【ビール業界史・最終回】45年間の赤字と「やってみなはれ」。最後発サントリーの執念と奇跡
第5弾となる今回は、いよいよ最終回。私のビアガーデンでも看板としてお客さまに提供している**「サントリー」**の歴史に迫ります。
実はサントリーのビール事業には、**「参入から45年間、ただの一度も黒字にならなかった(赤字を垂れ流し続けた)」**という、日本のビジネス史に残るとんでもない伝説があります。普通の会社なら絶対に倒産するか撤退しているはずの状況で、彼らはなぜビール造りを諦めなかったのでしょうか?
① ガチガチの市場に挑んだ「最後発の異端児」
サントリーがビール市場に参入したのは1963年(昭和38年)。
それよりはるか前の明治時代に誕生していたキリン・サッポロ・アサヒの3社が、すでに市場をほぼ独占していた「ガチガチの寡占状態」でした。
「今からビールをやっても絶対に失敗する」と周囲は猛反対しましたが、赤玉ポートワインやウイスキーで成功を収めていたサントリー(当時の寿屋)の創業者・鳥井信治郎には、有名な口癖がありました。
「やってみなはれ。やらなわからしまへんで」
利益の出ているウイスキー事業の儲けを注ぎ込んででも、日本人に本当に美味いビールを届けたい。その強烈なチャレンジ精神だけで、分厚い壁に殴り込みをかけたのです。
② 「45年連続赤字」という途方もない茨の道
他社が手を出していなかった「熱処理をしない純生ビール」を発売し、最後発ならではの革新的なアプローチで勝負に出たサントリーでしたが、現実は残酷でした。
先行する3社の販売網(酒屋さんや飲食店のネットワーク)はあまりにも強固で、サントリーのビールはなかなか置いてもらえません。シェアは常に10%前後の最下位を低空飛行し、なんと参入した1963年から、莫大な赤字を毎年出し続けることになります。
「ウイスキーで稼いだ利益を、ビールの赤字が全部食いつぶしている」「もうビールからは撤退するべきだ」
社内外から猛烈なバッシングを浴びても、歴代の経営陣は「やってみなはれ精神」を曲げず、決してビール事業から撤退しようとはしませんでした。
③ 世界最高峰への執念と「プレモル」の誕生
「どうせ造るなら、利益や効率度外視で、世界最高峰のビールを造ってやろうじゃないか」
赤字の泥沼の中で、サントリーの醸造家たちは狂気とも言える情熱を燃やし続けました。そして2003年、採算度外視で最高級の麦芽とホップを使い、手間暇をかけて造り上げた1つのビールを世に送り出します。
それが**「ザ・プレミアム・モルツ」**です。
当初は「高くて売れない」と言われましたが、2005年に世界的な食品コンクール「モンドセレクション」で、日本のビールとして初の最高金賞を受賞。これを機に「プレモル」は爆発的な大ヒットを記録します。
そして2008年。サントリーのビール事業は、ついに**「悲願の初黒字」**を達成しました。
参入から実に45年。それは「やってみなはれ精神」が、常識という名の壁を打ち破った歴史的瞬間でした。
④ ビアガーデンの屋上で感じる、造り手たちの情熱
私は毎日、前橋のうだるような暑さの中、屋上でサントリーのビールをジョッキに注いでいます。
サーバーのタップを倒し、黄金色の液体とクリーミーな泡の完璧なバランスを作るとき、ふとこの「45年間の赤字」の物語を思い出すことがあります。
何十年も笑われ、否定され続けても、「いつか必ず最高の一杯をお客さんに届けるんだ」と諦めなかった不屈の情熱。それが今、目の前のお客さまの「プハーッ!最高!」という笑顔に繋がっていると思うと、注いでいるこちらまで少し胸が熱くなるんです。
全5回にわたってお届けしてきた、日本の4大ビールメーカーの歴史。いかがでしたでしょうか?
ただの飲み物だと思っていたジョッキの中には、サッポロのブレない硬派な美学、キリンの孤高のプライド、アサヒの起死回生の反逆、そしてサントリーの不屈のチャレンジ精神が、たっぷりと溶け込んでいます。
造り手たちの歴史とドラマを知ることで、皆さんの今夜のビールが、いつもより少しだけ特別で、美味しく感じてもらえたなら最高です。
そしてもし、美味しいビールが飲みたくなったら、ぜひ前橋のビアガーデンに遊びに来てくださいね。
最高の歴史と情熱が詰まった冷たい一杯を準備して、屋上でお待ちしています!
それでは皆さん、今日も一日お疲れ様でした。乾杯!
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