し画像はラジョーギ(ラジョギ:라조기:辣椒鶏)ですが、うちで作るものとは微妙にですが見た目が違います。でも、まあまあこんな感じです。
とにかく、すっごい美味しいんです。現地のものはともかく、うちでは
「唐揚げ」じゃなくて「天ぷら」を使うところが、最大のポイントです。

祖母は2015年に別の時空に旅立ちましたが、わたしの幼少期からよく作ってくれていました。中華料理とも朝鮮料理とも言えないものです。イメージ的に中華の「鶏肉のカシューナッツ炒め」が近いですが、全く似て非なるものです。第一、カシューナッツは使わないんで。

材料は、鶏肉、ピーマン、たけのこ、玉ねぎがメインで、香辛料は鷹の爪。まず鶏肉を「天ぷら」にしカタクリでとろみを付けて、鷹の爪を細く輪切りしたものとともに野菜と炒めます。祖母は、にんにくは入れませんでした。よく「本物はもっと辛かったよ」と言ってましたが、鷹の爪を輪切りにしたマイルドな辛味が良かったです。家で作る際、味は基本に醤油ベースです。

この料理について、わたしの周囲、母の周囲、祖母の周囲の誰一人として
ご存じなかったようで、25年前、ネットで調べても、日本語での情報は
皆無w。そこで朝鮮語で調べてみたところ、唯一、朝鮮語で表記されているサイトに出会いました。そこで漢字表記も知ることになったんです。いまは「コリアン中華」というような呼ばれ方もしてるようですね。

ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます!

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