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年齢が不安だった理由が分かった。年を取るのが怖かったんじゃなかった

年齢の話題が、少し重く感じるようになった

同じ年齢の人たちを見ると、
家庭があって、子どもがいて、
仕事でもそれなりの立場に立っている人が多い。

一方で自分は、
子どももいないし、
時間もお金も、ある程度は自分のために使えている。

不満があるわけじゃない。
困っているわけでもない。

それなのに、
年齢を意識する瞬間だけ、
理由の分からない不安が出てくることがあった。

「この歳で、この生き方ってどうなんだろう」



年齢が不安=老いへの恐怖、だと思っていた

最初は
「年を取るのが怖いんだろうな」
そう思っていた。

体力が落ちるとか、
選択肢が減るとか、
将来が不透明になるとか。

でもよく考えると、
体はそこまで衰えていないし、
やりたいことがなくなったわけでもない。

じゃあ、
何がそんなに不安なんだろうと思った。



年齢には「種類」があると気づいた

あるとき、
年齢を一つの数字としてまとめて考えていること自体が、
しんどさの原因なんじゃないかと思った。

調べてみると、
年齢にはいくつかの種類がある。
• 暦年齢
• 生物学的年齢
• 社会的年齢
• 主観的年齢
• 精神年齢

今まで、
これを全部ひとまとめにして
「〇歳だから」と背負っていた。

それが、重かった。



一番自分を苦しめていたのは「社会的年齢」だった

正直に言うと、
自分を一番苦しめていたのは
社会的年齢だったと思う。
• この歳なら家庭があって
• この歳なら忙しくて
• この歳なら落ち着いていて

そういう
「年齢ごとの正解モデル」。

それに当てはまっていない自分を、
無意識に減点していた。

時間に余白があることも、
人付き合いを選んでいることも、
どこか言い訳しながら生きていた。



他の年齢は、意外と問題なかった

でも、他の年齢を一つずつ見てみると、
そこまで悪くないことにも気づいた。
• 生物学的年齢:体はまだ動く
• 主観的年齢:気持ちはそこまで老いていない
• 精神年齢:考えること、学ぶことはむしろ増えている

問題があったのは
年齢そのものじゃなく、
社会の物差しをそのまま使っていたことだった。



年齢も、ミニマリズムの対象だった

ここで、
今までやってきたことと全部つながった。

物を減らしたときも
時間を見直したときも
人との距離を考えたときも

共通していたのは、
全部を抱えなくていいと気づいたことだった。

年齢も同じだった。

全部の年齢概念を
真面目に背負う必要はなかった。



ここまで読んでくれた人へ

もし今、
• 年齢の話題がしんどい
• 周りと比べて焦る
• この生き方でいいのか不安になる

そんな感覚があるなら、
それは老いの問題じゃない。

基準の問題だと思う。


年齢と「付き合う」ようになって、
楽になった話

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