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【右脳で鑑賞】 内面の葛藤を丸出しにした絵画作品を見て、人は何を感じるのか?

アマチュア参戦の現代アート展に行くと、必ず、『作者の葛藤を絵画にぶちまけた作品』に最低ひとつは遭遇しないだろうか。

私が今まで出会ってきたこのタイプの作品は、概ね色をありったけ乗せて、場合によっては骸骨やナイフや血等わかりやすい表現を添えて、内面の葛藤を絵画に落とし込み、俺は私は、今とても苦しい!!と叫んでいる作品が多い。

そういう作品に出くわすと、なんだか衝撃波でも喰らったかのように「うっ…!」と一歩下がり、

「でたぞーーー!ここにヤツがいるー〜ー〜〜!」

と思う自分がいる。

たぶん、そういった作品こそが嗜好の観客もいると思う。
きっと、このタイプの絵画専用の真面目な受け止め方があるはずだ。

けれども、私の場合は、真面目な受け止め方を模索する前に、勝手に湧き上がる感想が頭を埋め尽くしてしまう。
私が持つ感想というのは大体こんな感じだ。

「観客がいることを無視しているかのような作品だ。あえてなのか?
作者が見せたい気持ちだけが荒削りなまま前面に出されて、見る側がその的になるような、いや、見させられているような感覚になる。
むしろそれ込みでの作品なのか?毎回このタイプの作品が入賞して展示されるのは、一定の評価があるということだ。

気になるのは、絵なのに、未熟な感情を放ってくるところだ。度々目にするナイフや血等の表現は、あまりにそのまま過ぎると思うが、あえてなのか?有形すぎるモチーフが、抽象的にぶちまけた絵柄と一緒に描かれると、尚のこと、作者の葛藤を未熟なものとして見せてしまう気がする。作者の抱える葛藤が、作品にして叫びたいほどのものであるならば、それが未熟な表現でおさまるだろうか!

そうか、未熟なのが良いという見方もあるのかもしれない。そういう遊び心なのかしれないと思って見直してみよう、いや違う。これは本気で、この表現をしているんだ。

そして大抵でかい…!なぜそんなにでかい絵にしたんだ?!
本気を表すため?!

感情をそのまま絵にぶつけて、それで観客にどうしろと言うのか?
まさか、そういう作品なのか?見る側を的にして、ある種のストレスを与える、そういう作品?まさか、そんなはずはなかろう?」

一連の感情を抱きながら、衝撃波を回避したのち、早足で去る。

このタイプの作品は、観客に対して作者の内面の葛藤を、魅せる形に昇華させないまま放ってくるような、荒削りな感じがある。
見る側は、その衝撃波を受けるわけなので、ある意味では、インタラクティブな作品になっている。

しかし実際のところ、おそらく私が未熟ゆえ、このタイプの作品を味わうだけの器がない。
きっとだが、内面を思春期のような状態のまま丸出しにした作品を、見守って観れる派、全面的に肯定できる派、なども存在するはずだ。
 

他者に感情をそのまま放つ者は、
なにも人間だけではない。
絵画にぶつけられた遺恨の放つ衝撃波を、
あなたはどう扱うか?

 

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