【創作長編小説】天風の剣 第181話
第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
― 第181話 最後の砦 ―
洞窟の入り口は、大きな護符の描かれた、神聖な麻布で覆い隠されていた。
その麻布は、魔除けの力のある特殊な原料や染料を使い、特別な日取りや儀式にのっとった方法で織りあげられ、そして魔導士たちによって長年拝まれ続けてきたものだった。その麻布が、守護軍の強い結界内でも、さらに強い護りの効力を生んでいる。
たった一枚の薄い布が、こちら側とあちら側を仕切る扉の役割を担う。いわば、最後の砦を意味していた。
その入り口の前に、魔導士オリヴィアは立つ。
空間をある程度自由に移動できる様子の、四天王オニキス。まさか、いきなりここに侵入されることはないと思うけれど――。
オリヴィアは、そう思いながらも、最高位の魔導士である自分が今いるべき場所は、最後の砦の前と考えていた。
オリヴィアのほかには、精鋭の魔導士たちがいた。年若い者も、年老いた者も、男性も女性もいる。いずれも、魔法にかけて相当な実力の持ち主だった。
麻布の向こうの四聖たちは、変わらず祈りを捧げ続けている。
洞窟の中は、魔法により、外界の情報が遮断されいる。入り口付近で戦闘が起きても、四聖たちには決して伝わらない。
麻布の向こうとこちらは、世界が違っていた。
それは、突然だった。
オリヴィアや魔導士たちは、迫り来る魔の気配を察知した。
ゴゴゴゴゴ……。
地の底から不気味な音がし、凍り付いた地面が、揺れる。
オリヴィアは、手にした魔法の杖を、足元に向けた。
なにかが現れようとしていた。
「氷下封土……!」
オリヴィアが、呪文を叫んだ。
オリヴィアの魔法の杖から、金の光が降り注ぎ、地面に幾重もの金色の円を描き、波紋のように光が広がっていく。
オリヴィアの周りにいる魔導士たちも、口々に魔法の呪文を唱えた。
「我らの念よ、清き光の壁となれ! 邪悪な魂、聖なる場所に現れること叶わず……!」
オリヴィアや魔導士たち、強い封印の魔法が狭い空間内に渦巻く。オリヴィアの長い髪が、風に吹かれたように揺れる。
オリヴィアは、ハッとした。
この感じ、跳ね返ってくる手ごたえ……。地上に現れようとしているのは、オニキスではない――!
魔法の杖を持つ右手が、震える。オニキスではないとしても、想定していたよりも数段力が強い、そのように感じていた。
「うっ……!」
ついに、大きな音を立て、氷や土が弾け飛ぶ。
地面の下から現れたのは、太い腕、耳まで大きく裂けたような口の、従者。
「人間ども。一応名乗ろう。俺の名は、黒裂丸」
黒裂丸と名乗った従者は、そう告げてから、大きな口をさらに大きく広げた。
「まあ、俺の名を知ったところで、お前らが無事生き残れるかどうか、疑問だがな」
魔導士たちが、攻撃呪文を叫んだ。黒裂丸に向け――。
オリヴィアの全身が、総毛立つ。
オニキス――! 彼もここに来る……!
黒裂丸の体に、いくつもの鋭い光が当たる。黒裂丸の体のあちこちから煙が上がり、血が噴き出る。魔導士たちの攻撃魔法が命中しているのだ。
「聖印縛呪……!」
オリヴィアは、黒裂丸とは反対のほうを向き、呪文を発しながら魔法の杖を振り上げた。
なにもない空間に、洞窟の前にかかっている布と同じ護符の形が、金色の光で刻まれる。
オニキス……! 少しでも長く、彼を封じる……!
