【ジョニ子の3分短編】『三つ目の時計だけ、嘘をついていた』
部屋を決めたのは、不動産屋の人が「少し変わった物件なんですけど」と言ったからだった。
駅から徒歩10分、1LDK、築5年。条件としては普通だった。なのに、“変わった”と前置きされるだけで、なぜか心が動いた。
内見に行った時、その理由はすぐにわかった。
「この部屋、時計が三つあるんです」
不動産屋の人がリビングの壁を指差した。そこには、三つの時計が横並びに掛かっていた。どれも同じデザインで、シンプルな白い文字盤に黒い針。新品みたいに清潔で、無機質だった。
私は三つの文字盤を見比べた。
一つ目は、12時ちょうど。
二つ目も、12時ちょうど。
三つ目も、12時ちょうど。
秒針はどれも止まっている。
「……全部同じ時間ですね」
そう言うと、不動産屋の人は、ゆっくり首を振った。
「いえ。これから変わるんです。この部屋に住む人によって。針が進むかどうかじゃなくて、“見え方”が変わるんだそうです」
「どういうことですか?」
「前の住人の方が言っていたんですが……一つ目は『嬉しい時間』、二つ目は『悲しい時間』を測るらしいです」
私は思わず笑いそうになった。冗談みたいな説明なのに、不動産屋の人は真面目な顔をしている。
「三つ目は?」
と聞くと、不動産屋の人はほんの少し言葉を探した。
「三つ目は……『普通の時間に関係している』らしいんですが。前の住人も、結局よくわからないって言ってました」
嬉しい。悲しい。普通。
私は三つの時計を見た。どれも同じ顔をして、同じ場所を指している。なのに、そこに並んでいるだけで、なぜか区別がつく気がした。
「測るって、どうやって?」
「さあ。でも前の住人の方は、この時計のおかげで“自分の人生がよく見えるようになった”って言ってました」
人生が、見える。
その言葉が、不思議と胸に残った。
「他に何か問題は?」
「家賃が相場より2万円安いくらいです。時計のことを気にしない方なら、お得だと思いますよ」
私は部屋を一周して、もう一度リビングの壁を見た。
三つの時計は、静かに12時を指したままだった。まだ、何も始まっていない顔。
少し考えてから、私は言った。
「ここにします」
不動産屋の人は、ほっとしたように笑った。
契約書にサインをした帰り際、玄関で靴を履いていると、不動産屋の人が小さな声で言った。
「時計、大切にしてあげてくださいね」
まるで、時計が生きているみたいな言い方だった。
私は曖昧に笑って、ドアを閉めた。
胸の奥に、知らない部屋の空気がまだ残っていた。
引っ越したのは、初夏だった。
段ボールを運び終えて、床に散らばったガムテープの切れ端を拾い集める。汗が背中に張り付いて、喉がからからだった。
水を飲んで、ふとリビングの壁を見る。
三つの時計が、そこに並んでいた。
一つ目も、二つ目も、三つ目も。
針は同じ場所を指したまま。
秒針は、動かない。
まだ、何も始まっていない。
「よろしくね」
誰に言うでもなく、そう呟いた。言葉にした瞬間だけ、部屋が少しだけ私のものになった気がした。
私は昔から、感情を表に出すのが苦手だった。
仕事でも、プライベートでも、いつも冷静でいようとしていた。嬉しいことがあっても顔には出さない。悲しいことがあっても、誰かに話す前に、自分の中で片づけてしまう。
感情を見せるのが、怖いというより——習慣だった。
だから、この時計の話も、最初は半分だけ信じていた。
半分は、面倒なオカルトとして棚に上げたまま。
最初の一週間は、本当に何も起こらなかった。
朝起きて、歯を磨いて、出勤して、帰ってきて、夕飯を食べて、シャワーを浴びて眠る。
そのたびに、時計をちらりと見る。
三つとも、12時ちょうど。
秒針も、動かない。
「やっぱり、そんな都合よくは変わらないよね」
そう思いかけた、ちょうど一週間目の朝だった。
目が覚めて、いつものようにリビングに行く。
窓から光が差し込んで、部屋の埃がゆっくり舞っている。
私は、無意識に壁を見た。
一つ目の時計が、12時5分を指していた。
「……え」
息が止まった。
二つ目と三つ目は、相変わらず12時ちょうどなのに。
一つ目だけが、わずかに進んでいる。
理由を探して、昨日を思い出す。
小さなプロジェクトがうまくいって、上司が「よくやった」と言ってくれた。
その場では笑って返しただけだった。周りの手前、嬉しさを表に出さないように。いつものように。
でも、帰り道。
その言葉だけが胸の中で何度も反芻されて、信号待ちのたびに、ふっと口元が緩みそうになった。
あれは、確かに、嬉しかった。
——もしかして、あの時間?
