【読書記録】ロビン・ウィルソン『四色問題』
思い出した話ですが、2024年のノーベル化学賞の受賞理由と受賞者が「異例」と少し話題になりました。受賞理由は「タンパク質構造予測プログラムの開発」、受賞者のひとりがDeepMind創業者デミス・ハザビスです。何が異例だったか、受賞内容と対象者がいわゆる「コンピュータサイエンス」(計算機科学、と言うほうが個人的に好きですが)の分野に大きく関わるものだったということです。
計算機科学の直接の父親は「数学」です。そして、ノーベル賞に「数学賞」はなく、また数学ないし数学の直系分野には与えられないという不文律(ノーベルと数学者レフラーが恋敵だったからという人間臭い理由)があります。2024年は間接的とはいえ、「通念」が覆った新時代のノーベル賞だったと言えるでしょう。
新技術の登場は良かれ悪しかれ世界に大きなインパクトを与えます。特にこの50年前後のコンピュータ、そして近年のAIの進歩と社会的普及は、少し前の時代では考えられないスピードの変化をもたらしています。今回の本はちょうど50年前、その証明が論争を巻き起こした数学の「ある難問」の物語です。
この本のはなし
四色あれば、どんな地図でも隣り合う国々が違う色になるように塗り分けることができるのか?
あまりにもシンプル。パズルか子どもの塗り絵のようなこの問題が1世紀以上も数学者の頭を悩ませました。本書は、19世紀半ばの問題提起から1976年の証明に至る数学者たちの戦いと紆余曲折を描くサイエンス・ノンフィクションです。
かなり視覚的な命題であるため相当量の図と解説が盛り込まれていますが、面倒くさければ多少読み飛ばしても作品の全体感を失うようなことはないと思います。前後半で物語の雰囲気がかなり変わるのが特徴的で、前半はある意味牧歌的、歴代の数学者による伝統的な証明の歩みが、後半はガラッと変わり戦後、コンピュータの計算力による唸るような変化と証明に対する是非が大きな軸になっています。
第1章 四色問題~第6章 運の悪い人々
一般の目から見た数学の難問というのは大体二つの傾向があるように思います。「そもそも何を言っているかさっぱり分からない」「よしんば言っていることが分かったとして何を意味するのか、何に使えるのか分からない」の二つです。「四色問題」に関して言えば前者は大丈夫です。
四色問題を提示することは、非常に簡単である。それは、地図の色分けについての問題だ。われわれが地図に色を塗るときには、ごく自然に、隣り合う国々を違った色で塗り分けようとするものだ。その方が区別しやすいからである。それでは、地図前提に色を塗るには、どれだけの色が必要なのだろうか?
この「どれだけの色が必要だろうか?」に「4つ!」と言い切るために数学者がずいぶん悩んだというのが「四色問題」です。問題はもうひとつの方で、「どんな意味がある?何に使う?」という点ですが、ここに数学世界の独特で面白いところがあります。
四色問題そのものは数学の主流に属しているとは言えないが、それをきっかけとする進歩は、数学の進化にとってますます重要な役割を果たすようになってきているのだ。
問題の証明過程で必要なテクニック、知識を積み重ねていった結果、まるまる新しい「分野」が出来上がることがしばしば起こります。「四色問題」の場合も同様で、証明への取り組みの過程で多くの分野・手法が花開きました。解決過程に直結するグラフ理論が最たるもので、中には通信網や物流網の分析に関わるネットワーク問題のような社会課題に直結する分野まで生まれています。
解決の過程で様々な数学者が登場します。「四色問題」の提起は19世紀半ばですが、その解決に影響を与える分野の萌芽はもう少し前、18世紀中盤に現れています。おなじみ数学界の「またお前か」、レオンハルト・オイラーです。
オイラーの有名な逸話に「ケーニヒスベルクの橋」の問題がありますが、これが位相幾何学やひいては「四色問題」と所縁の深いグラフ理論の元祖とも言える性質を有しています。オイラーの視点の画期的だったのは、ギリシャ以来の幾何学の対象だった面積や辺の長さや頂点の数ではなく、純粋な「辺と頂点」の関係性に注目したという点でした。
ギリシャ人らは多面体の作図には興味を持っていたが、多面体の面や辺や頂点の数には興味がなかったようである。こうした観点から多面体を研究したのはオイラーが最初で、辺や頂点(彼はこれを「立体角」と呼んだ)などの概念はこのとき初めて導入された。
「四色問題」の証明に大きな動きがあったのは19世紀末です。ロンドンのアマチュア数学者(本業は弁護士)アルフレッド・ブレイ・ケンプが「四色問題を解決した」と論文を出しました。当時の数学界でも論文は確かだろうとされていましたがなんとこれが間違い。しかも誤りがかなり微妙だったらしく、見つかるまでに11年かかるという珍しいことが起きます(だいたいの証明だと問題があれば1年とかで見つかっている気がする)。
第7章 ダーラムから飛んできた爆弾~第11章 ……けれどもそれは証明なのか?
