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あの日母になった私へ ― 14年の祈りと愛の記録 ―

序章 あの日、母になった私へ

―「やっと会えたね」と涙した日 ―
その日、生まれたのは『娘』だけじゃなく
『母になるあなた』だったのかもしれない。


あの瞬間、長い祈りがやっと叶った。
帝王切開の手術台の光の中で、
あなたは小さな命を抱いた。
幸せと不安が混じる胸の奥で、
「これでやっと戦いが終わった」
と思っていたよね。
でもね、あれはほんの始まりだった。
本当の《母になる旅》は、そこから始まったの。

第1章 長い夜を越えて

 ― 張りつめた心を緩めたとき、光が見えた ―

あの日の私は、まだ気づいていなかった。
妊活が『戦い』ではなく
『自分をゆるめるレッスン』だったことに。


田舎の長男に嫁いで始まったのは
義両親との同居。
私の親は遠い故郷を離れて
親戚づきあいもほぼ皆無、
団地住まいで育った私には
親戚や近所付き合いが濃い田舎生活は
すべてが異空間だった。

そんな中で2年が過ぎた頃、
義弟が結婚し子供が産まれた。
赤ちゃん一色の話題になる家族の中で
私は焦り始めて妊活を始めた。

病院での妊活は
ベルトコンベヤーに乗せられたよう。
一通りの検査が済むと毎月繰り返される治療。
第一段階が終わると第二段階へエンドレス。
失敗しても医師は気持ちには
寄り添ってはくれない。

検査のたびに刺される針にも耐え、羞恥心には蓋をして
冷たい器具の感触に体がこわばった。
診察室の無機質な光の下で、
私はただ番号で呼ばれる“誰か”になっていく。
じんわりした痛み、体の奥に残る金属の感触。
それらが少しずつ、心の柔らかい部分を奪っていった。

頑張れば報われると信じていたのに、
努力を重ねるほど、どこか遠くへ押しやられていくような気がした。
それでも、やめることが怖くてしがみついて
私は固く拳を握りしめたまま、目を閉じるしかなかった。

何のために頑張っているのか
わからなくなっていた。。。
子どもを望む気持ちは純粋だったのに、
いつの間にか結果だけに縛られていた。


妊活仲間が一人減り二人減り・・・
グループで最後の二人になった。
最後の一人の親友が妊娠した時、
頑張っていた糸がプツンと切れた。

焦りとか羨ましいとか、そんな感情も湧かず
ただただ『終わりだ』と悟った。
『もう十分頑張った、もういい』
無理に諦めるのではなく自然に力が抜けた。


それからの私は妊活きっかけで始めたヨガの講師を目指した。授業を構成し実際に生徒さんと交流する中で、今まで妊活しか見えていなかった私の世界がキラキラ輝き始め 心が息を吹き返した。
嫌だった治療をやめたことで体も緊張が解けた。

新たな生きがいを見つけて楽しい毎日に
体も心も喜びに溢れていた。


そんな生活を数か月過ごした頃『奇跡の妊娠』
でも、なぜ妊娠できたのか?
この時点では考える余裕はなかった。


不妊治療でお世話になった医師はニコリともしない顔で
『まだ安定期ではないので(どうなるか)分かりません
紹介状を書くので今後はそちらの病院へ』の一言。


『おめでとう ご懐妊です』の言葉に憧れ続け
言って貰えたらきっと泣いちゃうだろうと思っていた私。
膨らんでいたワクワクする気持ちがシュンと萎んだ。

『え?本当に妊娠してるんだよね?』と急に不安に襲われ
能面のような医師の顔をぼんやりと見つめた。
この時、心に刻まれたのは
『絶対にこの子だけはちゃんと出産できますように』
と願うことだった。

私がこの奇跡の妊娠の意味に気づけるには
更なる経験が必要だったのだ。


第2章 守ることに心縛られた日々

― 愛のかたちを探して ― 

奇跡の妊娠を喜ぶ間もなく前置胎盤が判明した。
前置胎盤はいきなり出血するもので 訳も分からず出血した時は顔が青ざめ背筋が凍った。
『せっかく妊娠したのにまた失ってしまう』
・・そんな恐怖に襲われ震えながら朝を迎えた。


翌朝、病院での診察を終えホッとしたものの
憧れていた幸せ溢れる妊婦生活というより
『この子を守らなければ』の思いが強く
細心の注意を払いながらの毎日だった。

ようやく安定期を終え次は出産に向けての準備。
前置胎盤は帝王切開での早期安静入院が勧められる。入院先でも分厚い育児書を読み込み、
頭でっかちで頑張り癖は変わらなかった。


