『大人になるということ』
同じテーマを、四つの形式で書いてみました。
論文、エッセイ、掌編、そして詩です。
1.論文
「精神年齢不変仮説に関する考察」
―経験と社会適応の観点から―
要旨
本稿は、一般に用いられる「精神年齢」という概念について再検討するものである。
日常語としての精神年齢は、成熟度や人格の発達を示す言葉として用いられるが、その実体は曖昧である。
本研究では、筆者自身の内的経験および心理学・人格研究の知見を参照しながら、「精神そのものは大きく変化しない可能性がある」という仮説を提示する。
すなわち、人は年齢とともに精神が成長するのではなく、経験の蓄積によって社会に適応するための選択能力が向上するだけであり、精神の核は幼少期から大きく変わらない可能性がある。
本稿ではこの仮説を「精神年齢不変仮説」と呼び、その妥当性について検討する。
1.問題の所在
日常会話において、人はしばしば次のように語る。
「あの人は精神年齢が高い」
「精神年齢が子どもだ」
しかし、この「精神年齢」という言葉は学問的には明確な定義を持たない。
本来この言葉は知能検査の文脈で用いられた概念であり、人格や成熟度を直接示すものではない。
にもかかわらず、人は自分自身を振り返るとき、
「内面は子どもの頃とあまり変わっていない」
という感覚を持つことが多い。
この経験的事実は、精神の発達に関する一般的理解に対して一つの疑問を提示する。
2.発達心理学の立場
発達心理学では、人間の認知能力や判断力は年齢とともに発達すると考えられている。
ピアジェの認知発達理論では、思考能力は段階的に成熟するとされる。
しかし、この理論が主に扱うのは
認知能力
論理思考
判断能力
であり、必ずしも人格の内面的感覚を説明するものではない。
3.人格研究の知見
人格心理学の研究では、個人の性格傾向は比較的安定していることが知られている。
ビッグファイブ理論などの研究では、外向性や情緒安定性などの基本特性は長期的に大きく変化しない傾向が確認されている。
このことは、人の精神の「核」が比較的早期に形成され、その後大きく変わらない可能性を示唆している。
4.精神年齢不変仮説
以上の知見を踏まえると、次の仮説が考えられる。
人は成長することによって精神そのものが変化するのではなく、経験の蓄積によって
行動の選択
社会的判断
感情の扱い方
が変化するにすぎない。
すなわち、
精神の核は幼少期から大きく変わらない。
この仮説を本稿では精神年齢不変仮説
と呼ぶ。
5.経験による変化
年齢とともに人が変化したように見えるのは、主に以下の要因による。
・社会的経験
・失敗と成功の学習
・他者との関係性
これらの経験は、精神そのものを変化させるというよりも、
精神の扱い方を上達させる。
言い換えれば、
人は精神的に成長するというより
同じ精神をより上手に扱うようになる。
6.考察
この仮説が正しいとすれば、「精神年齢」という言葉は必ずしも実態を表していない可能性がある。
人の内面は年齢とともに大きく変化するのではなく、
同じ精神が、より長い経験を持つようになるだけなのかもしれない。
極端に言えば、
七十歳の精神と十歳の精神は、
本質的にはそれほど違わない。
違うのは、
七十年の経験を持つ十歳
であるという可能性である。
7.結論
本稿は、「精神年齢不変仮説」という視点から精神年齢の概念を再検討した。
人は年齢とともに精神そのものが成長するのではなく、経験の蓄積によって行動や判断の選択肢が増えるにすぎない可能性がある。
もしこの仮説が正しいとすれば、
人は成長する存在ではなく、経験を増やしていく存在なのかもしれない。
付記
なお筆者自身の感覚として、
精神年齢というものがあるなら、
自分はおそらく十歳である。
ただし、五十年以上生きている十歳である。
☆ ☆ ☆
2.エッセイ
「精神年齢が低い」とか
「精神年齢が高い」とか。
そういう言い方を、よく聞く。
でも僕は、昔からちょっと違う気がしている。
精神年齢というものが本当にあるのだとしたら、
人は歳を取るにつれてそれが上がっていくのだろうか。
僕はそうは思っていない。
むしろ逆で、精神というものは、
幼い頃からほとんど変わらないんじゃないかと思っている。
変わるのは、経験だ。
歳を重ねると、いろんなことを経験する。
失敗もするし、後悔もするし、
人に怒られたり、恥をかいたりもする。
そういう経験を積み重ねていくうちに、
人は少しずつ「うまく生きる方法」を覚えていく。
社会の中で、どう振る舞えばいいのか。
どういう言い方をすれば、相手を傷つけないのか。
どういう選択をすれば、余計なトラブルを避けられるのか。
そういうことを、少しずつ学んでいく。
でも、精神そのものは、
あまり変わっていない気がする。
