【創作長編小説】天風の剣 第196話
第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
― 第196話 満ち足りた夕暮れ ―
『まだ、間に合います』
キアランの心へとまっすぐ届く、天風の剣「アステール」の声。
アステール――。
シルガーに抱えられ、空にいるキアランの目には、暗い雪空に輝きながら浮かび上がる美しい青年、アステールの姿が見えていた。
『私を掲げるのは、空の窓が完全に閉じるその前まで。空の窓はまだ、開き始めたばかりです』
特別な時間が幕を開け、アステールの力が高まっているのだと、キアランは理解した。
もっと早く、お前と自由に話がしたかった。
キアランは心の中で、天風の剣に言葉を掛ける。
微笑み、首を左右に振るアステール。
『私の心は、キアラン、あなたと一緒でした。言葉がなくても、私たちは、深く繋がっていました』
アステール、とキアランはその名を口にする。自分が天風の剣につけた、その名を。
天風の剣が、光を放つ。
『私の力で、四天王オニキスを』
天から降り注ぐ、金の粉。それは、通常の人の目には見えない、神秘のエネルギー。
ノースストルム峡谷だけではなく、今、この瞬間、世界中の空から地上へと落ちていく。
百年に一度の特別な星位「空の窓が開く」、そのときがきた。
世界中の魔の者が空を見上げ、世界中の不思議な力を持つ者たちが、祈りを捧げた。
「いよいよ、始まるようだな」
右腕にフレヤ、左腕にアマリアを抱えたオニキスが、天を仰ぎ呟く。
ついに待ち望んでいたときが来た……!
四聖、そして己の心を揺らがせるアマリアも手中にある。「空の窓が開く」、奇跡の時間にすべてのお膳立てが整った、運命に選ばれたのは自分だ、とオニキスは確信した。
攻撃魔法が、オニキスの体に当たり、明滅し、オニキスの長く艶やかな黒髪を舞い上げ、爆煙が上がる。
「完全に開く前に、四聖、お前の心臓を、もらうぞ」
オニキスの髪の一部は、フレヤとアマリアの体に絡みつくように巻き付いていた。オニキスは、フレヤの首を締めあげるようにしていた右腕をわずかにずらし、長い爪を、フレヤの心臓あたりへと――。
アマリアが、苦しさにあえぎながら、声を上げる。
「やめ、なさい、オニキス……」
オニキスの唇に、笑みが浮かぶ。
「ふふ。悔しいだろう、アマリア。目の前で、お前たちが必死に護ろうとした四聖の命が、四天王である私によって絶たれるのだ」
しかも、とオニキスは付け足す。
「お前はなにもできないまま、生きたまま心臓を取り出され、喰らわれる四聖を、ただ黙って見続けることしか――」
オニキスの言葉は、そこで途切れる。翠が、雪の中から飛び出し、オニキスに攻撃をかけようとしていた。オニキスが衝撃波を放つ。翠は素早くかわしながらふたたび雪の大地へと姿を消す。かわした、といっても、翠の体から皮膚が裂け、血が噴き出していた。
「オニキスーッ!」
シトリンの狙い定めた衝撃波が、オニキスへと放たれる。アマリアとフレヤの間、見事オニキスの胸元の狭い範囲を狙った糸のような衝撃波だったが、到達する間際、オニキスは空へと逃れていた。
金の粉が降り続ける。ゆっくりと、美しい夢のかけらのように。
オニキスの目は、そのとき、アマリアを見ていた。
先ほど、オニキスの言葉が途切れたのは、翠の出現のせいでも、シトリンの衝撃波を予測したからでも、なかったのかもしれない。
オニキスは、先ほどから、見つめていた。
アマリアの涙をたたえた瞳を。濡れた、頬を。
「なぜだ」
オニキスの口から、意図せず漏れ出る言葉。
金の粉が、オニキスの瞳にも映っている。そんな奇跡の輝きより、オニキスの瞳は、ただ一点を捉えて離さない。
アマリアの、流れ落ちる涙。
「お前は、どうして――」
オニキスは、言葉を探しているようだった。
アマリアの首をしめつけていた腕が、わずかに緩む。そして、オニキスの長い指が、アマリアの頬を這う。
涙のぬくもりを、確かめるように。
「お前と関われれば関わるほど、私は自分を見失う。いったい、私は――」
「お前は、いったいどうしたいのだろうな、本当は」
ハッとし、我に返るオニキス。オニキスの目の前には、四天王シルガー。
「貴様か! 貴様など、木っ端みじんに吹き飛ばしてくれる!」
オニキスが、衝撃波をシルガーに向け放ったその瞬間――、
鈍い音。上がる、血しぶき。
「な、に……」
