第7話:一緒にいるのに、孤独を感じる私ーASDと愛着障害の二人
第7話:彼女の沈黙と彼の宇宙
春、私たちの生活は大きく変わった。
私は誰もが羨む大手総合商社に就職した。周りの期待に応えなければと、背伸びをして男性と肩を並べて働いた。午前中には取引先との交渉に追われ、午後は膨大な資料作成と会議に追われる日々。慣れない環境、複雑な人間関係、そして何より完璧を求められるプレッシャーが、私を常に追い詰めていた。
帰宅すると母から電話が入っていた。
「最近どうなの? 元気でやってるの?」
その優しい声のあとに続いたのは、
「しっかりしなきゃ。仕事も人生も、待ってはくれないのよ」
その一言が、心の奥に突き刺さった。
「私は、もっと頑張らなければ」
私は毎日そう心の中で繰り返していた。仕事も、人間関係も、そして彼との関係も。立ち止まることは許されない。
一方、彼は大学院に進学し、研究に没頭していた。彼の研究室は、彼にとっての理想郷だった。好きなだけ時間をかけて論文を読み、コードを書き、新しい発見に胸を躍らせる。時間の概念は薄れ、太陽の光が差し込む時間も、夜の闇に包まれる時間も、彼にとってはただの「研究時間」だった。彼との連絡は、以前のように毎日ではなくなった。
「会えるの、来月の第3土曜日でいいかな?」 「うん。大丈夫だよ。研究が忙しいんだね」
私はそう返信しながら、胸の奥が冷たくなっていくのを感じていた。大学時代は毎日顔を合わせていたのに、今では月に一度会えればいい。彼はただ、会うというタスクをスケジュールに組み込んでいるだけのように見えた。彼にとってはそれが新しい「日常」であり、何の問題もない、合理的なルーチンだった。
「彼の宇宙には、私がいないみたい」
私は彼に自分の苦しみを打ち明けようと、何度もメッセージを書きかけた。母親の電話が怖くて着信拒否をしたこと。会社のトイレで一人泣いたこと。朝、ベッドから起き上がれなくなったこと。しかし、文字を打つ指が止まる。彼はきっと、論理的な解決策を探そうとするだろう。「母親の電話に出なければいい」「その会社を辞めればいい」と。私が欲しいのは、ただ「そうか、辛かったね」という共感だった。彼の宇宙に、感情という名のノイズを持ち込むのが怖かった。彼はただ、静かで、穏やかな日々を送っていてほしい。
そうして、私は徐々に自分の中に閉じこもっていった。食欲はなくなり、夜は何度も目が覚める。会社のオフィスに足を踏み入れると、全身が鉛のように重くなった。以前は好きだった読書も、音楽も、頭に入ってこない。楽しかったはずの彼との電話も、今はただ、無機質な情報交換に変わってしまった。
ある日、私はベッドから起き上がれなかった。どれだけ頑張っても、身体が動かない。涙が溢れて止まらなかった。
「もう、無理だ」
精神科の扉を叩いた私は、医師から告げられた。
「適応障害ですね。心も体も、限界だったんだと思いますよ」
私の孤独は、誰にも気づかれず、静かに、そして確実な形となって現れた。彼の宇宙は今日も明るく輝いている。しかし、私の宇宙は、音も光も届かない、深い闇の中に沈んでいた。
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