『なぜ日本人は3分が好きなのか』についての考察。
ウルトラマンは、3分しか戦えない。
カップヌードルは、3分でできる。
余談だが、
子どもの頃、思っていたことがある。
ウルトラマンは地球上では、カップヌードルを食べることができない。
同じ3分だから。
変わった子供だったかもしれない。
ウルトラマンの3分は短く感じる。 カップヌードルの3分は長く感じる。
物理的にはどちらも180秒だ。
でも体感は違う。
ウルトラマンの3分は「命のカウントダウン」。
カップヌードルの3分は「待機時間」。
緊張と空腹。
時間は、意味が乗ると伸び縮みする。
今、
試しに1~180まで数えてみた。
恐ろしく長く感じた。
次に、世界のナベアツさん風に数えてみる。
楽しい時間は、早く感じるはずだ。
ルールは簡単だ。
「3のつく数字と3の倍数を言う時はアホになる」
結果。
13で腹筋崩壊して、以降、数えられなくなった。
ここで、もう一つ不思議がある。
なぜ日本人は、短い時間の例えに「3分」をよく使うのか?
1分でもいい。 5分でもいい。
なのに、3分。
考えてみると、3という数字は妙に安定している。
三種の神器。 三本の矢。 三段論法。
二だと対立になる。 四だと多すぎる。
三は、物語になる。
1分では短すぎる。 5分では長い。
3分は、
我慢できる。
集中できる。
区切りになる。
そして日本人は、「間」を大事にする民族だ。
茶道も、落語も、漫才も。
沈黙と余白に意味を置く。
3分という時間は、ただの長さではない。 “間”として成立する時間なのだ。
だから僕たちは、無意識に3分を選ぶ。
戦うにも。 待つにも。 語るにも。
ちなみに今、この文章を読むのにかかった時間も、だいたい3分くらいだ。
もし長く感じたなら、 それは僕のせいだ。
もし短く感じたなら、 あなたの時間が濃いのだろう。
ウルトラマンとカップヌードルは、 今日も同じ180秒を生きている。
時間は平等だ。
でも、体感は平等じゃない。
もしかしたら、
人生も、
3分単位くらいで考えたほうが、
ちょうどいいのかもしれない。
……だとしたら、ずいぶん忙しい人生になるけどな。
おしまい。
いいなと思ったら応援しよう!
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。皆さまの応援が、静月の物語を生み出す力です。いただいたチップは、すべて次の作品作りに大切に使わせていただきます。
