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タイパ考(後編)〜「アイワナビー高田純次」そして令和の空に響けよ「ええじゃないか!」〜

(↑前の2つの記事です)

AIによる(嘘)この記事の要約
ええじゃないか ええじゃないか!(タイパも愛パも)


高田純次師匠がどうしてここに?

ええじゃないかを踊りくるう私の横で、同じく踊るのは……
えっうそっ、高田純次さんじゃないですか!
(注:この物語はフィクションです。実在の人物には一切関係ありません。)

高田純次(以下「高」)「いやー踊るってサイコーだね!」

山本(以下『山」)「師匠、ええじゃないか似合いすぎです」

高「やーどうもどうもお兄さん!いや、おじさんか笑 今ボク、番組の収録中で」

山「ああそれで、この街に。そうだ師匠、『タイパ』って、どう思いますか」

高「タイパねぇ。ボク、しまくりよ。新幹線移動中に台本ホン読んだり」

山「師匠、それは、問題ないやつです」

高「そうなのかなー。仕事だから、やらなきゃいけないからね。
でも、例えば文庫本だったら、斜め読みできないじゃん?1文字1文字、最初から最後まで読むしかない。ま、好きだから、そーやって読んでるだけだよね。
誰かが映画観るのも同じじゃない?
本当には好きじゃない作品だから、半ば『仕事』だから、「倍速」でアリなんじゃないの。本当に好きで心に刻みたいやつなら、自然とそんなことしないんだよ。
すべては、人の自然じねんが勝手に決めるから、ほっときゃいいんだよ」

山「あっ……なるほど」

高「じゃっボクまた踊りながら、カットかかるまで先に行かなきゃなんないんで、行くね!おじさんと喋ってたシーンも録られてたよ、放送楽しみにしてて!」

山「あっ、はい!師匠、降臨してくださって、ありがとうございました!」

高「また好きな時に呼んでいーよー(と言って、踊りながら群衆の中に消える)」


タイパ行動するしないは、人のめちゃ多様な要素の、ごくごく一部

純次師匠が去った後、私は道のはたで、ひとり立ち止まって考えています。
タイパ行動。
純次師匠が「しまくり」と言ったように、私も結構、いろいろ、します。
スマホでネットニュース見ながらご飯食べる、これも立派なタイパ行動ですよね。
ご飯に向き合って、味わって食べるという
「本来あるべき姿(?)」
「自分達のサッカー(???)」
からの、逸脱。禁則行為。
なので、「タイパ、イコールダメ!」という大きな否定は、私的にはナシになりました。自分で自分を否定することになっちゃう。

タイパ的な行動をするか否か?
それは「誰にとっても時と場合による」でしょうし、その重みは誰かが答える「100の質問」のうちだったら「100分の1のこと」。
しかも、根っからの思想や信念というより、それらによらない「行動」寄りのこと。そう私は見ます。

「未読で関心ある長編小説」に対する、私の一様じゃない「予定」

私は小説を読むのが好きなのですが、未読の長編小説についての態度といいますか、どうしようかの「予定」は、作品ごとに違っています。

①この先、じっくり丁寧に読みたいなと、ネタバレ消費せず取っておきたいもの

→『100年の孤独』、『ドグラ・マグラ』、『三体』、『万延元年のフットボール』、『戦争と平和』、『ねじまき鳥クロニクル』、京極夏彦作品etc etc.

②この先もチャレンジしないかも。なのでもうネタバレ消費上等、読んだかのように概要をつかみたい

→『罪と罰』、『神曲』、『風と共に去りぬ』、『失われた時を求めて』、『苦海浄土』etc.
(上記5作品の愛読者の皆様、不快に思われたら申し訳ないです。)

なので、ギターソロスキップだって「それもありかも。」

が、今のぼくの感想になっちゃいました。
それは、この(↓)ジユンペイさんの記事に会えて影響受けたのも大きかった。

ギターソロの存在しない曲、もっと言えばギターが主役ではない曲作りをギタリストとしてどう考えるかということにこそ、意味があります。そりゃあ、作った以上はスキップしてほしくないのは当たり前だし逆に言うとスキップされないようなギターを弾くことが我々の勝負でもあるのですが、自分たちと異なる常識を持つ人々に出会ったときに、自分とは異なるからという理由で排除するのは自ら可能性の芽を摘む自爆行為に近いとすら思います。

そしてそれはそもそも年齢によるものではなくむしろ生き方やスタンスの問題です。表現をする時点で、自分の表現が否定される可能性には常に晒される覚悟が必要ですし、たとえ自分の表現が否定されても誰かの表現を否定しない勇気も同じように必要なのです。

ジユンペイ『「ギターソロ不要論」をいまさら語る』2022年9月15日note

ギター弾きの方自らがこうやってとらえているって、coolだしリスペクト!
「受け手」や「他者」のことを大事にする、自分中心でないマインドがあってこその言葉、と受け取りました。

ぼくも激しく同意です。(「禿同」、わっ、懐かしい)
note記事だってそうです。
何度も推敲して、自信持ってアップした文章だとて、そんなのは書き手側の問題。
ひとたび「公開」のボタンを押せば、もう書き手の手を離れる。
記事をどう感じるかのすべては、受け手(読み手)のジャッジに委ねられる。
「なんか違う」
「好みじゃないなー」
「長い!読まない!」
ってジャッジされることがあっても、それはそれ。
当たり前に起こることです。

人生は選択の連続。どっちが充実するかの軸で、各自自然な方を選べばいい

私の書く女性への声かけ(ストナン)記事だって、否定も嫌悪も当然、ありますでしょうし。旧 twitterなんかに出てけば間違いなくフルボッコでしょうf^_^;)

