【予習解説】『オークストリートの異変』 毛羽立つ恐竜から貴方は走って逃げ切れるか?〜古生物学から考える
今日、恐竜が住宅街にやってくる。デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督、J・J・エイブラムス製作の『オークストリートの異変』(原題:The End of Oak Street)が、本日8月14日に日米同時公開された。謎の宇宙現象によって、オークストリートという平凡な住宅街が丸ごと、恐竜たちの生きる世界へ転送されてしまう。アン・ハサウェイとユアン・マクレガー演じる夫婦が、武器も知識もないまま、子どもたちを連れてサバイバルを強いられる、筋立てはそんなところだ。海外の先行評はおおむね上々で、IndieWireに至っては「1993年以来最高の恐竜映画」とまで書いている。1993年、つまり『ジュラシック・パーク』以来ということだ。
一方で、多くの人の恐竜像は、良くも悪くも『ジュラシック・パーク』で固定されていると言えるだろう。あの映画から33年、古生物学にも当然重要な進展が沢山あった。物理学に比べて生物学の知見のアップデートのスピードはとても早い。恐竜の姿も、走る速さも、鳴き声も、そして「絶滅したのか」という一番基本的な問いへの答えすら、教科書は書き換わっている。
そして本作『オークストリートの異変』は、この書き換わった新しい恐竜像を採用している。つまり、スクリーンに映るのは「あなたの知らない恐竜」である可能性が高い。予習しておけば、その違和感の一つひとつが見どころに変わるだろう。
毛羽立っている恐竜
本作の二足歩行の肉食恐竜たちは、羽毛をまとって登場する。『ジュラシック・パーク』のつるりとした鱗のラプトルを覚えている観客は、面食らうかもしれない。だがこれこそが、この30年の古生物学の最大の成果である、という話をしよう。
誤解のないように言っておくと、1993年の『ジュラシック・パーク』は、公開時点では史上もっとも科学的に真面目な恐竜映画だった。そもそも20世紀半ばまでの恐竜は、沼地に半身を沈めた鈍重な冷血のトカゲとして描かれるのが常だった。それを覆したのが1960年代末からの「恐竜ルネサンス」で、恐竜は活発で、代謝が高く、鳥に近い生き物だという見方の台頭である。スピルバーグはこの最新学説を採用し、群れで狩りをする俊敏なラプトル※1と、鳥のように首を傾げるティラノサウルスを撮った。つまり、あれは当時の「古生物学の現在地」そのものだったのだ。
そして『ジュラシック・パーク』公開から三年後の1996年、中国遼寧省の約1億2500万年前の地層から、シノサウロプテリクスという小型獣脚類の化石が発表された。全身の輪郭に沿って、繊維状の「原羽毛」がびっしりと保存されていたのである(※2)。以下の標本の写真を見て欲しい。頭から背中、そして尾っぽに渡って羽毛が見えるのがわかるだろうか。

この一報を皮切りに、遼寧省からは羽毛恐竜の化石が雪崩を打って見つかりはじめる。2007年には、あのヴェロキラプトルの前腕の骨から"クイルノブ"と呼ばれる羽毛の根元を骨に強く固定するための靭帯が付着していた痕跡、つまりこれも羽毛の存在示す証拠が確認されたというっわけだ。ヴェロキラプトルなんて知らないって?いや、知っているはずだ、映画では「ブルー」と呼ばれていたアイツである。

映画のラプトルのモデルが、腕に羽根を生やしていたことが骨の証拠で示されたわけだ。最新の知見で言えば、『ジュラシック・ワールド』で想像されていた姿よりも、以下のような姿であったことが推測されている。(わあ、気持ち悪い。ごめんブルー。)

ちなみに『ジュラシック・ワールド』は、羽毛なしのラプトルを続投させる理由を劇中で用意していた。曰く、彼らは欠損遺伝子を人間側が補って作られたキメラであり、かつての姿をそのまま復活させたものではない、とのことだ。
上手い言い訳だ!
