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右に行けと言われると、左が気になる



「右へ進んでください。」

そう言われると、なぜか左が気になってしまう。

反抗したいわけではない。

ただ、「左には何があるんだろう?」と考えてしまう性格なのだ。

子どもの頃からそうだった。

みんなが集まる場所よりも、人があまり行かない場所。

人気のものよりも、「まだ誰も気づいていないもの」。

そんなものに、私は昔から心を惹かれてきた。

もちろん、その道が正しいとは限らない。

遠回りをすることもあるし、失敗することもある。

それでも、寄り道をしたからこそ見られる景色や、出会えるものがあることを私は知っている。

シーグラスとの出会いも、まさにそうだった。

多くの人が海を眺めながら歩く中、私は足元ばかり見ていた。

すると、誰かが見過ごした小さな宝物がたくさん落ちていた。

ほんの小さなガラスの欠片が、私に新しい趣味と創作の楽しさを教えてくれた。

投資も少し似ている。

話題になっている会社を追いかけるよりも、「この会社にはどんな未来があるんだろう」と、自分で調べて考える時間が好きだ。

メダルゲームでも同じだ。

人気の台に人が集まっていると、私はなぜか空いている台が気になってしまう。

「もしかしたら、こっちのほうが面白いかもしれない。」

そんなことを考えながら遊ぶ時間が楽しい。

もちろん、予想が外れることもある。

でも、自分で考えて選んだ結果なら、不思議と納得できる。

最近思う。

みんなが右へ進む中で、あえて左を選ぶことには、大きな価値があるのではないかと。

みんなと同じ景色を見ていては、見つからないものがある。

誰も歩いていない道だからこそ、新しい発見がある。

誰も気づいていない価値が眠っている。

ビジネスでいう「ブルーオーシャン」も、きっとそんな場所から生まれるのだろう。

振り返ってみると、シーグラスも、投資も、メダルゲームも。

私が夢中になったものは、不思議なくらい「少し違う視点」から見つけたものばかりだった。

だから私は、子育ても同じなのではないかと思っている。

親の言うことを何でも素直に聞く子が「良い子」と言われることもある。

でも私は、娘には「自分で考えて、自分の意思で道を選べる人」になってほしい。

もちろん、人に迷惑をかけたり、危険なことをしたりするのは違う。

だけど、「どうして?」「私はこう思う」と、自分の頭で考えられる人であってほしい。

親の役目は、子どもの歩く道を決めることではない。

選択肢を示し、迷ったときにそっと背中を押してあげることなのかもしれない。

右へ行く人がいてもいい。

左へ行く人がいてもいい。

大切なのは、人に言われたから選ぶのではなく、自分で考えて選ぶこと。

だから私は、これからも「みんなが行くから」という理由だけで道を決めることはないだろう。

自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の心が「こっちだ」と感じた道を歩いていきたい。

その先には、誰かがまだ見つけていない宝物や、新しい景色が待っているかもしれない。

そして娘にも、いつか「人と同じだから安心」ではなく、「自分で選んだ道だから後悔はない」と胸を張って言える人生を歩んでほしい。

もしかしたら、その一歩が、誰も見たことのない未来につながっているのかもしれないのだから。





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