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【短編小説】チョコ造りのみこと

 バレンタイン前日、台所は甘い香りに包まれていた。

 高木君に、渡すんだ……!

 みことは、期待と緊張に胸を高鳴らせながら、中火にかけた雪平鍋を見守っていた。
 初めての生チョコ作りに挑戦していた。
 明日の放課後、憧れのクラスメイトの高木に渡し、告白するつもりだった。
 告白のそのときを想像し胸をときめかせつつ、雪平鍋に入れた生クリームを沸騰直前まで温める。

 よし。沸騰直前ってこれくらいだな。生クリーム、準備整いました!

 みことは雪平鍋の持ち手を掴み、刻んだチョコレートの入ったボウルに、「準備万端生クリーム」を注ぎ始めた。
 ボウルから柔らかな湯気が立ち昇り、チョコレートと生クリームが融合した、そのとき。

 ふはははは。

 男の笑い声が響き渡った。

 なにごと!?

 みことは目を見開き、床に尻餅をついた。
 異変は、笑い声だけではなかった。
 どういうわけか、黒い衣装に身を包んだ謎の男が、目の前にやたら堂々と、仁王立ちしていたのである。

「我が名はガナッシュ・ユキヒラアタタメーノ。チョコレートの悪魔だ」

 仁王立ち男は、甘い蒸気の中、常軌を逸した自己紹介をした。
 確かに、そのいで立ちは頭の上に盛大なカーブを描く長い角、背に黒い翼、先端が矢印状の長い尻尾らしき物体を背後に揺らしていること、悪魔と名乗るだけの悪魔らしい様相だった。
 そして、長身でスタイルがよく、非常に整った顔立ちで見栄えがよかった。悪魔要素がなければ、モデルか俳優で通せそうだった。一目で男女問わず魅了するような外見で、悪魔的と言えば悪魔的だった。

 こ、こいつ……! とんでもねえ……! 悪魔だってさ、悪魔……。

 しかも、「チョコレートの」、と但し書きが付く。
 みことは口をあんぐり開けたまま、ガナッシュなる自称悪魔を見上げ、ひとことも言葉を発せられないでいた。

「我を呼び出したる者。貴様の願いをひとつだけ、叶えてやろう」

 みことが黙っていることをいいことに、悪魔不審者は話を切り出す。

「よ、呼び出した……?」

「ああ。そうだ。貴様の召喚の儀式は成功したのだ」

 召喚の儀式―っ!?

 ただ、生チョコレートを作ろうとしていただけだった。それが、悪魔召喚の儀式とは、これいかに――。

「しょ、召喚の儀式なんてしてないっ。材料だって普通だし、私はただ高木君に――!」

 みことは必死に首を左右に振って否定した。純粋な恋ゴコロを、変なものに変換されてはたまらない。
 ガナッシュはみことと雪平鍋を交互に見つめてから、ゆっくりと宣告した。

「貴様の秘められた特殊能力と、その雪平鍋の秘められきれない謎の力の合わさった結果なのだろうな」

 私と、雪平鍋……!

 生クリームと刻みチョコは無罪だった。雪平鍋、秘められきれず。

「さあ。言え。貴様の願いを。貴様の魂と引き換えに、なんでも叶えてやろう。これは契約だ」

 魂と引き換え……。キタコレ、絶対やばいやつ!

「あなたと契約なんて、するもんですかっ! 絶対!」

 いつの間にか、みことはガナッシュを本物の悪魔と信じていた。
 ガナッシュが無事悪魔と信じてもらえた瞬間だった。

 あの雪平鍋で、これからは絶対調理しない……!
 
 雪平鍋との決別の瞬間でもあった。



 ガナッシュは、家族からは見えないらしい。

「みことー。早く望みを言え。世界征服でもいいんだぞ?」

 テーブルを囲んでの家族団らんの夕食の際、みことの頭上からガナッシュは囁き続ける。ガナッシュの声も、みこと以外には聞こえないらしい。
 みことは無視を貫いた。そしてご飯をおいしくいただいた。

「我も食べたい」

 ガナッシュがそう言ったので、家族にばれないよう、こっそりお裾分けもした。しかし、基本無視だった。ガナッシュは、おいしいと感激していたが、無言でうなずき返すのみにした。

