11月19日(2000年) 運命の後半19分
この日の事は、とても短くまとめられるものではない。それだけ特別な1日だった。その後の浦和レッズの歴史を左右したであろう2000.11.19は、当時のサポの記憶に今でも鮮明に残っている筈だ。
この試合のハイライトと言えば、誰もが土橋正樹の決勝ゴールを挙げるだろう。それは間違いない。ただ、もう一つポイントとなるシーンがあった。浦和の選手が、サポが一瞬だが奈落を除いた後半19分である。
福永のゴールで先制しながら、GKとDFとの連係ミスで同点に追いつかれた膠着した試合。鳥栖の後方からのフィードをピクンが中途半端なスライディングで捉えられず、ボールは鳥栖・石谷の足元へ。石谷がドリブルを始めると、もうGK・西部一人しか残っていなかった。室井が後方から懸命に追いボールにアタックを試みるも、捉えたのは石谷の脚。主審の笛が鳴り、ペナルティスポットを指さす。続けて提示されたのは赤いカード。
駒場全体が悲鳴混じりのざわめきに包まれる。後で知った事だが、このPK宣告とほぼ時を同じくして、昇格を争う大分が先制点を挙げていた。どんな作家でも、演出家でも、映画監督でも描き切れないだろう意地悪で最悪のシナリオ。私は、PKの場所を目の前にする西側スタンドで、文字通り固まってしまった。帰宅後、録画していたテレビ埼玉の中継を見ると、「えっ、赤。赤ですか。えーっ」という上野アナの悲鳴のような実況と、ユニの裾で顔の汗(涙か)を拭いながらピッチを下がる室井の姿を映している。室井は「俺のせいで来年もJ2か」と、この時思っていたという。
このPKのシーンは今でもスローモーションのように思い出すことが出来る。蹴られたPKは右へ飛んだ西部とは逆の方向に。「もうダメだ」と思うと、ボールはポストを叩き、跳ね返ったボールはキッカーの下へ。再び蹴られたシュートはゴール上方を通過した(これが反則という事に、この時全く気付かなかった)。浦和は最大のピンチを脱した。10人対11人という不利な状況は続くものの、選手もスタンドも力を取り戻していた。
土橋の決勝ゴールも目の前だった。あのドライブのかかった見事な航跡を描いたシュート。ピッチから、ベンチから、スタンド下から土橋めがけて駆け寄ってくる浦和の選手たちの姿。それらのシーンを目の当たりにし、前年の夏ころから抱え続けていた重圧から解放された安堵を感じ、目に熱いものが込み上げた。
この年のJ2で浦和は思わぬ苦戦を強いられたが、この試合も本当に大苦戦だった。J2の1年間を凝縮したような最終戦。だが、ここでの経験が後の浦和の歴史を変えた、と私は思っている。それだけ特別な1日だった、J2最終戦の思い出である。