そして2012年には、ティラノサウルスの親戚にあたる全長約9メートルのユウティラヌスが、体重1.4トンの巨体に羽毛をまとった姿で見つかる(※3)。羽毛は大型の捕食者にまで及んでいたという重大な発見である。
さらに驚くべきことに、私たちはいま、一部の恐竜の「色」まで知っているというのはご存知だろうか。羽毛化石の中に、メラノソームという色素の入った細胞小器官が残ることがあり、その形状と密度を現生鳥類と比較すると色が推定できるのだ(※4)。2010年、先に紹介したシノサウロプテリクスの尾は赤茶色と白の縞模様だったと報告された。

出典:ナショナルジオグラフィック日本版「恐竜の体色を初めて特定:中華竜鳥」2010年1月27日 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/2227/
恐竜の色は永遠に分からない、と私が子どもの頃の図鑑には書いてあったが、現代では限られた数ではあるものの、少しづつそうした情報も復元できるようになってきたのだ。
では、すべての恐竜がふさふさだったのかというと、話はそう単純ではない。ここが現在地の面白いところだ。2017年、ティラノサウルス本人の皮膚痕が調べられ、そこにあったのは羽毛ではなく細かな鱗だったことが分かった。祖先は羽毛を持っていたのに、成体のティラノサウルスは少なくとも体の大部分でそれを「脱いだ」らしい。理由として有力なのが放熱だ。体が大きくなるほど、体積あたりの表面積は減り、熱がこもる。ゾウに毛皮がないのと同じ理屈である。
つまり「恐竜に羽毛はあったか、なかったか」という二択ではない。どの系統に、体のどの部位に、どの成長段階であったか、を化石の証拠で系統ごとに判定する、それが古生物学が取り組んでいる現在地だと言えるだろう。どうやら羽毛の起源は根が深く、鳥から遠い植物食の恐竜や、恐竜ですらない翼竜からも繊維状の構造が見つかっており、体を毛のような繊維で覆うという進化上の発明そのものは、恐竜と翼竜の共通祖先、つまり恐竜が登場するより前まで遡る可能性すら議論されている。
あなたは恐竜から逃げられるか
さて、住宅街に恐竜が現れたとき、我々人間は走って逃げられるのか?文字通り、死活問題である。
これは実は、古生物学であると同時に物理学の問題だ。動物の体長を2倍にすると、体重は2の3乗で8倍になるが、それを支える骨の断面積は2の2乗で4倍にしかならない。だから大きな動物ほど、体重に対して骨や筋肉の余裕がなくなっていく。世に言う二乗三乗則、スケーリング則である(※6)。ゾウが走り方を選べず、ジャンプという選択肢を人生から失っているのはこのためだ。そして全長12〜13メートル、体重8トン前後(※7)のティラノサウルスは、陸上の二足歩行動物としてほぼ限界サイズにいる。
『ジュラシック・パーク』の名場面を思い出してほしい。ティラノサウルスが疾走するジープを追い、バックミラーに迫る。あの演出が示唆する速度は時速50キロを優に超えるといったところだろう。ところが、生体力学の研究者が脚の伸筋の必要量を計算したところ、あの巨体でその速度を出すには、脚の筋肉だけで体重の何割をも占める必要があり、解剖学的にあり得ないという結論が出たのだ。その後、別の研究グループが骨格への負荷をシミュレートし、時速30キロ弱を超えると骨が折れるという計算を示した。
全力を出したティラノサウルスの速さの見積もりは近年の知見によるところでおおむね時速20〜30キロの帯に落ち着いている。ウサイン・ボルトの瞬間最高速度は時速44キロで、普通の大人の全力疾走は時速20〜25キロと言ったところだ。つまり成体のティラノサウルスと人間は、ほぼ互角の勝負圏内にいる。
つまり逃げ切れるかもしれないし、逃げ切れずにとって食われるかもしれない、というパニック映画として極めて丁度いいところにいるのだ。最後に全力疾走した日を思い出せない人、駅で毎回エスカレーターの列に並んでしまう人は、残念ながら献立の側に回るだろう。
ただし付け加えるなら、走るティラノサウルスにはもうひとつ物理的リスクがある。時速30キロで8トンの体が転倒した場合、頭部が地面に叩きつけられる衝撃は致命傷になりうると試算されている。彼らにとって全力疾走は、獲物に逃げられる以上の損失リスクを伴う賭けなのだ。捕食者は費用対効果で狩りをするだろうから、人間サイズの餌のためにティラノサウルスが全速力を出す可能性は低いかもしれない。
