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『あの日、私は帰らなかった。』〜【創作大賞応募作品、エッセイ部門】


あの日、私は帰らなかった。


あれから、もう10年くらい経つ。


仕事を理由に、遅く帰ることが当たり前に
なっていた。


やるべきことは山ほどあって、終わらせ

なければいけない仕事も多く、

家に帰る時間を削ることに、どこか納得

している自分がいた。


家族のために働いているのだから。


多少のすれ違いは仕方がない。

そう思い込んでいました。


その夜も、同じでした。


オフィスの蛍光灯は白く、時間の感覚を
少しずつ奪っていく。


パソコンの画面には、終わりきっていない
資料がいくつも開いたまま。


修正、差し替え、確認…。

同じ作業を繰り返しているのに、なかなか
終わらない。


肩は重く、目の奥がじんわりと痛む。

冷めたコーヒーに手を伸ばしながら、

ふっと時計を見る。


もう帰る時間は、とっくに過ぎている。


それでも、手を止められなかった。


帰ろうと思えば帰れたけれど。


でも、あと少しで終わる気がした。


ここでやめたら、明日の自分が困る。

頭の中では、やるべきことが順番に並び

続けている。


スマホが一度だけ震えた。

画面を見る。


連絡は、来ていなかった。


それで少しだけ安心して、

同時に、言葉にできない引っかかりが

残った。


今帰れば、まだ間に合うかもしれない。


そんな考えが、一瞬だけ浮かぶ。


でも次の瞬間には、また画面に視線を

戻していた。


その頃、家では子どもが待っていた。


あとで聞いた話では、玄関の音がするたびに、

何度も振り返っていたらしい。


でも私は帰らなかった。


子どもは先に寝てしまい、

私は静かになった家に帰った。


リビングの電気だけがついていて、

食卓にはそのままの食器が残っていた。


いつもと同じ光景のはずなのに、

その日は、なぜか少しだけ寂しく見えた。


ドアを閉めた音が、やけに大きく響いた。


誰もいないリビングに、自分の足音だけが

残る。


寝室をのぞくと、

小さな体が布団の中で丸くなっていた。


起こさないように、そっと顔をのぞき込む。


その瞬間、胸の奥に小さな違和感が生まれた。


何かが足りないような。


でも、それが何なのかは分からないまま、

その夜は終わった。


次の日も、また同じように過ぎていった。


仕事をして、帰りが遅くなり、

子どもと過ごす時間はほんの少しだけ。


それでも、どこかで思っていた。


まだ大丈夫だと。


そのうち時間は取れる。


落ち着いたら、ゆっくり向き合えばいい。


そうやって、いつも先送りにしていた。


でも、その「そのうち」は、思っているより

早く過ぎていく。


子どもは少しずつ大きくなり、できることが

増え、同時に親を必要とする時間は減っていく。


気づいたときには、

もう戻れない場所に来ていた。


あの日、帰らなかった理由は、今でも

はっきりとはしない。


帰れなかったわけでもない。


ただ、帰らなかった。


その選択をしただけ…。


でも、
その一回が、妙に引っかかっている。


あの日、もし帰っていたら。


玄関を開けたとき、

どんな顔で迎えてくれたのだろう。


たったそれだけのことが、

今になって何度も何度も頭に浮かぶ。


特別な出来事ではない。


どこにでもある、ただの一日の話。


でも、
その一日は、もう二度と戻ってこない。


10年経った今、ようやく分かることがある。


あの日の私は、

「家族のため」という言葉の裏に、

自分の不安や焦りを隠していた。


仕事を優先したのは、責任感だけ

じゃない。

何かに遅れている自分を

見たくなかったから…。


子どもは、
ただ私を待っていただけなのに。


今も仕事はある。


やるべきことも変わらない。


それでも、
あの頃とは少し違う見方をしている。


同じ一日でも、

どこに時間を使うのか。


何を優先するのか。


それを考えるようになった。


あの日の違和感の正体は、

最後まで言葉にはできなかった。


ただ一つだけ、はっきりしていることが

ある。


もう一度、あの時間に戻れるなら。

私は、迷わない。


あの日の自分に、  

「帰っていいんだよ」と、  

静かに伝えたい。


💚ここまでです。


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#家族#人生#矢田#note#ノート

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矢田 和也 (フォロバ89) ありがとうございます。感謝いたします。