実際目の前に現れる前に、空間を閉じる――。地面の下から現れた、先ほどの黒裂丸とは違い、この世界に実体化する前に封じることは、魔法としては比較的容易だった。
相手は四天王だが、現れる前なら有効だろうとオリヴィアは考える。
「ふうむ。さすが、深部にいる人間ども。なかなか骨があると見える」
オリヴィアの背の向こうから、聞こえる黒裂丸の声。
オリヴィアは、信じていた。
ここにいる魔導士仲間たち。彼らは高い能力を有し、充分背中を預けられる者たちだと、信じていた。
「だが、申し訳ない。俺は早く、中に入りたいからな。生きていたければ、ここから立ち去れ」
背後から聞こえる、黒裂丸の声。
続く、魔導士たちの攻撃呪文。光が明滅し、激しい音、爆風を感じる。
しかし、聞こえてくる黒裂丸の声の調子は、淡々としていた。
まるで、なんのダメージも受けていないよう――。
「お前らの攻撃では、大したダメージにはならん。放っておいてもどうということもないくらいだ。しかし、これから来る四天王たちとの戦いでは、ほんのささいなことが致命的な結果に繋がるかもしれん。だから、容赦しない。警告だ。命が惜しい者は、去れ」
オリヴィアは、オニキスを封じる術に集中していた。
攻撃呪文は止まない。魔法で充満した空気。人の動く気配はない。
誰一人、逃げようとはしなかった。
一瞬、オリヴィアの心をよぎる、思い。
逃げて。
四聖を守らなければならない使命。四聖を守りたい気持ち。
守護軍が守らなければ、誰が四聖を守るのか。
だがオリヴィアは、一人でも多く生きて欲しいと願っていた。
卑怯者なんて思わない。生き残る道を探る、そんな人たちがいてもいい――!
オリヴィアは、叫ぶ。
「逃げて! ここは、私が――」
瞬間。鈍い音。オリヴィアのあらわになった首筋に、耳に、手に、熱いものがかかる。
え……。
オリヴィアは、振り返る。
みんな――!
攻撃呪文が止んでいた。
濃密な魔法の空気は途絶え、冷え冷えとした空気。
オリヴィアの耳に、自分の呼吸音が響く。
立っている者は、いなかった。背を向けていた者も、いなかった。
皆、戦っていた。逃げる素振りを見せた者はいなかった。最期の瞬間まで戦い続け、そして散っていった。
オリヴィアの全身にかかった熱いものが、皆の血であることは、確かめるまでもなかった。
「女。お前がオニキスを足止めしてるのだろう。お前は、そのままにしておく」
黒裂丸は、護符の描かれた麻布に手を伸ばす。
バリバリバリッ……!
黒裂丸と麻布の間に、激しい火花が散る。
「ふむ。また結界か。これはかなり時間と手間をかけて練ってあるな。繊細で、隙間がなくて、大したものだ。戦いではなく、こういう人間の作った道具って、俺は苦手なんだよなあ。まあ、力で押してみるか」
黒裂丸がそう呟いたとき、離れた場所から、人々の怒声と呪文を唱える声、衝撃音が聞こえてきた。
黒裂丸、オニキス以外の敵、侵入者がいるようだった。
私は――!
一人で戦っても構わないとオリヴィアは思っていた。しかし、オニキスに向け術を送り続けることで、精一杯だった。
強い術を行使し続けるオリヴィアの体が、震える。
大きなエネルギーを使い過ぎて疲弊し、倒れそうになる体を、両足で踏ん張り必死で支えてこらえる。全身から大量の汗が噴き出し、かかった血と混じり、ゆっくりと流れ落ちる。
麻布と黒裂丸の間の火花は、より一層激しくなる。黒裂丸の力が、あきらかに押していた。
誰か――! キアラン……!
黒裂丸を止めることも叶わない。オニキスを足止めすることも完ぺきではなく、一時しのぎに過ぎない。そのうえ、新たな侵入者――。
四聖を、お願い――!
オリヴィアは、唇を噛みしめ、心の中で叫んだ。
全身の震えが、大きくなる。
噛みしめた唇から、血がにじんでいた。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
