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林知亜季監督に鑑賞後「素晴らしかったです」と伝えたけど「素晴らしいですね」に言い直したくて書く記事。|6.14水戸『東京ランドマーク』

◆前提としてーー「好きのグラデーション」

「好き」の感情には、グラデーション(濃淡)がある。

(no+eの記事への「スキ❤︎押し」だと「押すか押さないか」だけがやれることだから表現不能、だが実際には「うわ最高っ!」と「へー(ハナホジ)」とがある。
……ありますよね?😂)


ぼくは米津玄師、藤井風、宇多田ヒカル、椎名林檎が好きだ。
でもそれは「数曲が好き」ぐらいで、たいして深くない。例えば「中村一義が好き」の「好き」とは様相が違ってくる。
そりゃそうだ(あこれは一義作の曲名から)。熱く聴きこんできた歴史が違う。


6月14日夜、ぼくが茨城から家路へ向かう電車にーーこの映画を観て、その後友人と飲んだ帰路ーーどっと乗ってくるお客さんの一群。
会話に耳をチューニングすると、UVERworldのライブがあってその公演後、帰路の人たちのようだ。
UVERworldはぜんぜん詳しくないけど(なぜっておじさん故、リアルタイムで熱く聴いたわけじゃないから)、何かの曲を聴いていいな〜と思いCDアルバムを取り込んだりしているから、「聞かれれば『好き』と答える対象」になる。

でもまあもっとも、あの数駅間、車両の中に立ち込めていたように思えたライブ直後の熱気、「UVERworld、マジ最高すぎた…」の、ぼくは外側の人だった。
そりゃそうだ。同じくライブでバンドの熱演を喰らっちゃいないのし。

ぼくは、その日観てきたひとつの映画のことを、ずっと考えていた。
「東京ランドマーク」のこと。

そして、「この映画を、『映画の外にランドマークが立った』と理解するとき、ぼくはそこ、すごく好き(❤︎推し)だなぁ
なんていう仮結論に至っていた。

……「ちょっと何言ってるかよく分からない」ですって?その反応、正解!😂
ままま、一緒に解き明かす、約4,500字の(すいませんまた長い!)旅に、しばしお付き合いをくださると嬉しいです。


◆水戸へ

6月14日。ぼくは南関東某県のアパートを出て電車に乗り、県境をまたいで茨城県水戸市にある「シネポートシアターMITO」を目指した。
この日当地で行われる、同映画の上映会+林知亜季監督舞台挨拶に参加するため。
13:30〜の回と、16:00〜の回の2回があり、ぼくは前者で申し込み。

林知亜季監督のことは、ある日偶然(あるいはAIアルゴリズムが引き合わせて?)no+e記事を見かけ、知った。
普通に、各記事の文章や着眼点に惹かれた。

↓この記事で、今回の上映(回)を知った。

上映とトークセッション終了後。
会場を後にする時、出入口近くでサインブースに立たれていた林知亜季監督に、ぼくは
「はじめまして、no+eの山本です。映画、素晴らしかったです。」
の一言を伝え、会場を後にした。

水戸駅に向かって歩く間、
「なんかもっと気が利いたこと言えなかったのかねぇ……」
なんて、うだうだ思いながら。

でも、いま振り返ってみて思う。
リアルタイムその場では、「素晴らしかった」の外にあったさまざまな思いは、未整理だった。
だから、それだけしか言えなかった。
けど、せめて直接リアルで伝えられて、良かったのかも……と。

正直に言います。
映画「自体」は……、映画「だけ」なら……、
「お前的『最高峰な映画』だったか?」と問われれば、「YES!」とは言えない。
であるけれど、林監督に伝えた言葉「素晴らしかったです」は、ーー決してリップサービスでも、この旅を敢行した自分への慰めでもなくーー偽りなくリアルな感情だ。