でも「そうだった自分を全面的に否定もしたくないな」とか、「批判は受けても、人格否定はされたくないな」って思いながら書いてるのも、本当のところでして。
(ギターを弾くことと、私のストナン活動期(記)を一緒にされるって、ジユンペイさんにいい迷惑過ぎますね……。)

そしてもちろん、そんな声かけナンパ野郎記事を読んでくださる方のことも否定したくない、むしろ、強く守りたい。

毎回が結構長めな私の記事を読むことで、何らか充実してくださるなら、パワーチャージしていただけているなら。愛着さえももってくださるなら。

それは(「愛着」からのやや強引な展開ですが)その人にとっての愛着パフォーマンス略して「愛パ」が上がることに、なんらか寄与できているんじゃないかなって自信につながります。

結局その人が内心でなにを欲しているか

欲しい成果が時短なら、自然と人はそうする。
欲しい成果が費用対効果なら、自然と人はそうする。
欲しい成果が充実・充電なら、自然と人はそうする。
職場や家庭の人間関係と切り離された、1人の時間なら尚更そうするまでのこと。

普段の私がギターソロ(あるいはギター以外の楽器)の曲中ソロ演奏を好んで聴く曲は、そのパートのメロディやサウンドがめっちゃ好きだから聴く、ほんとただそんだけのことにすぎないのですから。
嫌嫌、聴いてない。
聴く方がグッとくる、愛せるから、聴く。愛でる。
聴くのが私にとって、「愛パがいい」。

「最高じゃん」って、祝福する


「最高じゃん」は、ドラマ『不適切にもほどがある!』の純子のセリフ。

「1人1台電話持って、写真も撮れて、音楽も聴けて、電車も乗れて、こういうのもあって、ポチってしたら欲しいもん家に届いて、最高じゃん。」

小川純子(『不適切にもほどがある!』第8話より)

セリフ起こしは、こちら、なつさんの記事から引用させていただきました。

(『ふてほど』、私も全話観ました。良かったですよね。ちなみにクドカン作品はその直後の『新宿野戦病院』も素晴らしかった!)

世界情勢は、なんだか危うさヤバさを増しているけれど、少なくとも個人が作品をその人なりに楽しむ環境の話に限れば、「現代、最高じゃん」って私も思います。

純次師匠、再降臨


「おーーーーーい!」
その声は、純次師匠!
ええじゃないかの長い長い列の先から、走って戻ってきてくれたようです。

「はあ、はあ……散歩ぐらいならいいけど、さすがに走るとしんどいねー!
でさ、パッと浮かんだんだよ、タイパでさ!ボク、だから、パンツを履かないんだ。その方がオネエちゃんにも俺にもタイパじゃない?

「師匠、ほんと、最高すぎます 」

(↑)はただの私の作り話ですが……
ずっと現役でいる秘訣を聞かれて、本当の高田純次さんは、(↓)こんな内容のことを言っています。

『説教』『自慢話』『思い出話』、この3つは(老害になるので)抑えないといけない。そしたら、俺にはやらしい話しか残んなかったんですよね

師匠、もう一回言います。最高です。
勇気をいただけました、私もエロ話で行きます!
現在、別記事↓で思いっきり思い出話中(NG事項)なのは、見逃してください!

長文失礼しました。結論:「ええじゃないか♪」


おじさんになったら、ますます、「ぶつかりおじさん化」する危険はあります。
なにしろ、ミッドクライシスの津波は誰をも襲いますから。
職場でも、家庭でも、プライベートでも、noteでも、ネガティブでアグレッシブな刃を振りかざす可能性が、潜在的にはあるって自分に言い聞かせているべきで。
そんなときこそ、きっと高田純次イズムが有効で、私を助けてくれるはずです。

気の合うナカーマ達って、年代性別を問わず、まだまだ世の中にはたくさんいるはずです。
note初めて1ヶ月ちょいですが、いろんな良い出会いにうれしくさせられてきました。そして、この先の旅の途上でも、まだ見ぬ「ナイスな人たち」に出会えるはずです。

「適当だなー!」ってツッコまれるぐらいの、ニコニコ開いたおじさんでいたい。
オープンAIじゃなく、オープンOZオジ化ですね!

清志郎も、こんなふうに(↓)歌っていることですし……。

気の合う友達ってたくさんいるのさ
今は気づかないだけ
街ですれ違っただけでわかるようになるよ

RCサクセション『わかってもらえるさ』歌詞より引用

誰かとすれ違う時、ぶつかろうだなんて思わず、その人をありのまま感じて受け入れて、ニッコリしようぜって。


エロ記事書きの、あるいは街で声かけする最低既婚者の「山本蛇内」として、ここで活動できていること。
それって、読んでくださる方々の
「寛容精神」
「へええ、こんな人もいるのね」
あってこそ、のことです。
つまり、私が誰かに、ええじゃないかられている。
こんな嬉しいことってないです。

自分が、それを他の方にこいねがうのなら……、
「他者」、人生で出会う方々には、いつも寛容精神と愛を。
クリスチャンではないですが「隣人愛」っていうもの凄いパワーワードをも、高田純次イズムと共に、心にインストールして携行したいなと♪

とりあえず、書いているいま、マジでこの場で椅子から立ち上がって、少しの間、踊り狂います。


「ええじゃないか ええじゃないか♪(エロ記事書いたって♪)」

「ええじゃないか ええじゃないか♪(マトモじゃなくたって♪)」

「ええじゃないか ええじゃないか♪(タイパも愛パも♪)」

「ええじゃないか ええじゃないか♪(適当万歳!♪)」


(いちおう、これで本編終わります。↓おまけ編あり↓)

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