【創作長編小説】海竜のイルムと空びとのリーフ⑦
第7話 ふたつのよきことを知れた
南の反対は、北。
そんなわけで、ニンゲンの姿に絶賛変身中である海竜のイルムと、空びとの少年リーフは、北の方角へ向け歩き出す。
それにしても。毒、という不吉な言葉。
イルムは、先ほどのリーフの言葉を思い出す。そして、衣服の下、自身の胸元に下げられた魔法石へ手を当てた。
私を変身させ続けているこの石には、そんな恐ろしい面もあるのか。
「この先、ソルは大丈夫だろうか」
魔法石は、地びとにとって毒になる、そんな話をリーフは打ち明けていた。イルムは、地びとであるソルの身を案じる。
「え」
緩やかな傾斜の坂道から続く緑の森へと足を踏み入れようとしていたリーフは、イルムの呟きに、思わず足を止める。
「地びとたちにとっては毒となる魔法石を、ソルが手に入れてしまったら、命が危ないのではないか」
心配するイルムに対し、リーフは違うよ、と微笑んだ。
「毒、というのはたとえ、だよ」
「たとえ?」
うん、とリーフはうなずく。
「本物の毒というわけじゃないよ」
「でも、手にするニンゲン本人や、最悪の場合、地びとの社会全体も壊してしまうと――」
「魔法石自体には、悪い力も、よい力もないよ。使いかた次第。問題はニンゲンの欲、なんだ」
「欲……?」
ゆっくりとうなずいたリーフは、少し悲しい顔をしていた。
「欲ってね、ニンゲンの心を変えてしまうんだって。よいほうにも、悪いほうにも。先生が、言ってた。本人は、あまり気付かないんだって。知らないまま、どんどん違う方向へ歩いて行っちゃうんだって。よいほうへ進めるならいいけど、多くのニンゲンは、欲を悪いほうへ大きくしてしまうんだって」
「ふむ?」
イルムはちょっと考えた。リーフの言わんとするところが、よくわからなかったのだ。
わからないから、イルムは、身近な例にたとえようと思った。
たとえば。
こめかみに手を添え、考えてみる。イルムはとりあえず、よく理解するために、自身にとって身近な海の生物に話を変えてみようと思った。
物を持つということ。そういえば、イソギンチャクを持ったカニがいたな。彼らは手にしたイソギンチャクを振りかざし、敵を威嚇し身を守っていた。
イソギンチャクを両手に持つ習性のカニにたとえることにした。
とびきり珍しく大きなイソギンチャクを持ったカニがいた。が、だからといって他のカニが困るわけでもカニ社会が壊れるわけでもないように思えたが……。
いや待てよ、とイルムは思いなおす。イソギンチャクを持ったカニの種族は、皆イソギンチャクを持っていた。ということは、このたとえは魔法石には当てはまらない。前提として地びとたちは、そのほとんどが魔法石を持っていないのだ。
と、いうことは。物を所持しないのが通常の海洋生物の中で、特別な物を持っている特殊な個体について考えなければならない。
ふむ、とひとりうなずく。そして、新しい考えをそのまま口にした。
「私は今、イソギンチャクを持ったカニではなく、今まで決して見たことのない、カニを持っているイソギンチャクについて考えなければならないのだ」
イルム、絶対なるレアケースを思いついてしまう。カニ、イルムの脳内で、非情にもイソギンチャクに振りまわされる。
「イルム、それなんの話?」
あきらかに呆れた様子のリーフに、イルムはようやく自らの過ちに気付いた。
「そうか。それも違うか。今はカニとイソギンチャクから離れなければならない。名残惜しいが」
なぜか、名残惜しかった。頭の中に思い出されたカニもイソギンチャクも、ちょっとかわいかったのだ。
「そんなことより、ソルだ。ソルは、本当に大丈夫なのか?」
カニとイソギンチャクを沖に置いて、無事ソルへの心配に舞い戻る。
「ソルさんだったら、きっと大丈夫だって思う」
「ソルなら、大丈夫……?」
「うん。きっと、ソルさんは間違えない。人々のために力を使いたい、真剣にそう言ってたから」
「ソルには、毒にならない、そういうことか?」
「うん……! きっと……!」
ソルが大丈夫、その言葉を聞き、イルムはようやく笑みを浮かべた。イルムの笑みに、リーフも笑顔を大きくした。
「イルムは、優しいね」
「え。優しい……? 私が……?」
優しいなんて言葉を掛けられたことがなかった。海の生物たちは皆普通に精いっぱい生きて、やがて普通に死んでいく。それぞれの暮らしが当たり前で、なんとなく気が合って親しくなったり気に入らなくて衝突したりということはあっても、自分は自分、相手は相手、変わることも変える必要もなく、他者への感想や評価など、関係なかったのだ。
「うん! イルムはソルさんのこと、ずっと心配してくれてたんだね……!」
誰かの無事を思うこと、それを優しいというのか。
胸が、あたたかい、と感じた。静かに湧き上がる喜びが、全身を巡るような気がした。
海の向こうから眺めてはいたが、間近に見る木々の緑が、目に沁みるよう。
ソル。本当によかった。
緑の空気を肺いっぱいに吸い込んでみる。想像以上にすがすがしく、とても気持ちよかった。
ソルは無事で、私は優しい。二つのとてもよきことを知れた。
イルムの顔に明るさが広がり、足取りは軽くなっていた。
「イルムは海竜だから、欲がないんだね」
木漏れ日の踊る中、しばらくの心地よい沈黙ののち、リーフはそう口にした。
「欲はあるぞ。食べたいし、寝たいし……。時期が来たら、嫁だってほしくなる」
イルム、まだお嫁さんはいらないらしい。
お嫁さん、とイルムの意外な返答にリーフは目を丸くしたのち、リーフはニンゲンの欲について知っていることを語りだした。
「ニンゲンの欲って、果てがないらしいんだ。だから、ニンゲンは成長し進化し発展していくんだ、でも、間違えると自分たちを追い詰める、とても恐ろしいものなんだって、先生が授業で言ってた」
「ふむ……」
イルムは、その場で腕組みをした。
「ニンゲンは……、難しいのだな」
「やっぱり、欲があんまりないから、ピンとこないんだね」
「空びとは、地びとと違って大丈夫なのか?」
今度は、リーフが考え込む番だった。
「魔法石については、大丈夫なんだけど。他の面では、どうかなあ。地びとさんの考えとか、欲の恐ろしさとかわかる気がするし。きっと……、あまり違わないんだと思う」
鳥の声が響く。日も傾いてきた。そろそろ、今晩のねぐらについて考えなければならない。
自然の恵みの豊かな森だった。リーフの魔法の力で、夕食になるおいしくて栄養たっぷりの木の実や草やきのこを、たくさん見つけられた。イルムのけた外れの運動能力で、小動物や鳥などを捕まえてもよかったが、今夜は植物たちでおなかいっぱいになれそうだ。
夜のとばりが降りる。集めた木の枝に、リーフが魔法の火をつけた。たき火の完成である。
「あのね」
焼けたきのこのよい香り。揺れる炎を見つめつつ、リーフが語りだした。
「僕の親友、マルテは空びとのお母さん、地びとのお父さんから生まれた子なんだ」
旅の目的、リーフの探すマルテは、空びとと地びと、両方の血を継ぐ少年だった。
◆小説家になろう様掲載作品◆
