亡き王女のためのパヴァーヌ
ふと車で耳にした押尾コータローの亡き王女のためのパヴァーヌが私の心を虜にしてしまった。前から好きな曲だったが、彼のアレンジするギターのパヴァーヌが、切なくて、美しくて、何度も何度も繰り返し聴いた。日頃から思っていたことだが、彼のアレンジ能力は凄まじい。ギターでパヴァーヌを弾くなら、これ以上の正解はないのではないかと思うほどに、ピタリとその曲の魅力を余すことなく伝えている。ハーモニクスの音が私の心を揺さぶるのである。
そんなわけでピアノも聴きたくなった。反田恭平の亡き王女のためのパヴァーヌ。やっぱり素晴らしい。ノスタルジックで切ないメロディ、時折出てくる低いオクターブの和音が荘厳さも加えている。
すっかりはまってしまって、ラヴェルについてのYouTubeを見漁っていると、若い頃から苦労し、最期はなかなか壮絶であった。
そうするとますます曲の切なさが増して、大好きになった。現代の音楽家たちは一体どれだけ彼に影響されているだろうか。その影響力はおそらく果てしない。
印象に残る逸話がある。亡き王女のためのパヴァーヌはラヴェルの若い頃に作られた。驚くべきことに作られた当初、ラヴェル自身でさえもこの曲に批判的だったようだ。
ところが晩年、彼は脳の病気を患い、あらゆることを忘れてしまうようになった。ある日ふと聴こえてきた音楽に、ラヴェルは呟いた。
この美しい曲はいったい誰が作ったのだろう。
初めて聴いた曲だと思ったのだろう。けれどもその曲は、正しく若き日の彼自身が作った曲、亡き王女のためのパヴァーヌだったのだ。
王女はふと宮殿の屋敷を出た。
野菊が可憐に花を咲かせていた。
泉の向こう側から美しい音楽が聴こえてきた。
誰かがハープを奏でていた。
そっと近づくと見知らぬ美しい少年であった。
ふたりは一瞬で恋に落ちた。
きらきらと水面が輝いていた。
これからも、これまでも、ふたりのことは誰も知らない。