本記事は、
「ぼくがなぜ『素晴らしかった』と伝えたか」、
そして
「いま、どうして言い換えて『素晴らしいですね』にしたいのか」、
そこを検証する思考のログだ。

とりあえずこの記事は「『東京ランドマーク』に関わることだけ」にとどめ。
この後寄った土浦を含む、茨城旅記事については別にしたためます(予定)。


◆ぼくがこの映画と向き合う時、視点や感情を分けてとらえると

こう整理できる。

  1. (映画)作品だけ。

  2. リアルに生きる人たちが「映画を撮るという大イベント」込みで”映画世界”なのだ!と理解すること。


普段のぼくの好みは、「1.(映画)作品だけ」で愛せるコンテンツ。
確定しているもの。
パッケージされてあり、出荷(配信)され、店先で買ったり手元に届いてくるもの。

例えば先日観た演劇「フィッシュボウル」は、「完成品」として素晴らしいアートだと感じた。
脚本執筆期や稽古期の、作者や演者、スタッフの思いや感情、人間模様ももちろん絶対に興味深いはず。
だが純粋に「完成品」として優れているものゆえ、そこまで必要以上に思いを馳せる必要がない。


◆映画作品単体としての評価は、「穴や粗もあり」


『東京ランドマーク』という映画には、そうではなくて、「完全に作り込まれてはいない作品」「探さずとも、そこにある粗(あら)」、その独特の魅力を感じる。
縫い目の間隔が、広すぎる箇所がある。
なので「そこに穴or隙間があってしまい、それが誰の目にも明らか」な状況。
面白いのは、その穴や粗や隙間が、「欠点のようでいて、長所かつ武器にもなっている」ということ。
穴や粗や隙間の例としては……

音声録音
大きすぎて、ぼわんとし過ぎて、なのに時にくぐもり過ぎている。「リアルな会話を録る」の狙いと別の領域で「聞きとりづらく」なり、観客が映画世界に入ることの邪魔をしてしまっている。


時制がわかりづらい、あるいは理解させないような作り

桜子は「監禁先」から高校に通っているのか、「誕生日当日までの回想」なのか。


人物設定・基本的価値観の不可解さ

男性二人が、破滅願望「あり」の生を送っていたとして、「狂言誘拐」を仕掛けた後あの感じで過ごせるものだろか。衝動でやったことに後悔したり警察の姿見て怯えたり、揺れまくり焦りまくる描写は無くてよいものだろか?
「『ブッ飛んでラリパッパ』だから無くてOKにゃのよん(へろへろ)♪」なのであればーーということを匂わす描写はないしそうではないはずだがーー、そういう場面を入れ、示唆が欲しかったところだ。


映画のオフィシャルな紹介文への疑義

「現代の東京に生きる若者たちが、ある出来事をきっかけに、知らずに抱いていた閉塞感から解放されていく様子を、静謐で透明感のある映像で描き出す。」
これ、ほんとにこうかな?って思った。少なくともぼくには、「閉塞感から解放」されたようには思えなかった。
「解放されたのか結局よく分からなかったけど、3人に幸せと安らぎを祈るよ」という映画として企画&完成されたものではないの?と若干混乱した(している)。


これまで生きてきて、「穴や粗はあるけど、ぼく的にとても愛しい」とシンプルに思える、そうした作品に出会い、愛してきた。

例に挙げたいのは、本作に似て「大人になる手前の存在としての憂鬱ブルー」だったり「孤独から誰かとつながることを希求する」テーマを持つ作品だ。
エズミール・フィーリョ監督の『名前のない少年、脚のない少女』。

『東京ランドマーク』に関して、事前情報をなるべく排して臨んだため「このジャンル」かどうかは不確かだったが、観終わったいま言えるのは
「”青いこと”の痛みや刹那さ」がこの映画の域に届くかと言えば、至っていない。


◆この映画は、「リアルに生きる人たちが『映画を撮るという大イベント込みで抱きしめる映画、”映画世界”ごと受け入れるべき」、そういう映画だ


上映後のトークショー、どんな場になるのだろうと思っていたら、シネポートシアターMITOのスタッフさんによるマイク機器設定や、椅子の配置が始まった。
6つも7つも置かれている。