僕はもう五十代だけれど、
自分の内面を見ていると、
昔とそんなに違うとは思えない。
何か嬉しいことがあったとき、胸の奥からふっと立ち上がるあの感じ。
あれは子どもの頃と何も変わっていない。
初めて自転車に乗れた日の喜びと、
初めてコングラをもらった日の喜び。
出来事は違うのに、
心の中で起きていることは、ほとんど同じだ。
人を好きになる気持ちも変わらない。
あっ…この人、好き。
その瞬間に胸の奥で起きることは、
子どもの頃と何も違わない気がする。
十歳のとき、初めて誰かを好きになったときも、
胸のどこかがふわっと明るくなって、
その人のことばかり考えてしまった。
今だって同じだ。
ただ違うのは、少しだけ経験を積んだことだろう。
大人になると、
どう振る舞えばいいかとか、
どこで冗談を言えばいいかとか、
そんな小さなテクニックは覚える。
でも、心の中で起きていることは、
たぶん何も変わっていない。
十歳の初恋も、
五十代の恋も、
胸の奥で立ち上がるあの感じは、同じだ。
もし違って見えるとしたら、
それは僕たちが、
少しだけ上手に隠すことを覚えただけなのかもしれない。
だからときどき思う。
精神年齢というものがあるなら、
僕はきっと、まだ十歳だ。
……いや。
もしかしたら、
みんなそうなのかもしれないけれど。
ただ、五十年以上生きている十歳だ。
人は成長するのではなく、
同じ精神のまま、
経験だけを増やしていくのかもしれない。
そして、その経験のおかげで、
子どもの頃より少しだけ、
うまく生きられるようになる。
それがたぶん、
「大人になる」ということなんじゃないかと思っている。
☆ ☆ ☆
3.掌編
昔から俺、こう思ってるんだ。
精神年齢って言葉あるだろ。
あれ、たぶん変わらないんだと思う。
彼女は嬉しそうに聞いていた。
俺は続けた。
本当はさ、ワンワン泣きたいんだよ。
でも恥ずかしいから泣かないんだ。
本当はめっちゃ怒りたいんだ。
このやろう!って。
でも我慢してるんだ。
彼女は楽しそうに聞いていた。
俺は言った。
嬉しいときもさ、本当はめちゃくちゃ喜びたいんだ。
でもちょっとだけ抑える。
少し考える。
まあ、
あんまり抑えてないけど。
彼女は笑った。
俺は続けた。
恋愛もそうだと思うんだ。
彼女は黙って聞いていた。
小学校の初恋の方が、
今より大人だった気がするんだよ。
恥ずかしくて言えなかったし。
「好きだ」って思うだけで、
胸がいっぱいになってた。
今なんてさ。
冗談っぽく言ったり、
かっこつけたり、
変なテクニック覚えたり。
不純物、混ざりまくってる。
だからさ、精神年齢って変わらないんだよ。
みんな子どものままなんだ。
ただ、
我慢するのが上手くなるだけ。
彼女はずっと嬉しそうに聞いていた。
俺は言った。
もし精神年齢ってものがあるなら、
俺たぶん十歳だと思う。
彼女は少し笑った。
そして言った。
知ってるよ。
シズくんてさ、
いつも楽しそうにご飯食べるし、
ムカつくとすぐ顔に出るし、
好きな人は大好きだし、
嫌いな人は大嫌いだし、
嬉しいときは、めちゃくちゃ嬉しそうだし。
彼女は笑った。
そういうとこ。
好きだよ。
☆ ☆ ☆
4.詩
昔から
思っている
人は
大人にならない
泣きたいときに
泣かなくなるだけ
怒りたいときに
黙るようになるだけ
嬉しいときに
少し
抑えるようになるだけ
精神は
変わらない
ただ
我慢が
上手くなる
もし
精神年齢ってものが
あるなら
僕は
たぶん
十歳
ただ
五十年以上
生きている
十歳
あとがき
同じことを、四つの形式で書いてみました。
精神年齢はあまり変わらないのではないか。
これは大学時代から、ずっと僕が思っていることです。
歳を重ねるにつれて、
本音は少しずつ外に出にくくなっていく。
本音を隠すための、
ちょっとしたテクニックを覚えてしまうからです。
大人になるほど生きづらくなるのは、
たぶんそのせいなんじゃないかと思っています。
たとえば、街でおじさんがワンワン号泣していたら、
きっとみんな少し引きますよね。
僕も実際には見たことがありません。
でもテレビで、誰かが誰かをロジックで論破して、
どこか誇らしげにしている人を見ると、
ふと思うことがあります。
「あぁ、この人は隠さないんだなぁ」
そんなふうに、少し共感してしまうのは、
僕だけでしょうか。
もしかすると、
みんな本当は同じなのかもしれません。
ただ僕は、
それを隠すのが少し下手なだけで。
……いや、
だいぶ下手なだけで(笑)
いいなと思ったら応援しよう!
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。皆さまの応援が、静月の物語を生み出す力です。いただいたチップは、すべて次の作品作りに大切に使わせていただきます。
