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まちの灯 ⎯ 『Bunraku Summer Festival』夏の文楽公演へ ⎯

 母と夏休み文楽へ。今年はサマーレイトショーではなく、サマーフェスティバルで、チャップリンの「街の灯」を原作として「まちの灯」が上演された。

 以前、図版でシェイクスピア文楽を上演した際の人形を見たことがあり、西洋人の人形が拵えられ、床本の詞章は大阪の言葉というおもしろさで、一度見てみたいと思っていたので、チャップリンも原作の映画を初めて観て滑稽さに笑いまろびつつ、楽しみにしていた。
 フライヤーが届いたとき、シェイクスピア劇の前例ばかり思い浮かべていた私は、つい吹き出してしまった。というのも、現れたのはボロの着物姿のいつもの文楽人形で、けれどその顔に、特徴的な眉がひかれ、ちょび髭がつけられた姿がいかにもチャップリンだったのだ。まさか着物のスタイルで日本のものに翻訳して上演するなんて。
 すでに物語が見えてくる人形の容貌を愛おしく思わずにはいられなかった。

可愛らしいフライヤー


 楽しみにしていた劇中では、街の新しいモニュメント披露が大仏の開眼供養に(大きな大仏の手の舞台装置が魅力的で、大仏のお披露目、幕が落ちると主人公の与次郎が大仏様の掌で眠っている姿で登場する。劇場にはお香が焚きしめられる演出)、高級車は駕籠屋の駕籠に、ボクシングの見せ物は相撲小屋に…パロディや翻訳の巧さ、滑稽さに文楽という「人形劇」の可愛らしさが光っていた。
 けれど、そのような作り物の巧さはあるものの、なんとなく詞章が独立して…みている画面の中に入り込めない、あと一押し、もう一押しで劇中に入り込めるのだけれど…というもどかしさがあって、休憩のとき、隣に座っている母に、

「面白いけど、やっぱり古典の良さが光ると思えへん?」

 と尋ねてみると、

「うーん、言葉に新しい感じのところがあるからかな?」

 と、私たちの中では古典ものに軍配が上がっていた。
 それは、とても良い芯材でできた新しい机と、長年使い古され、人々の手に触れ、時代を経て色々なものが染み込み、黒光りする机との違いのようなもので、その机のある場の密度や、重厚感が変わってくるようなものだった。
 古典の名作たちがかつては新作だった、ということに驚くのだが、私たちはその名作ができた当初とはまた違った面白さをも観てしまっているのだと思う。

 一代になる作品ではない古典芸能の持つ面白み、濃密さ、今新しく作り出すことのあたわぬ深みや、その深みの醸し出す華やかさに、やはり私は心ときめく。

 ところが、後半。
 六段目の「法善寺相撲の段」から大詰めまでは一息に駆け抜けるのだが、先ほどまでは全員黒子だった人形遣いが、お顔を出され、義太夫は豊竹若太夫さんに変わる。
 と、一息に詞章と舞台上の人形とがひとつになり、映画で印象的だった音楽のフレーズがお三味線で小気味よく義太夫のあいだを彩り、私たちは先ほどとは打って変わって、突然劇中に吸い込まれてしまった。

 ふつうなら、新しい人の方が新作の完成に上手に呼応しそうなものを、古老の技芸の凄さを「新しもの」に実感させられたのだ。

 ことに義太夫は昔から、それが美しいものかどうかとか、聞く鑑賞に耐えるかどうかなど、文壇の文豪らの間でいろいろ言われていたようだが、それはきっと、上田正樹とか木村充揮といった大阪のしゃがれたブルースを、キレイかキレイでないか判じようとするようなナンセンスなこと。大坂の情を歌い上げる義太夫さんの抑揚やリズム、しぼり出された女声の切なさには確かにどぎつさはあるのだが、文楽好きの私でさえ「こんなに面白いものだったかしら…」と発見づくし。

 古典ものにおいては、時代を経るごと、個々の人形遣いや義太夫さんのそれぞれの表現さえもが一つの「型」となってゆくことがあると思う。
 それには良い面もあれば、困ることもあるとは思うが、代々、幾重にもなる重なりの中で、もう型のようになってしまった表現の妙が、いつの時代にも、若い技芸員の芸の若さをも補いながら、人を惹きつけてきたのではないかと思う。それは実は個性的なものではなく、その地に息づく呼吸感のようなもの。

 盗人の罪を着せられ牢屋に入れられた主人公の与次郎が刑期を終え、大川沿いの天神橋をトボトボと渡ってくるラストシーン。ときは文明開化で、かつて大仏の開眼があった天下茶屋には、ビルヂングが立ったとの噂。
 道ゆく人はスーツにハット、ステッキを片手に「エゲリスから輸入した布」なんかで商いをしている。(その洋服姿の人形の動きや仕草がとても良かったので、古い形だけでなく、一つの「人形劇」としてさまざまな演目が上演されてほしい…と密かに思う。)

 細長い舞台の、下手には、大川を背に、天神橋とボロ裂姿の与次郎。上手には、芍薬や菜の花など明るい春の花が並ぶ店先、与次郎から手渡されたお金で目が見えるようになり、せっせと働くお花の姿。紫の縞の着物に白い笛いるのエプロン姿、赤いリボンで髪を結っている。
 可愛らしく彩られた春のひと場面、感動の再会を果たした二人に劇場は割れんばかりの拍手喝采だった。

 大坂のまちで庶民に愛されてきた文楽の、西洋のものをとり入れられる軽やかさや、熟練の芸の魅力など新発見に満ちていて、チャップリン文楽にはもちろんだが、私は古典への想いも込めて拍手を贈った。
 結局のところ、私は古典が好き、という以上に、古典には”かなわない”のだと思う。



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