現れたのは、林監督だけではなく、演者(義山真司さん、鈴木セイナさんら)あるいはプロデューサーや美術スタッフさん、総勢7名。

ぼくは普段、旧Twitterで情報をあまり取りに行かないし、ましてや映画などは事前情報排除して臨む主義。

だけどこの映画は「情報先」の映画として観るべき、理解すべきものかも。
観終わって、この記事を書くためにネットを徘徊しながら、確信している。

例えば、こうやって関連情報をまとめてくださっているno+erさんがおられる。
どの情報も、映画を補完するために「必須過ぎる」のだ。

例えば、SO-EN Online2024.05.15の藤原季節インタビュー記事では、自身の両親の離婚のことや、義山さんが引きこもりに近い状態なのを監督に相談したこと、あるいは藤原が大事に思うシーンのカットのことetc.が、あけすけに語られている。

この映画は、リアルがフィクションへと直裁に持ち込まれた要素も大きいとのことで、そうした各種の「補助線」が映画の理解に必須なのだ。

現実を取り込み作られた映画は、完成後も現実に、現在進行形で、開かれて在る。
演者たち、特に主役3人の「撮影当時のいま」をそのまま記録し、自然な魅力の光を放つ映画。

◆それぞれの「ランドマーク」、それが立つ場所は…

一夜明けて、ぶんずさんの各所の登壇情報(追っかけログ、頭が下がります)を読む前から、リアルタイムで会場で、ぼくの心に湧き上がっていた感情がある。

あくまでも公式に掲げられてるのは「監督挨拶」とだけ。
きっと、スケジュール上来られる人で足を伸ばして各地に集っていると思われるけれど(鈴木セイナさんは「横浜から急きょ訪れた」とおっしゃっていた)、これだけ集ってくれるのって、本当すごいこと!
林監督に人望や尊敬がないと、絶対に実現できないこと。
(最後の時間を営業(告知etc.)をかける場に使う方も皆無で、損得勘定でいらしているわけではないこと、非常によくわかったのです。)

論より証拠で、皆さんさわやか!
鈴木セイナさん、石原滉也さん、
義山真司さん、沼澤菜美さん、
林知亜季監督、柾賢志さん。
前列の方のお名前確認できず😭

その点をとっても、映画そのものが林監督のランドマーク(歴史=人生上の達成の証)となっているはずで、それって演者さんやスタッフさんにも同じことなのではないか。

映画の撮影によって結びついた関係性が、生きて続いていくということ。
撮られてから後にも、映画の外で、映画みたいなワンダーが続く。

ぼくら観客はそれすら見届ける楽しみが持てるし、こちらでも「観る+見る」によってそのワンダーに加担していける。観客には、ランドマークは「上映後の舞台上」にこそあるのかも。
(ぶんずさんは、おそらくそのワンダーを存分に楽しみ、記事化されたはず!)

◆映画が現在進行形で生むワンダーな時間や関係に、嫉妬もこめて…


会場を後にする時、林知亜季監督に、ぼくは
「映画、素晴らしかったです。」
とだけ伝えた。
ちょっと、嫉妬みたいな気持ちもあったのかも。
「あぁ、こうやって慕われて愛されて……、羨ましいですー」って。

(ホント困ったおじさんだなぁ……f^_^;)
それはそれで、お前も何かクリエイトしてせいぜい頑張れよって話なので、今後自分でなんとかします!笑)


もし、22時間前へとタイムリープできるなら……、
14日15:20前後のシネポートシアターMITOの出入口に戻れるなら、林監督にこうお伝えしたい。
(だって、いくらこうして記事で後追い訂正しようとも、リアルのその時の発言っていうのは当たり前に決定的に、質感が違うのだから。)

「映画を撮られたからこそ、この旅が続いていること。本当に素晴らしいですね、素晴らしく伸び続ける『ランドマーク』を建ててのけましたね👍✨」って。



(おまけ的な)
水戸に行った日などなど、動き回ってた時期の外出ログ記事を書いてみました。
お時間ありましたら😀

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山本蛇内 yamamotojanai スキとフォローくだされば(気に入ってくださるなら、でね)十分なのであります! いつか有料記事に挑戦しますので、その時までチップ取っといてください笑

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