安心を知ってしまった人は、少しだけ切ない。
土曜日。
気を張らずにいられる人と、久しぶりに時間を過ごした。
台風が近づいていた。
空は重たく曇っていたのに、
雨はまだ降っていなかった。
湿った風だけが、
静かに街を歩いていた。
美味しいものを食べて、
たくさん話して、
笑って。
帰り際、
「またね」と手を振る。
その言葉に、
特別な約束はない。
それでも、
帰り道にはもう、
日常の音が少しずつ戻ってきていた。

翌日、
私はほとんど眠っていた。
noteも開けなかった。
何かを書こうと思っても、
身体が動かなかった。
本を読む気にもなれない。
ただぼんやりと眺めていられる動画や、
占い、こころのこと、見えない世界を語る声を、
なんとなく流していた。
未来が知りたかったわけではない。

何かを強く信じたかったわけでもない。
ただ、
言葉にならない何かに、
名前を探していたのだと思う。
最初は、
台風のせいかと思った。
湿度のせいかもしれない。
年齢のせいなのかな、とも思った。
どれも間違いではない気がした。
でも、
どれも少し違う気もした。
張りつめていた糸は、
切れるときではなく、
ゆるんだときに初めて震える。
そんなことを、
ふと思った。
眠っているあいだ、
私は何をしていたのだろう。
身体は休んでいただけだったのか。
それとも、
小さな別れを、
静かに引き受けていたのだろうか。

大人になるほど、
「仕方ない」が上手になる。
「またね」と手を振ることも。
「気をつけて」と笑うことも。
本当は少し寂しいことを、
知らないふりをすることも。
でも、
身体は案外、ごまかされない。
会えた時間が終わったこと。
若さが少しずつ遠ざかること。
身体が季節を変えていくこと。
思い通りにならない出来事が、
世界にはたくさんあること。
台風も。
地震も。
人と出会い、離れていくことも。
どれも、身体がまず知る。
私たちは、
自然の外側では生きていない。
その流れの中で、
今日を生きている。

だから、
安心したあとに、
少し切なくなる日があるのかもしれない。
それは、
失ったからではなく、
「あった」という温もりを、
身体がちゃんと知ってしまったから。
占いの言葉も、
心理学の言葉も、
私には答えではなかった。
ただ、
名前のなかった感覚に、
小さな居場所をつくってくれた。
人は、
理由が知りたいのではなく、
抱えているものに名前がつくと、
少しだけ安心できることがある。
眠ってしまった一日を、
もう責めなくてもいいのかもしれない。
書けなかった時間にも、
ちゃんと意味があったのかもしれない。
もしかしたら私は、
何かを失っていたのではなく、
小さな別れを、
静かに見送っていただけなのかもしれない。
人は、
安心を知ってしまうと、
少しだけ切なくなる。
それでもまた、
人と会いたくなる。

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