 うむ。

 黙してただうなずく。まるで寡黙で寛容な師匠の、弟子に対する振る舞いのようになってしまっていた。
 ガナッシュは登場してからずっと、みことの後をついて回っていたが、風呂やトイレにはついてこなかったので一応のマナーはあるようだった。その様子にも、みことは黙ってうなずく。みこと、ますますなにかの師匠感が増す。
 部屋に戻りラッピング済の生チョコを――ガナッシュがなんだかんだ契約契約と話し掛け続けていたが、みことは鋼の意思で生チョコを完成させ、ラッピングも完了させていた――、カバンに入れた。

「恋の成就を助けてやろうか?」

「ノーサンキュー、ノーサンキューベリーマッチ」

 秒で否定した。 
 明日は大事な告白である。色々ツッコミたい点、明らかにしたい点はあるが、とりあえず美容と健康と明日の健勝を考え、寝ることにした。

 下手に「私の前から消えろ」とか命じたら、それが願いってことで契約になっちゃいそうだもんなあ……。

「おやすみなさい」

 一応、挨拶はした。

「うむ」

 さっきとは逆に、ガナッシュがうなずく。ガナッシュの師匠感が出た。
 ガナッシュはどうするんだろうと薄目で確認したら、すでにガナッシュは床の上で眠っていた。

 寝んの、早っ。

 武士の情けとばかり、ガナッシュにも布団を掛けてあげた。



 学校ではまず、友チョコ交換会を行う。

「みこと、放課後渡すんだよね」

 親友のことはが聞いてきた。ことはは彼氏持ちなので、今日は安泰である。

「がんばれ、みこと」

 大の仲よしの、ゆめかがみことをハグした。ゆめかは今、恋愛はお休み中とのことだ。

「そいじゃ、今日は帰り、ばらばらやねえ。おのおの、健闘を祈るっ!」

 ちょい悪友の、きさらが敬礼のポーズをとる。派手目で明るいきさらには、たくさん男友だちがいる。恋に関してはあまり明かしてくれないのでわからないが、たぶん今彼氏はいないようだ。

「ありがとう。ことは、ゆめか、きさら」

 友人皆の言葉に、より勇気が湧く。

「我ならすぐに、叶えてやれるのに」

 背後にガナッシュが、湧く。というか、学校までしっかりついて来ていた。
 つかつかと、背後から誰かが近づいてくる気配がした。なにか、とても慌てている様子――。

「みことさん、あの……!」

 えっ。

 みことは飛び上がらんばかりに驚いた。ガナッシュのときの驚きは尻餅だったのに、今度は舞い上がらんばかりだった。

「た、高木君……!」

 声を掛けてきたのは、高木だった。高木はふだん女子とほとんど会話をすることはなく、必要があるときでも必要最低限の答えのみといった具合だったし、休み時間はいつも一人で本を読んでいるようだったので、なかなか話すきっかけがなかった。そんなわけで、みことはいつも離れたところから彼を目で追っていた。その彼が、まさかこれから告白しようとする今日このとき、話し掛けてきてくれるとは――。

「みことさん。ちょっと話が訊きたいんだけど……。放課後、話せないかな? できれば二人きりで――」

 キタコレ!

 秒で、うなずく。ことは、ゆめか、きさらは、というと、潮が引いたみたいに一斉にその場から離れていた。そして、教室の隅からこちらに向かって親指を立て、笑顔で目配せしてくれていた。

 ご配慮ありがとう、友よ……!

 ガナッシュがそのとき、どうしていたか、どんな顔をしていたかはわからない。みことは喜び爆発、それどころじゃなかったのだ。

 夕日に染まる校舎、みことと高木は、中庭のハナミズキの前に来ていた。

「た、高木君。訊きたいことって、なあに……?」

「単刀直入に言う! みことさん、その――」

 みことは、いつでもチョコを渡せるよう、しっかりとカバンを持つ。

 どきどきが、止まらないよ。

 まだ冷たい風が、ひとりでに熱くなった頬を撫でる。告白のときは、いつ来るのか。なんといっても今日は天下の二月十四日である。高木のほうから、告白してくれる流れなのではないか――。高木の言葉に自分は頬を染め小さくうなずき、あとはただチョコを渡すだけ、頭の中、そんなシュミレーションを組み立てていた。
 高木は、みことの背後を指さした。

「その悪魔、僕にくれ……!」

 は?

