植栽への水やり修行
朝の水やりは、苦行ではなく贅沢なのだ!
朝起きて、まだ涼しくなりきらない空気の中を庭に出て、ホースを引き回して水をやる。夏場のこれを、たいていの人は苦行だと思うでしょう。実際、周囲に話しても返ってくる反応はだいたい同じです。「大変ですね」「よく続きますね」。
けれども私は、まったく逆の発想を持っています。これは贅沢なことなのだ、と。
分解してみると、贅沢の輪郭が見えてくる
自分でも最初は言葉にできなかったので、要素に分けて考えてみました。
自己満足のための庭を持っている
自分の好きなように育てる対象がある
その世話をするための時間が、毎朝の生活の中にある
この3つが同時に成立している状態を、贅沢と呼ばずに何と呼ぶのでしょうか。誰に見せるためでもなく、評価されるためでもなく、ただ自分が満足するためだけに手をかけられる対象がある。しかもそれに割く時間が確保できている。改めて並べてみると、これはかなり恵まれた状況です。
もちろん、いいことばかりではありません。仕事の日は当然出勤しますから、水やりは妻にお願いすることになります。ここは正直に書いておきます。ひとりで完結している趣味ではなく、家族の協力の上に成り立っている時間です。
毎日から、2〜3日に1回へ
植栽は、植えてから最初の1年が勝負です。根が張るまでは毎日水をやらないといけません。この期間はさすがに義務感が勝ちました。
その1年を過ぎ、今は2〜3日に1回のペースに落ち着いています。それでも十分に大変です。庭が広いぶん、ホースの取り回しだけでもそれなりの運動になります。
では、実際どのくらいの手間なのか。言葉で説明するより見ていただいたほうが早いので、写真と所要時間を貼っておきます。














いかがだったでしょうか。おそらく大半の方は、やはり苦行に見えたのではないかと思います。
やり切る側にだけ返ってくるもの
ところが、実際にやり切ろうと努力している側に立つと、気づくことがあります。これは一方的に手間を差し出しているのではなく、ちゃんと自分にも返報されているのだ、ということです。
以前、とある大物芸能人の方が庭いじりについて語っているのを見て、腑に落ちたことがあります。本当に贅沢な人というのは、庭をいじっているのだと。誰かに見せるためではなく、自分が満足できるように世話をするからだ、と。確かにそのとおりだと思いました。
緑は、見ているだけでも心が休まります。そばにいれば、なおさらです。仕事に出る前でも、ふと庭に出ると足を止めたくなる。立ち止まって、昨日より伸びた枝を眺めてしまう。
そのたびに、人間はこれだけ緑に癒しを求めるのだな、と思い知らされます。所詮われわれも動物なのだ、と。空調の効いた部屋と画面の前で1日の大半を過ごしていても、身体のどこかは土と緑を必要としているらしいのです。
仲間が増えると嬉しい
だから私は、朝の水やりを損な時間だとは思っていません。手間の対価に、静かな時間と季節の変化を受け取っている。収支としては、こちらが得をしている感覚すらあります。
鉢ひとつからでも構いません。庭に緑を取り入れる仲間が増えると、とても嬉しいです。
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