オニキスは驚き、自分の胸元を見る。
オニキスの胸元から、長く突き出る刃。
肩越しに振り返る、オニキスの瞳に映ったのは――。
「キ、アラン……!」
天風の剣を手にした、キアランだった。
「オニキス。お前もこれで、最期だ――!」
背から、オニキスの急所を刺し貫き、突き破る天風の剣。
「いつの間、に――」
花紺青が地上からシラカバの幹を操り、それに飛び乗っていたキアランが、背後から天風の剣でオニキスを突き刺していた。
高次の存在、オーレの命を取り込んだオニキス。さらに強固となったオニキスの肉体だったが、四天王、人、そして高次の存在であるカナフの三つの力で生まれた天風の剣を、防ぐことは叶わなかった。
『カナフ』
ふと、オニキスの耳に、届く声。それは、あのとき取り込んだ高次の存在の声ではなかったか。
もしかしたら、オニキスの中の高次の存在、オーレは、喜んで天風の剣を受け入れたのかもしれない。
「父と母の、仇――! アマリアさんと、フレヤさんを返してもらう――!」
「お前ごときに、私が――」
オニキスの体が、金色に光り始める。
「ば、か、な――! 私は、最高の――」
四枚の漆黒の翼が、オニキスの背から剥がれ落ちる。
「私は、四天王! 翼がなくなるなど――!」
二人を締め上げる髪が緩み、オニキスの腕から、フレヤ、アマリアが滑り落ちる。
「アマリアさんっ! フレヤさんっ……!」
キアランは、渾身の力で、急ぎ天風の剣をオニキスの体から引き抜いていた。
落ちていく、フレヤとアマリア。そして、ほどなく、完全に力を失いつつあるオニキスも、落下し始める。
キアランは、叫んでいた。
「間に合ってくれ――!」
キアランは、白い大地に吸い込まれていくように小さくなるアマリアへと、手を伸ばしていた。
キアランの前に、流れ星のような銀の軌跡。
「よくやったな、キアラン」
キアランを見上げ微笑む、シルガー。シルガーが、アマリアを抱きとめていた。そしてフレヤは――。
「翠、さん――!」
翠が、しっかりと受け止めていた。
ば、か、な――。
地面に広がる、黒髪。そして、黒髪を包む不気味な花のように広がる血。翼のないオニキスが、地面に倒れていた。
降り続ける金の粉とは対照的に、自分の体から、金の光が立ち昇っていくのを、オニキスは見つめていた。
遠ざかる意識の中、歌が聞こえる。
『もうお帰りなさい。あなたの、世界へ』
アマリアの、声。
柔らかな、ぬくもり。
さきほどまで、自分の腕の中にいた、アマリア。締め上げ、いつだって簡単に首の骨を折ることができた。
夕日。茜色の草原。藍色へと、変わりゆく空。
オニキスの意識にある、現実ではない世界。しかし、確かに体験した記憶。
あのとき、私は――。
オニキスは、ぼんやりと記憶の迷路を辿る。
あのとき、私は、アマリアを掴むのではなく、アマリアに包まれていた――?
オニキスは、不思議に思う。
あれほど、乱されていた心が、命の灯が消えようとしている今、すべてが終わり満ち足りた夕暮れのように凪いでいたのである。
オニキスの前に、誰かが立つ。
「四天王オニキス」
誰かの呼び声。
もう、自分は四天王ではない。
四枚の翼がないから、とオニキスは思う。
声の主、目の前に立っているのは、少年。
「お前は――、ゴールデンベリルの――」
うん、とうなずく。花紺青だった。
「伝えておくね。四天王オニキス。あなたの従者は――。最期まで、あなたのことを想っていたよ」
オニキスの金の目が、一瞬大きく見開かれる。
「そう、か――」
「誰にも伝わらない思い。消えていった思い。届けなきゃって、思ってたんだ」
花紺青は、両手の拳をぎゅっと握りしめていた。哀しい目で、ただ、オニキスを見つめる。
オニキスの唇に、浮かぶ笑み。それは、オニキスが初めて浮かべる、とても穏やかであたたかなものだった。
金の粉に埋もれていく。目に見えない、物質ではない金色。実際に埋もれる、ということはないのだが、オニキスは全身を柔らかな輝きに包まれていた。
オニキスは、思う。もう痛みは、遠いところにあった。
不思議だな。あれほど求めていた、揺らがぬ完全な自分が、今、やっと――。
オニキスは、ゆっくりと瞳を閉じた。
雪が、オニキスを覆う。
金の光はもうない。
降り積もる白銀は、永遠の沈黙を守っていた。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