 風が、止まった。

「僕には、見えるんだよ……! それ、悪魔なんだろ……? 初めて見た……! みことさん、僕にはずっと叶えたいことがあるんだ! 君にはまだ魂を売り渡す覚悟ができないから、ただそうして悪魔を連れて歩いてるんだろ? だったらもう覚悟のある、いや、もはや覚悟しかない僕に譲って――」

 高木君、なにを、なにを言ってるの……?

「僕の願いは、世界征服なんだ……! 悪魔の力が必要なんだ!」

 世界が、モノクロになったのかと思った。さっと、血の気が引いていく。貧血なのだろうか、めまいがする――。

「僕の願いが叶ったあかつきには、ちゃんと君にもいい思いを――」

「ばかっ!」

 みことはカバンをフルスイングした。見事カバンは高木の胸元に当たり、中の生チョコの安否が疑われた。

「いて、みことさ……」

「知らないっ! さよならっ!」

 みことは駆けだした。物静かで知的な印象の高木が、物騒で大ばか者だったとは――。
 走ってしばらくして、頬を涙で濡らしながら振り返ると、ガナッシュと高木が話し込んでいる姿が見えた。

 あの、ばかとばかが……!

 心の中、ガナッシュと高木、ダブルでまとめてばか扱いした。
 大急ぎ戻ってガナッシュの襟首を掴む。

「私について来るんじゃなかったの? 私、帰るんだけどっ!」

 高木がなにか言おうとしたが、無視してガナッシュを引っ張って帰る。高木に契約され、世界征服なんてされたらたまったものじゃない。

 うああああん。

 帰宅後、ベッドに突っ伏して泣いた。
 泣きながら、作った生チョコを自分で食べた。

 うう、まず……。

 失恋の味がした。
 失恋の痛みというより、自分の見る目のなさに泣けた。

「我は、貴様に呼び出されたのだ。他の者の願いなど叶えん」

 ガナッシュの声が、心なしか穏やかで優しい響きだったような気がした。

「……チョコ、食べる?」

 訊いてみる。胸が痛くて、一人で食べきる自信がなかった。

「食べる」

 ガナッシュは、生チョコを食べてくれた。

「うまいぞ」

「まずいよ」

「恋の願い、望まなくてよかったな。あれは、貴様が想い焦がれるような男ではなかったのだろう?」

 ガナッシュが慰めたつもりかどうかわからないが、みことが食べなかったぶんの生チョコを、全部食べてくれていた。
 夕日色の部屋で、ただ並んでチョコを食べた。



 三月十四日。ホワイトデーに、世界は一変した。

「まさか……、こんなことになるなんて……」

 ことはが、息を切らしながら歩く。

「悪夢だー、悪夢―」

 ゆめかも、肩で息をしていた。

「マジ信じらんねー、くっそ、高木のやつ……!」

 きさらが、ふらふらの足で悪態をつく。

 こんな、こんなの……、許せないよ……!

 みことは、怒りで震えた。
 彼女たちは、巨石を運ばされていた。彼女たちだけではない、町の人、国中の人、世界中の人がそうさせられていた。
 世界は、高木に支配されていた。

『高木ピラミッド』

 世界征服の証として、人類は各地にピラミッド建設を強いられていたのだ。

「ふふふ。頑張っているな、皆の者……」

「高木……!」

 現れたのは、高木。そして彼の背後には、黒いドレスを着た、長い黒髪の美女――。
 美女の頭には、長く大きな角、そして背には黒い翼、そして尻尾があった。

「あ。妹」

 ガナッシュが美女を指さし呟いた。

 妹……?

 みことは腰を抜かさんばかりに驚いた。

「そうか。これはあいつの仕業だったのか」

 ガナッシュがなるほどとうなずいたそのとき、なるほどじゃねえ、とみことはガナッシュを張り倒しそうになった。

「ガナッシュ、あのとき高木にあの妹悪魔を紹介してたの!?」

 みことはつい叫んでしまった。ガナッシュの姿も妹悪魔の姿も見えないことはたちは、なんのことかときょとんとした。

「みことさん。違うよ」

 ふふ、と薄笑いを浮かべつつ、高木が否定した。

「僕はただ、あのとき彼の召喚方法を訊いただけだよ。バレンタインチョコを作る過程で呼ばれたとのことだったから、ピンときたんだ。僕の悪魔術の知識を活用しつつ、ホワイトデー、その前日の菓子作りで召喚できるんじゃないかって考えたんだ。見事、成功した。まさか、彼女が彼の妹とは知らなかったけど――」

 ホワイトデーの菓子作り……!

