実験が危ないのは当然です
中学2年生の理科で、鉄と硫黄を使った化学変化の実験がある。多くの人が一度は経験したはずだ。
実験の概要
微量の鉄粉と硫黄の粉を混ぜ、試験管に入れて加熱する。しばらくすると反応が始まり、黒っぽい物質——硫化鉄——ができる。ここでまず、生徒は磁石を近づける。鉄はもちろん磁石にくっつく。しかし反応後の物質は、磁石にくっつかない。「同じ鉄が入っているはずなのに、性質が変わってしまった」という事実を、生徒は自分の手と目で確認する。これが一段目の発見だ。
では、鉄の性質はどのように変わったのか。ここで実験は二段目に入る。できた硫化鉄に塩酸を加えると、腐った卵のような強い臭気を放つ気体——硫化水素——が発生する。加えた硫黄が、鉄と結びついていた状態から離れ、水素と結びついて気体になって出ていったのだと理解できる。そして試験管の中に残るのは、塩化鉄という物質だ。
スパイラル学習ー何度も同じ物質と出会うー
塩化鉄は、実は中学生にとって初めて出会う物質ではない。小学6年生の理科で、鉄に塩酸を加えると溶けて水素が発生する、という実験を学んでいる。あのとき試験管に残っていた液体こそ、塩化鉄水溶液である。つまりこの中学2年生の実験は、小学校で学んだ知識を土台にして、「鉄はなぜ塩酸に溶けたのか」「あのとき本当は何が起きていたのか」を、より深いレベルで問い直す構造になっている。単に新しい現象を暗記させる実験ではなく、過去に学んだ内容を螺旋階段のように少しずつ高い視点から捉え直させる、スパイラル学習として設計されているのだ。
この教育的な設計の巧妙さは、率直に評価されるべきだと思う。
実験事故の多発
一方で、この実験が生徒の健康被害を伴う事故を毎年のように起こしていることも事実だ。硫化水素は微量でも刺激臭を持ち、濃度によっては頭痛や吐き気、粘膜への刺激を引き起こす。試験管に顔を近づけすぎたり、塩酸の量が多すぎたりすれば、体調不良を訴える生徒が出る。実際にここ数年、複数の自治体で救急搬送を伴う事故が相次いで報告されている。こうした事実を受けて、学校現場や教科書会社が「この実験を実施しない」という方向に傾きつつあるのは、リスク管理の観点からは十分に理解できる判断だ。事故が起きれば、生徒や保護者への説明責任が生じるのは学校側であり、教科書に記載を残す限り出版社にも一定の責任が及ぶ。誰もリスクを負いたくない、という力学が働くのは当然だろう。
しかし、ここで立ち止まって考えたいことがある。化学実験は、そもそも常に危険を伴う営みだということだ。
実験とは常に危険と隣り合わせ
先ほど例に挙げた小学6年生の実験——鉄やマグネシウムに塩酸を加えて水素を発生させる実験——も、決して安全なだけの実験ではない。発生した水素は可燃性の気体であり、換気が不十分な状態で火気が近くにあれば引火し、爆発的に燃焼する危険がある。塩酸そのものも皮膚や粘膜を刺激する劇物だ。小学生が扱う実験にも、条件次第で事故につながる要素は最初から組み込まれている。
視点を広げれば、これは鉄と硫黄の実験や水素発生実験に限った話ではない。アルコールランプや実験用ガスコンロを使う加熱実験には火傷や引火のリスクがあり、酸とアルカリの中和実験には薬品による皮膚障害のリスクがあり、気体発生の実験にはガスそのものの毒性や可燃性のリスクがある。突き詰めれば、学年を問わず、理科室で行われるほぼすべての実験が、何かしらの形で「危険」を内包している。
2つの危険性
つまり実験には、大きく分けて二種類の危険しかない。ひとつは、硫化水素のように「これは危ないものだ」と誰の目にも明らかな危険。もうひとつは、水素の引火や薬品の飛散のように、事故が実際に起きて初めて「ああ、これも危なかったのだ」と気づかされる危険だ。両者の間に本質的な違いがあるわけではない。わかりやすいか、わかりにくいかの違いがあるだけだ。
だとすれば、「わかりやすく危険なもの」から順に理科の授業から取り除いていくことは、本当の意味で子どもたちの学びを守ることになるのだろうか。
五感で感じる危険
硫化水素は、確かに危険な気体だ。だが同時に、下水道や火山地帯、温泉地で自然に発生し、実際に死亡事故も起きている物質でもある。「この臭いがしたら危険だ」という感覚を、管理された安全な環境の中で一度でも体に刻んでおくことは、将来その臭いに現実の場面で遭遇したときに、命を守る判断材料になり得る。人間には本来、臭いや刺激といった五感を通じて危険を察知する機能が備わっている。その機能を実際に働かせる経験を、教育の場から意図的に奪うことは、本当に教育的な配慮と呼べるのだろうか。むしろ、危険を察知する感覚そのものを鈍らせてしまう結果になりはしないか。
代替案なしの削除の課題
そしてもうひとつ、見過ごせない問題がある。今回のように、代替となる実験を示さないまま「危ないから削除する」という対応が前例として積み重なっていくと、その理屈はこの実験だけにとどまらない。先に見た通り、理科室のほぼすべての実験には何らかの危険が潜んでいる。「危ないから削除する」という基準だけを適用していけば、理屈の上ではすべての化学実験がいずれ削除の対象になり得てしまう。それでも、私たちは削除を続けるべきなのだろうか。
あなたはどうでしたか
ここで、読んでいるあなた自身の記憶を思い出してほしい。中学校の理科室で、あなたはどんな実験をしただろうか。鉄と硫黄を混ぜて加熱し、磁石を近づけ、塩酸を垂らして鼻をつく臭いに顔をしかめた、あの実験を覚えているだろうか。
あの実験は、本当になくすべきものだったのだろうか。
いいなと思ったら応援しよう!
いつもより,少しだけ科学について考えて『白衣=科学』のステレオタイプを変えましょう。科学はあなたの身近にありますよ。
本サイトは,愛媛大学教育学部理科教育専攻の大橋淳史が運営者として,科学教育などについての話題を提供します。博士(理学)/准教授/科学教育