地蔵菩薩と道祖神
以前、旅行に行った際に、道端に祀られているお地蔵様を、何度か見かけたことがあります。
この地蔵菩薩は、神仏習合により道祖神と合一しているそうです。
そこで、なぜ地蔵菩薩が道祖神と結びついたのか気になり、少し調べてみました。
まず、地蔵菩薩とは、仏教の信仰対象である菩薩の一尊で、釈尊が入滅してから弥勒菩薩が成仏するまでの無仏時代の衆生を救済することを釈迦から委ねられたとされているそうです。
そして道祖神とは、悪霊が侵入するのを防ぎ、通行人や村人を災難から守るために村境・峠・辻などに祀られる神のことで、みちの神・たむけの神・峠の神・岐の神・塞の神などの言い方があるとのことです。
地蔵菩薩が道祖神と結びついた背景には、地蔵菩薩が、釈迦の入滅後から弥勒菩薩が出現するまでの間、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)を巡って衆生を救済するという信仰があるようです。
この信仰のため、他界への「通り道」や「境界」を守るという意味合いで、道祖神と結びつきやすかったと考えられているそうです。
そして、この地蔵菩薩の像が路傍(道端や村の入り口)に置かれるようになった背景には、庶民の心の中で「現世の道」と「来世の道(六道)」が重ねて観念されていたことが大きく関わっているとも考えられます。
人が死に旅立つとき、その魂は村の道を通って、来世の道(他界)へと向かうと考えられていました。路傍のお地蔵さんは、旅立つ魂が迷わず、地獄などの悪い道(業道)に進まないよう導いてくれる存在として、現世と来世の道の接点に立つことになったのです。
さらに、現世の道(村の入り口)に立つことで、来世の苦しみだけでなく、現世の道を通ってやってくる災厄や疫病を食い止めてくれると信じられました。
こうして、地蔵菩薩の「六道を巡る救済者」という仏教的な役割が、現世にも拡張され、道祖神と習合し、「現世と来世の道の両方を見守る身近な守護仏」として、路傍に定着していったと考えられているようです。
そこには古来、生と死が地続きであるかのような感覚があったのではないでしょうか。
村の内と外とには明確な境界があっても、道は続いています。それと同じように、生と死も厳然たる境界があるけれど、それを貫く道のようなものがある。そんな感覚を日本人は、仏教が伝来するはるか以前より持っていたのかもしれません。地蔵菩薩と道祖神との習合はその表れであるような気もします。
そう考えると、道端に祀られているお地蔵様は、そんな、いにしえよりの見えない道が、今なお続いていることの象徴のようにも思えてくるのです。
