僕のソウルメイトは病室にいた
小学生の頃、私は片足を失う寸前だったらしい。
――らしい、というのは、その事実を大きくなってから両親に聞かされたからだ。
詳しい病名は今でも知らない。骨にうまく栄養が届かず、壊死する寸前だったという。父がレントゲン技師だったこともあり、異変に早く気づけたらしい。
「あと少し遅かったら、足を切断していたかもしれない」
そう聞かされた時は流石にゾッとした。
でも、当時の私はそんな深刻さなんて一ミリも知らなかった。
むしろ――入院生活を全力で楽しんでいた。
今日は、そんな“人生で一番不思議で、優しかった入院生活”の話をしたい。
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小学三年生の頃。
私はいつものように学校で授業を受けていた。
すると突然、廊下に両親の姿が見えた。担任の先生と何やら話したあと、私は急いで荷物をまとめ、そのまま早退。
気づけば、6人部屋の病室のベッドの上にいた。
こうして私の入院生活が始まった。
しかも同室のメンバーが凄かった。
私以外、全員20代くらいの“にぃちゃん”達。
そして全員、バイク事故で運ばれてきた人達だった。
最初は不安だった。
同年代はいないし、病院独特の空気も怖かった。
でも、両親が病室を出たあと、すぐ隣のベッドのおにぃちゃんが声をかけてくれた。
「一緒にゲームするか?」
プレイステーションの『リッジレーサー』。
みんなで大盛り上がりした。
今思えば、不安そうな子供を放っておけなかったのだろう。
そこから、みんなが何で入院しているのかを教えてくれた。
「俺はコーナー曲がりきれなくて転倒」
「俺もスリップして転倒」
「俺は止まってるバスに突っ込んだ」
……最後だけ意味が分からなかった😇笑
傷跡を見せながら武勇伝みたいに話す姿は、今思うとかなりカオスだった。
でも、不思議とみんな笑っていた。
そして最後には、全員が口を揃えてこう言った。
「バイクだけは絶対乗るな」
生身で地面に叩きつけられる痛みを知っている人達の言葉だった。
私はその時、「大人になっても絶対にバイクには乗らない」と心に誓った。
危ないから。
怪我したくないから。
――なので現在、私は馬に乗っている🐎笑
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入院してからは、ベッド以外では車椅子生活になった。
そして私は、にぃちゃん達から車椅子の技術を叩き込まれる。
ウィリー。
高速スピン。
片輪ドリフト。
完全に競技化していた。
看護師さんに怒られるギリギリを攻めながら、病院を爆走していた。
おかげで私は、大人になって怪我をしても、車椅子や松葉杖の扱いだけは妙に慣れている。
そんな楽しい入院生活だったが、問題もあった。
私、寝相が異常に悪かったのである。
入院初日の夜。
「おやすみなさい」
そう言って眠りにつき――
翌朝。
目が覚めると、私はベッドの下に落ちていた😇
どうやら寝ながら転落したらしい。
それ以来、私のベッドには四方八方に柵が付けられた。
完全にベビーベッドである。
お見舞いに来た両親も爆笑していた。
しかも隣のおにぃちゃんが、さらに追い討ちをかける。
「昨日の夜、急に立ち上がって寝言言ってたぞ」
「なんて?」
「“ママ!僕は大丈夫!心配しないで!”って」
……いや、全然大丈夫じゃない。
最終的に床に落ちてるんだから。
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隣のおにぃちゃんには、本当にたくさんお世話になった。
茶髪ロン毛のイケイケ系イケメン。
当時の私は、純粋無垢な小学生だった。
「なんで髪の毛茶色いの?」
すると彼は真顔で言った。
「髪洗ってないとこうなるんだよ」
私はしばらく本気で信じていた。
街で茶髪を見るたびに、
「この人、全然シャンプーしてないんだ…」
と思っていた😇笑
食事の時間も面白かった。
病院食は別にまずくなかったけど、やっぱり薄味だった。
でも隣のおにぃちゃんだけ、やたら美味しそうなものを食べている。
「それ何?いいなぁ」
「流動食だよ。事故で顎砕けてるから、全部ミキサー食」
笑いながら話してくれた。
でも本当は、普通に硬いものを食べたかったと思う。
当たり前に噛めること。
普通にご飯を食べられること。
