石井ダムの多目的ホール構想とその結末
石井ダムの多目的ホール構想とその結末
ダムマイスター・コラム 増刊 54 号
永山ダム技術啓蒙研究所
永山 功
1. 「地域に開かれたダム」という名のハコモノ行政
2008 年,神戸市を流れる新湊川に完成した石井ダムは,洪水調節に加えてレクリエーションを目的とした全国でも珍しい多目的ダムである。その建設背景には,1990 年代に建設省(現・国土交通省)が推進した『地域に開かれたダム』という施策があった。石井ダムでは,この施策を拠り所として,ダム堤体内に巨大な多目的ホールを造るという前代未聞の構想の実現化に向けて突き進んだのである。
ダム堤体内に設けられた幅 9 m ,高さ 5 m ,長さ 75 m の巨大な空間は,以下に示すように,市民が集う地域交流の場となる筈であった(写真ー1 参照)。
多目的なイベント空間の提供:ダム堤体内という静粛な環境を活かし,コンサート,ワークショップなどの多目的な用途に施設を開放する
バリアフリーアクセス:ダム天端とホールを結ぶエレベータを設置し,高齢者,子供連れ,車椅子利用者など,あらゆる市民がバリアフリーで利用できる快適な空間を創出する

2. 兵庫県と神戸市の役割分担の曖昧さ
しかし,現実はこれが空虚な構想であったことを露呈した。最大の理由は,設計・建設は兵庫県,運営・管理は神戸市という一貫性を欠いた構図にあった。
建設主体の兵庫県は『地域に開かれたダム』という国の施策に裏づけられて巨大な施設を建設した。しかし,それを運用するために必要となるホールの内装,動線(エレベータ)などの施設整備費やホールの維持管理費をすべて神戸市に押しつけた形で,ホールは神戸市に移管された。
ところが,神戸市は自らが設計・建設に関与していない施設を運営する事業を予算化することができなかった。その結果,現在もエレベータは設置されておらず,ホールへは堤体内の狭くて急な管理用通廊を通っていくしか方法がない。また,ホールの壁はコンクリート面が剥き出しである。このため,ホール利用記録は,石井ダムの試験湛水中に開催された新湊川ウォークというイベントに併せてダムが一般公開され,ホールが参加者に開放された時のみであった(図ー2 参照)。

3. 兵庫県県土整備部の事業事後評価委員会の指摘
このような多目的ホール空間の利用実績について, 2013 年に開催された兵庫県県土整備部の事業事後評価委員会では,次のような指摘がなされている。
堤体内の多目的ホールは,神戸市がダムをテーマにした展示等を行い,広く一般に開放する予定であったが,現状では一般開放に向けた整備は実施されておらず,一般開放されていない。県がダム天端等に整備した展望台や遊歩道など他のレクリエーション施設の利用促進にも寄与することから,多目的ホールの有効活用について,引き続き神戸市と調整していくこと
事業評価委員会は外部有識者によって構成された委員会であるが,兵庫県が提出した資料に基づいて審議が行われているため,多目的ホールの使用実態を委員がどの程度まで把握していたかは明らかでない。それにもかかわらず,評価は厳しいものであった。
4. 事業事後評価委員会後の対応
事業評価委員会の指摘を受け,兵庫県は神戸市とともにホールの活用策を検討した。その結果,現在,ホールは次の 2 つの方法で使用されている。
① 神戸市の遺跡からの出土品の保管
1 つは,神戸市内の開発事業で発見された遺跡(埋蔵文化財)からの出土品(土器など)の保管場所である(写真ー3 参照)。ダム堤体内の安定した温度と湿度が出土品の保管場所として良好な環境を提供しているという。
② 阪神大水害の記録写真等の展示
もう 1 つは,神戸市を襲った水害の記憶を留める場としての活用である。現在,阪神大水害〔*注2〕の記録写真,当時の土石流で堆積した土砂の剥ぎ取り標本などが展示されている(写真ー4 参照)。


しかし,これらの利用方法は適切なものとは思えない。遺跡からの出土品は考古学的には貴重な資料かもしれないが,写真のようにビニール袋に詰められ,無造作に保管されている。阪神大水害の写真展示場所に隣接して保管されているが,市民に公開される状態になっておらず,単なる倉庫としてしか使用されていない。
一方,写真等の展示物について言えば,無機質なコンクリート壁面に無造作に展示され,個々の写真には説明書きもない。多くの市民に見てもらおうという姿勢がまったく見られない。それよりも最大の課題は,この多目的ホールへのアクセスの悪さである。石井ダムは最寄りの神戸電鉄の鈴蘭台駅(または西鈴蘭台駅)ないしは鵯越駅から散策路(山道)を 30 分(約 3 km )も歩かなければ到達できない場所にある(写真ー5 ,図ー1 参照)。勿論,自家用車では行けない。しかも,石井ダムに到着しても,ダムの点検管理用の狭くて急な監査廊を使ってホールへ行くしか方法がない。阪神大水害の記録写真を見るためにどれほどの市民がホールを訪れるだろうか。さらに驚くべきことは,ホールへの入口は施錠して閉ざされている(写真-6 参照)。予め予約しておくか,イベントに併せて訪れなければ,展示を見ることはできないのである。