 みことが衝撃を受けている中、ガナッシュの妹が自己紹介した。

「うふふ。私の名は、クッキー・ユキヒラアタタメーノ」

 妹悪魔は、クッキー・ユキヒラアタタメーノという名だった。

 クッキーに、雪平鍋は関係ないのでは……!?

 そこはオーブンアタタメーノじゃないのか、とツッコミたくなったが、そういえばただの苗字か、とみことは一応納得した。
 クッキーは、屈託のない笑顔で打ち明ける。

「高木の悪魔知識と強欲と、高木家オーブンの隠しきれない悪魔的力で私は呼ばれたの」

 あ、高木って苗字呼びなんだ、そして雪平鍋は関係なくて、やっぱオーブンがポイントだったのか、と変なところに意識が向いてしまった。

 そんなことより……!

 みことは、ついに決意を固めた。

「ガナッシュ! 私の願い、決まったよ……!」

 みことはガナッシュの瞳をまっすぐ見つめた。

「今すぐ! 世界を元通りにして! 高木なんかに支配されない、元通りの世界に戻して……!」

 ガナッシュの口元に、微笑みが広がる。

「契約成立。みこと。あなたの、魂をいただきます」

 みことさん、必死の形相で高木が叫ぶ。お兄様のお力なら仕方ありません、とクッキーが肩をすくめる。
 ガナッシュの瞳が、燃えるような輝きを放つ――。
 風が吹き抜ける、そんな間もなかった。

「我らは反抗軍……! 高木。お前を確保する……!」

 どこから出てきたのか、反抗軍という旗を持った軍勢が現れ、あっという間に高木は連れ去られて行ってしまった。
 みことさーん、小さく耳に届く高木の叫びだけを残して。



 世界は、秩序を取り戻した。世界はそれぞれの国が治め、色々問題はあるが、平穏が訪れた。
 そして、三百年の歳月が流れた。

「契約、いつ果たす気なんだ……?」

 呆れ声で、ガナッシュが尋ねる。

「私が死んでからでしょ」

 みことは、涼しい顔で答えた。

「悪魔か」

 ガナッシュは天を仰いだ。
 魂をもらう、それは肉体から魂が離れた瞬間果たされることだった。
 あれからずっと、みことは変わらず生きていた。
 
「私が死ぬまで、あなたは一緒にいるの。あなたに嫌気がさして、あなたから立ち去るのなら話は別だろうけど」

「魂をいただくなら、死んでからも一緒だがな」

 くすっ、とみことは笑う。

「じゃあ、どっちにしろ一緒じゃん」

「まあな」

 三百年前、高木の天下が敗れた、あのすぐあと。
 みことは雪平鍋とチョコにもう一度賭けることにした。

 雪平鍋、もう二度と使わないなんて言って、ごめん……! どうか、力を貸して……!

 悪魔との契約、きっと自分はすぐ死んでしまい、自分の魂はガナッシュに連れ去られるんだろうと思った。

 ことは、ゆめか、きさらと別れるなんて嫌だよ……! 私、もっと生きたい……!

 みことは、雪平鍋に祈りつつ生チョコを作る。
 そして、奇跡が舞い降りた。
 雪平鍋は、生チョコではなく不老不死の妙薬を生み出したのだ。

 ことは、ゆめか、きさら。天国で、会えなくてごめん。

 今年も、友チョコを買う。とっくに旅立った、彼女たちを想って。
 三百年の間、友だちはたくさんできたが、あの子たちとの思い出は特別だったとしみじみ思う。共に巨石を運んだ仲、だからだろうか。たぶん、それだけではないが。

「ガナッシュ。食べる?」

「食べる」

 ガナッシュは速攻でチョコを受け取る。

「おいしいね」

 みことが微笑むと、

「うまいぞ」

 ガナッシュが微笑を返した。
 移住した月の自宅、月の砂でできた部屋の中、並んでチョコを食べた。
 青く輝く地球を眺めながら。

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