それって実は、すごく幸せなことなんだと、後になって気づいた。
ある夜、私は鼻血を出した。
しかも盛大に。
寝ぼけながら処理していると、隣のおにぃちゃんが飛び起きた。
「どうした!?大丈夫か!?」
顔面血まみれの私を見て、慌てて車椅子を押して洗面所まで連れて行ってくれた。
ナースさんも大騒ぎ。
でも冷静に考えれば、小学生男子の鼻血なんて大体くだらない理由である。
おそらく鼻をほじりすぎた。
それでも、みんな本気で心配してくれた。
「また何かあったら言えよ」
そう言ってくれた言葉が、子供ながらに嬉しかった。
そのおにぃちゃんは、一度事故で三日間意識が戻らなかったらしい。
生死を彷徨った経験をしていた。
彼女らしき女性がお見舞いに来るたび、私はなんとなく二人を見ていた。
きっと事故直後、彼女さんは生きた心地がしなかったと思う。
でも当時の私は小学生。
気になるのはそこじゃなかった。
「三日寝てたら、お腹減らないの?」
すると彼は笑いながら言った。
「腹減ったから目覚めたのかもな」
でも続けて、こうも言った。
「事故の瞬間は覚えてる。でも次に気づいたら病院だった」
人って、本当に一瞬で死ぬのかもしれない。
小学三年生の私は、その時初めて“命”について考えた。
人は脆い。
そして、自分一人の命じゃない。
誰かが悲しむ。
誰かが泣く。
学校では教わらないことを、私は病院で学んでいた。
___
やがて、同室の人達が少しずつ退院していった。
ギプスに寄せ書きをしたり、「またな!」と送り出したり。
退院は嬉しいことなのに、少し寂しかった。
でも、退院したあともみんな通院ついでに顔を出してくれた。
「元気か?」
そうやって会いに来てくれるのが、本当に嬉しかった。
そんな入院生活で、今でも忘れられない味がある。
――マクドナルドの「月見バーガー」だ。
ある大学生のお兄さんが、一時退院の帰りに買ってきてくれた。
流石に病室で食べるのはまずいので、みんなで一階の喫煙所へ。
病院食ばかりだった私は、一口食べて衝撃を受けた。
「うまっ!!!!」
塩分と脂が全身を駆け巡った。
あの日の感動は今でも忘れない。
だから私は、毎年月見バーガーの季節になると、あの病院を思い出す。
人生で一番不思議で、一番温かかった時間を。
___
退院の日。
私は車椅子から松葉杖になっていた。
病院の人達、ナースさん、同室のみんな、他の部屋で仲良くなった人達。
みんなが写真を撮って、送り出してくれた。
しかも、先に退院していたおにぃちゃん達まで駆けつけてくれた。
そして私を車に乗せて、外へ連れ出してくれた。
久しぶりの外の空気。
「あぁ、外の空気ってこんなに美味しいんだ」
今でも覚えている。
その空気の味を。
みんなが「欲しいものあるか?」と聞いてくれた。
私はゲームが欲しかった。
本当は任天堂64が欲しかった。
でも高かったから、言っていいのか迷った。
すると一人のおにぃちゃんが言った。
「俺の64やるよ」
事故で指がうまく動かなくなって、ゲームできないから、と。
当時の私は素直に「やったー!」と喜んだ。
でも今なら分かる。
あれは、子供の私に気を遣わせないための優しさだったんだと思う。
病院へ戻る最後の帰り道。
隣のベッドのおにぃちゃんが、ぽつりと言った。
「俺、子供苦手だったんだよ。でもお前と過ごして、子供欲しくなった」
私はうまく言葉が出なかった。
「ありがとう」
それしか言えなかった。
でも、本当は私の方こそ感謝していた。
怖かった入院生活を、最高に楽しい思い出に変えてくれた。
命の大切さを教えてくれた。
人の優しさを教えてくれた。
生きることは、一人じゃないと教えてくれた。
あれから、一度もみんなには会えていない。
今頃、どんな人生を歩んでいるのだろう。
あのおにぃちゃんは、本当に父親になれたのだろうか。
でも不思議なことに、今の私は一人娘の父親になった。
そして、あの時みんなから受け取った優しさを、今度は自分が誰かに渡している。
人は、もらった愛情で出来ているのかもしれない。
もし、もう一度会えるなら伝えたい。
「あの時は、本当にありがとうございました」
「あなた達のおかげで、私は今もこうして笑って生きています」
「これからも、教えてもらったことを胸に、全力で生きていきます」
そして最後に、もう一度だけ。
――本当に、ありがとう。
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