5. ハコモノ行政からの脱却
石井ダムの多目的ホールは,計画性と予算措置を欠いた事業構想,建設主体と運営主体の間の責任関係を曖昧にした“ハコモノ行政”がいかに簡単に形骸化し,後世に負の遺産を強いるかを示すよい教訓と言える。さらに,事業評価委員会の指摘を受けて実施した現在の運用方法は,とても改善措置とは言えない。むしろ,ハコモノ行政の現状をますます明らかにしている。
あとがき
以下は石井ダム周辺の散策を宣伝するパンフレットの引用である。なかなか素晴らしい散策コースのようである。石井ダムは普通のダムで十分であった。多目的ホールは,散策に異質なものを押しつける無用な存在であったと思えてならない。
* * *
【観光パンフレット】
神戸の新名所を訪ねて・石井ダム周辺散策コース
コース:神鉄鵯越駅~烏原ポンプ場~石井ダム~名号岩~神鉄鈴蘭台駅(約 4 km ,家族向け)
歩行時間:約 1 時間 30 分
ハイキングに絶好の季節となりました。今回は神鉄沿線で最高の渓谷美を誇る菊水山渓谷に完成した石井ダム散策コースを紹介します。
ダム建設のため烏原川沿いに走っていた神戸電鉄有馬線が菊水山の直下約 1.2 km のトンネル路線に移設され,菊水山駅も 2005 年 3 月に休止となっています。神戸電鉄開通当時,菊水山駅は神有耶馬駅とばれたように付近一帯は,岩をけずって白く泡立つ渓流,両岸にそそり立つ奇岩・岩峰,緑いっぱいの自然と三拍子そろった深山幽谷であったと古い資料は伝えています。その烏原川を堰き止め,石井ダムは建設されました。
石井ダムは堤高 66.2 m ,堤頂長 155 m の重力式コンクリートダムで洪水調節を主な目的としています。洪水調節にはゲートがなく人の操作の必要のない自然調節方式を採用し,天王ダムと同じく下流の洪水を防ぐ役目があります。堤体の中には多目的ホールや遊歩道まであるそうです〔*注3〕。
今回のコースですが,神鉄鵯越駅をスタートして,六甲全山縦走路の道標に従って菊水山方面へ向います。
静かな林道を約 10 分ほど歩くと舗装路に合流,左へ折れ歩きます。烏原ポンプ場や鈴蘭台下水処理場を経て,現在は休止中の菊水山駅下の整備された遊歩道を行くと新しい道標があり,直進すると菊水山へ,左に折れると石井ダムです。
神鉄の高架を潜ると前方に巨大な石井ダムが現れます。近づけば近づくほど,その大きさに驚かされます。ダムに近づくと休憩場などがあり,近隣の人々の散歩コースになっています。
ダムの上部へは,堰堤左側の階段を上ります。(足元要注意)約 5 ~ 6 分で上れますが,一汗かいてしまいます。
ダム上部は広々としていて案内板や管理事務所があり,眺めは最高です。
ここから奇岩,奇峰,深い緑が続く菊水山渓谷に新設された舗装路を通り鈴蘭台駅を目指します。名号橋の左手の岩壁に「南無阿弥陀仏」と彫られた名号岩があります。名号岩は昔からクライマーに愛された高さ約 55 m の岩場で,一文字の大きさは約 1 ~ 2 m もあり,約 150 年前に旅人の安全を祈願して僧侶によって彫られたものだそうです。途中,神鉄の線路沿いを歩きますが,上り電車が春風を切って菊水山隧道に吸い込まれて行くように見えます。神鉄鈴蘭台車庫まで来ると,あとは線路沿いに歩けば鈴蘭台駅に到着です。管理事務所から約 40 分ほどです。
神戸の新名所となる,石井ダムへ,足を運んでみてはいかがでしょう。
(神戸電鉄粟生線活性化協議会・作成)
*注 1 :写真ー1 は多目的ホールの 1 例を示したものであり,石井ダムの多目的ホールの構想を表したものではない。
*注 2 :阪神大水害は 1938 年 7 月 3 ~ 5 日にかけて発生した梅雨前線による豪雨災害で,神戸市では 80,000 戸が浸水し,死者 616 名を出している。
*注 3 :「堤体の中には多目的ホールや遊歩道まであるそうです」という説明に注意されたい。 “あります” ではなく “あるそうです” と書かれている。これは,このパンフレットの作成者である神戸電鉄粟生線活性化協議会も,多目的ホールを実際に見たことがないということを意味している。