そんな期間を過ごし、
何とか出産した娘は2705グラム。
少し小さくて母乳を飲むのもやっとの子。


神経質な私に育てられたから
娘ももれなく神経質で
降ろすと泣くのでずっと抱っこ。
完全母乳にも拘っていたので
掛かりっきりで育児する日々。

同居だったけど誰にも子供を任せたくない、
そんな我の強い育児に 運命の転機が静かに近づいていた。


第3章 “手放す”ことで還ってきた光 

― 天がくれた再生のメッセージ ー

あの頃の私は『自分で頑張ること』こそ正しいと思っていた。でも、間違って執着していたものは天からSTOPが掛かるものだ。

夫の心が静かに壊れたとき、私はようやく立ち止まるしかなかった。
夫の病気で親族から育児法と共に妻としての私を責められて
ようやく自分の『もう嫌だ』という気持ちに気づいた。
今まで義両親にそう逆らうこともなく
田舎の風習を我慢し、苦手な親戚づきあいも我慢してきたけれど
『このままでは私も潰れてしまう』
今までになく冷静な私がいて夫と共に家を出ることを決心した。
その別居生活で夫も自分を取り戻し
束の間の穏やかな日々を過ごした。

そんな生活を2年程過ごした頃、義父が急に旅立った。
そこから選択の余地もなく私たちは再び家に戻ることになった。

そこで待っていたのは義母の介護。
再び人目を気にしながら肩身の狭い生活。
心も体もどこに置いたらいいかわからなかった。


介護の段階が上がるたび、
「嫁としてこうあるべき」という言葉が
胸の奥で重しのように沈んでいった。
『ねばべき』の正しさの鎧を着たまま動けず
朝の光がカーテンの隙間から差すたびに
その明るさが怖かった。

心が擦り切れる音が聞こえそうな日々の中、
気づけば娘のことだけを考える余裕もなくなっていた。
それでも彼女は自分なりに世界と向き合い
小さな壁をひとつずつ越えていった。

――あの時、私は何もしていない。
自分も壊れそうになりながら、ただ見守るしかなかった。
けれど、あの《見守るしかなかった時間》が
今の私たちの揺るぎない信頼を育ててくれたのだと思う。


今思えば 妊活の時もこの『執着』を手放した時 授かれたのだけれど
それに気づくことが出来なくて、更に育児で間違った執着
《自分一人で頑張る事》をしたから 強制終了せざるを得ない状況が
現れたのだと思う。

そんな介護も四面楚歌の中 助けてくれる人が現れた。
『そんなに責めたら可哀そう』
その一言が私を救ってくれた。


そしてピンと張りつめていた糸が緩んだ。
握りしめていた拳を包み込んでくれるような
温かくて優しい愛に涙が溢れた。
『人に頼っていいんだ』という深い許しが
私の『頑張らなければ』を手放させてくれた。


あの混沌の中で私はやっと『頑張らなくてもいい、出来ない自分を認めて人に頼ること』を学んだのだ。


第4章 すべての出来事が、私を母にした

― “母になる”とはそのままの自分を認める旅だった ―

妊活も、育児も、介護も
すべてが「私」という器を育てるための時間だった。
悔しくて泣いた日も笑えなかった夜も 全部私の中で光に変わった。
だから今、伝えたい。

~あの時の私へ~
ありがとう。一生懸命に生きたからこそ大きな気づきに変わったよ。
すべての経験が宝になる。自分を信じてあなたらしくね


エピローグ 未来の“母になるあなたへ”

― この世界に命を迎えるすべての女性たちへ ―

母になることは『完璧』ではなく
『出来ない自分をも愛する』ということ。
自分の想い通りにならないことだらけな育児。
悩み、時に自分を責めながらも 頑張るあなたは
素晴らしい成長過程を歩んでいるのだ。

どうか焦らずに。責めないで。
不器用でもいい。
あなたの歩いているその道こそが
本当の自分へ還る旅の途中なのだから


最後までお読み頂きありがとうございました。
失敗だらけで不器用な生き方だけど、
それすら今は愛おしいと思います。

今、同じように色んな壁にぶつかって悩むあなたを応援したくて寂庵のような場を作れるよう活動中。この為の経験だったと今振り返って思うのです。


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