さて、朗報はここまでである。悪い知らせは、若いティラノサウルスだ。細く長い脚を持つ亜成体は、成体よりはるかに速かったと見積もられている。スケーリング則は小さい者に速さを許す。住宅街で本当に警戒すべきは、悠然と歩く親ではなく、体重が軽く燃費の心配が少ない不良のティーンエイジャーたちだろう。若い、小さめのお腹を空かせたティラノサウルスを目の前にしたのなら、逃げるのは諦めた方がいいかもしれない。
恐竜はすぐそこに
6600万年前、直径10キロほどの小惑星がユカタン半島に落ち、恐竜は滅んだとされる。だが恐竜の一系統だけが、その冬を生き延びた。鳥類だ。これは比喩ではなく、現在の分類学において、鳥は獣脚類恐竜の現生グループそのものであり、スズメとティラノサウルスの系統的な距離は、ティラノサウルスとステゴサウルスの距離よりずっと近い。しかも生き残りは細々と暮らしてなどいない。現生鳥類は約1万1000種。約6500種の哺乳類より数で優っている。頭数で言えば、この惑星でもっとも繁栄している恐竜はニワトリで、常時300億羽が地上にいるのが現代だ。
とはいえニワトリやスズメから恐竜のあの迫力を想像するのは、無理ってものだろう。そして残念ながら『ジュラシック・パーク』が描いていたように遺伝子から恐竜を復活する、というのも技術的にはまだまだ難しい。恐竜の恐ろしい姿を、あの獰猛な咆哮を、肌身で感じる唯一の方法はこの夏、映画館で本作を観る以外に手段はないだろう。
それとある日突然、貴方の住む街ごと恐竜が住む世界に転送されたとしても、走って恐竜から逃げ切れるようにランニングを習慣にしておいたほうがいいかもしれない。彼らの美味しいディナーになりたくないのなら…
注釈
本文は読み物としてのテンポを優先し、いくつかの箇所で話を単純化している。以下は、実際にはそんなに単純ではない部分についての、専門的に気になる読者のための但し書きである。
※1
『ジュラシック・パーク』のラプトルは、名前こそヴェロキラプトルだが、実体はより大型の近縁種デイノニクスに基づいている。原作者クライトンが、デイノニクスをヴェロキラプトル属に統合するグレゴリー・ポールの分類(1988年)を採用したためだ。映画の個体は実物のデイノニクスよりさらに大きいのだが、公開と同じ1993年に大型のドロマエオサウルス類ユタラプトルが記載され、誇張が結果的に実在へ追いつかれるという珍事が起きている。
※2
シノサウロプテリクスの繊維状構造には、発表直後から「羽毛ではなく皮膚のコラーゲン繊維が分解したもの」とする反論があり、論争は10年以上続いた。決着に効いたのが本文でも触れたメラノソームの発見で、色素を内蔵する構造が規則的に並ぶことは、皮下のコラーゲンでは説明しがたい。なお「原羽毛」は、単純な中空フィラメントから枝分かれ構造まで複数の段階を含む緩い総称である。
※3
ユウティラヌスは厳密にはティラノサウルス科ではなく、より早くに分岐したティラノサウルス上科に属し、「親戚」としてはかなり遠い。また彼らが生きた白亜紀前期の中国東北部は、年平均気温が10℃前後と推定される冷涼な地域だった。つまりこの羽毛は「巨体でも寒冷なら断熱材を保つ」例と読むのが正確で、羽毛の有無は体サイズだけでなく気候にも依存する。
※4
化石から復元できる色は、主にメラニン系(黒、灰、赤褐色、および構造色の一部)に限られる。フラミンゴのピンクや多くの黄色を作るカロテノイド系色素は原理的に残りにくく、保存部位も限られるため、「全身の色が完全に判明した」種は存在しない。
※5
現存するティラノサウルスの皮膚痕は、首・腰・尾などに由来する断片が数点あるだけで、体表の大部分は依然として未知である。幼体が羽毛をまとっていた可能性も(直接証拠はないが)残っている。コンセンサスとして今言えるのは「成体は、少なくとも体の大部分が鱗」くらいまでだ。
※6
実際の生物は、純粋な二乗三乗則(幾何学的相似)には従わない。実測すると骨格はサイズとともに相対的に太くなる方向へずれ(アロメトリー)、大型獣は四肢を柱のように立てる姿勢の変更でも荷重を代償する。弾性相似則をはじめ代替のスケーリング理論も複数あり、本文の議論は言わば第ゼロ近似だ。
※7
ティラノサウルスの体重推定は、大腿骨の周長から回帰式で出す方法と、3次元復元の体積から出す方法で系統的に食い違い、成体でおよそ6トンから9トン超まで幅がある。「8トン前後」は中庸を取った値にすぎない。
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物理学者が映画について本気で考える、ちょっと変わった記事を書いています。「面白かった」と思っていただけたら、それだけで十分ですが、チップをいただけたらコーヒー片手にもう1本書きます。