四色定理に関するケンプの証明は、非常に良いものだった。実際には間違っていたのだが、それでも非常に良い証明だったのである。彼の証明は、一一年間にわたってビクトリア朝の数学者に支持されただけでなく、そのアイディアの大半は理にかなっていて、後世の挑戦(最終的に成功したものも含めて)の基礎になった。
19世紀末の取り組みは失敗に終わったものの、結果的には後の挑戦の技術的始点となりました。ここから時代は二度の大戦期を挟み、新たな手法と計算力爆発の時代を迎えます。特に1950年代のグラフ理論とその応用であるネットワーク問題の手法の進歩、そしてコンピュータによる計算手法の確立によって「四色問題」との戦いに新たな登場人物と視点が加わります。
ハーケンはヘーシュにイリノイ大学での講義を依頼し、膨大な数の配置の検討にはコンピュータが役に立つのではないかと提案した。実は、ヘーシュ自身も同じことを考えていて、一九六〇年代の半ばには、ハノーファー大学の数学科で学位を取得し、中等学校の教師をしていたカール・デュレという助っ人を得ていた。デュレが考案したD可約テスト法は、長い時間を必要とすることもあったが、ともかくコンピュータで実行できる程度に定式化されていた。
最終的な証明の理論を築いたのはドイツ・ゲッティンゲン大学(数学の超名門)のハインリヒ・ヘーシュとアメリカ・イリノイ大学のヴォルフガング・ハーケンです。ここに技術面、検証プログラムの構築を支えるケネス・アッペルが加わり証明へ向かう顔ぶれが揃います。時代はやっと学術・産業でコンピュータの計算力が応用されはじめたかどうかというころですが、黎明期だからこそのアッペルの言葉があります。
講義の後、アッペルはハーケンに、「『専門家』の意見はナンセンスで、それは多分、どんな結果が出るのかわからない問題のために膨大な時間を費やすつもりはないという気持ちの現れにすぎないと思います。私は、コンピュータにできないことがあるとは思っていません。問題は時間だけです。とにかく挑戦してみませんか?」と言って、放電手続きのプログラミングへの協力を申し出た。
アメリカらしいというか、技術が描く未来に対する無条件の明るさを感じる気がします。「心配するだけならバカでもできる」というようなあっけらかんとした空気観が何とも言えません。
しかし、どれだけ威勢のいいことを言っても、立ち向かわないといけない計算はとんでもない量です。「四色問題」の研究の中で進歩した大きな分野のもうひとつが、コンピュータによる「計算手続き」の分野、いわゆる「アルゴリズム」の研究でした。ここから「四色問題」との戦い、ひいては数学そのものが変わっていきます。
Modulo careful checking,
it appears that
four colors suffice
厳密なチェックはまだだが、
どうやら
四色あれば足りるらしい
証明完了後、アッペルが大学の黒板に記した言葉です。長い時間とあまりにも膨大な計算の末、ハーケンらはゴールテープを切りました。が、そこには達成感と同時に、前例のない手法から生ずる戸惑いが感じられます。
史上初めてコンピュータの計算力を大体的に使用した証明だったことで、「四色問題」の証明は数学界で大きな議論を巻き起こします。やはり問題となったのは、「エレガントな証明」を旨とする伝統的な数学の価値観、美意識からかけ離れた「現代的な力業」、コンピュータの計算力によって解決されたという点でした。「証明が正しいのかどうか、人間が確認できない」、検証可能性の問題でもあります。この点に関しては当事者のアッペルすら偽らざる本音を記しています。
「これはひどい数学だ。数学は、簡潔でエレガントであるべきなのに」という人がいた。わたしもそれには同感だ。簡潔でエレガントな証明ができれば、それにこしたことはなかった。
数学の側もジレンマを抱えていました。研究対象、解決すべき問題が高度化・複雑化の一途をたどっており、伝統的な手法でも論文が長く、複雑になり続けています。コンピュータを使ってようが使ってなかろうが、そもそも人間の眼と頭で検証できるか怪しくなりつつあるというのです。群論で1950-80年代にかけてまとめられた「有限単純群の分類に関する証明」がとんでもない規模で、執筆者数百人・論文は数千ページとまさに化け物。中心人物のダニエル・ゴレンスタインの言葉が非常に切実です。
ここで、本稿の「証明」の意味に関して、警告の言葉を添えておくべきだろう。どこにも間違いのない明解な論証を数百ページにわたって展開することは、人間の能力を超えているように思われるからである。……保証などない。われわれは、この現実を受け入れて生きなければならないのだ。
おしまい
ハーケンらの証明は議論を巻き起こしましたが、その結果はひとまず正当なもの、「四色問題は証明された」という形で受け入れられています。特に証明に至る最終章は技術による時代と感性の変わり目、その最先端に向き合った専門家の心のドラマでもあると言えるでしょう。
本書は50年前の、あくまで難解な専門の世界の物語ですが、そこで繰り広げられたのは、現代を生きる人間にとっても、中身や程度の差こそあれ、どこかしらで向き合っていかなければならない変化ではなかったかと思います。
それでは、また。
Ryohei Noguchi
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