私は引き出しを開け、使いかけのノートを出した。
迷いなく、1行目に書く。
1週目:嬉しい時間 5分
その日から、時計は“話題”じゃなくなった。
観察対象になった。
嬉しいことがあるたびに、私は自分の心の奥を覗くようになった。
今のは作り笑いか。
今のは気遣いか。
それとも、本当に嬉しかったのか。
その日の夜、友達から電話があった。
久しぶりに話して、他愛ないことで笑った。近況を聞いて、どうでもいい愚痴を言って、途中から声が弾む。
通話時間は、たぶん30分くらい。
でも、全部が同じ温度だったわけじゃない。
最初の数分は、探り合うみたいに遠慮があった。
途中は笑っていても、どこか頭が別のことを考えていた。
それでも、確かに「楽しい」と思えた瞬間があった。
不意に、心の芯がほどけるみたいに、笑いが勝手にこぼれた時間が。
——あれは、10分くらいだった気がする。
翌朝。
私は真っ先に壁を見た。
一つ目の時計は、12時15分を指していた。
10分、進んでいる。
「……やっぱり」
私は、嬉しさより先に、妙な納得が来るのを感じた。
この時計は、笑っている時間を測っているんじゃない。
出来事の長さでもない。
私の心の芯まで、嬉しさが届いた分だけを測っている。
私はノートを開き、前日の下に書き足した。
(追記)友人との通話:嬉しい時間 +10分
一つ目の時計が、静かにそこにあった。
まるで、「それで合ってる」と言うみたいに。
二つ目と三つ目は、まだ12時ちょうどだった。
私は、ふと、息を吐いた。
この部屋で、私はたぶん、
自分の感情を“見える形”で受け取っていくことになる。
嬉しい時間と、悲しい時間と、
そして——普通の時間に関係している、何か。
まだ、何も始まっていないはずなのに。
もう、始まってしまった気がした。
それから、毎日、時計を見るのが楽しみになった。
嬉しいことがあった日は、一つ目が進む。
何もない日は、止まったまま。
私はそれを眺めながら、少しずつ、自分の感情の輪郭を覚えていった。
“感じているつもり”と、“本当に感じている”の差が、目に見える形で突きつけられる。
——面白い。
そう思ってしまう自分が、少しだけ怖かった。
一ヶ月が経った頃、二つ目の時計が動き始めた。
仕事で失敗した日の夜だった。
帰宅して、靴を脱いで、電気もつけないままリビングに立つ。
暗い部屋の中で、時計だけが白く浮かんで見えた。
上司に怒られた。
自分のミスで、チーム全体に迷惑をかけた。
帰り道は、ずっと同じことを考えていた。
「あそこで確認していれば」
「なんで気づかなかったんだろう」
頭の中で何度もやり直して、何度も失敗する。
たぶん一時間くらい、暗い気持ちだった。
でも、時計は——
二つ目が、12時10分を指していた。
「……10分?」
私は、思わず声に出した。
一時間落ち込んだのに、10分しか進まない。
それは、私が“悲しんでいない”ということなのか。
それとも、もっと別の何かなのか。
ノートを開き、書く。
1ヶ月目:悲しい時間 10分
少し考えて、私は気づいた。
落ち込むことと、悲しいことは、同じじゃない。
落ち込みは、失敗の処理だ。反省だ。焦りだ。
でも、悲しみはもっと深いところにある。
この時計は、表面的な落ち込みじゃなくて、
本当に心の底が痛む時間だけを拾っているんだ。
数日後、また“悲しいこと”があった。
昔の友達が引っ越すことになって、最後に会った。
カフェで話している間は、笑っていた。
思い出話をして、近況を聞いて、なんとなくいつも通りに時間が過ぎた。
でも、別れ際。
駅の改札の前で、「じゃあね」と言う瞬間。
胸の奥が、ぎゅっと縮むみたいに痛んだ。
たぶん、寂しいと思っていたのは30分とかじゃない。
長い時間一緒にいたのに、本当に心が締め付けられたのは、
最後の——数分だけだった。
翌朝、二つ目の時計を見る。
12時15分。
5分、進んでいた。
「……やっぱり、そうなんだ」
私はノートの下に、静かに追記した。
(追記)友人との別れ:悲しい時間 +5分
それから、私は三つの時計を観察し続けた。
一つ目の「嬉しい時間」は、少しずつ進んでいく。
友達と会った時間。美味しいものを食べた時間。好きな音楽を聴いた時間。
でも、出来事の“長さ”じゃなくて、
本当に嬉しいと思えた瞬間だけが、針を動かしていた。
二つ目の「悲しい時間」は、あまり進まなかった。
辛いことはあっても、心の底から悲しいと思うことは、意外と少ない。
そして。
三つ目の時計は、ずっと12時のままだった。
私は、何度もそれを見た。
何も変わらない顔。
何も起こらない針。
でも、不思議と「壊れている」とは思わなかった。
壊れているのではなく——
“そういうもの”として、そこにある感じがした。
半年が経った。
一つ目の時計は、2時間15分を指していた。
半年で、2時間15分の嬉しい時間があった。
二つ目の時計は、45分を指していた。
半年で、45分の悲しい時間があった。
三つ目の時計は、まだ12時だった。
「普通の時間って、いつ動くんだろう」
私は、毎日を過ごしながら考えた。
仕事をしている時間。家事をしている時間。
ぼーっとテレビを見ている時間。
嬉しくも悲しくもない、ただ過ぎていく時間。
——もしかして、それが「普通の時間」?
でも、三つ目は動かない。
一年が経った。
一つ目は、4時間30分。
二つ目は、1時間20分。
三つ目は、相変わらず12時。
ある夜、ふと計算して、私は笑ってしまった。
一年は、8760時間ある。
でも、本当に嬉しいと感じた時間は、4時間30分しかない。
本当に悲しいと感じた時間は、1時間20分しかない。
じゃあ、残りの——8754時間は?
それが、普通の時間なんだろうか。
なのに、三つ目は動かない。
なぜ?
その答えがわかったのは、一年半が経った頃だった。
ある朝、目が覚めて、リビングに行く。
いつものように壁を見る。
一つ目と二つ目は、それぞれの時間を刻んでいる。
三つ目は、12時のまま。
窓を開けた。
初夏の匂いが、風に乗って部屋に入ってくる。
その瞬間、私は気づいた。
今、私は嬉しくない。
悲しくもない。
ただ、ここにいる。
風が頬をなでる。
空が明るい。
肺が、ゆっくり膨らむ。
——これが、「普通の時間」なんだ。
嬉しくも悲しくもない、ただ生きている時間。
それは、いつもここにある。
だから、三つ目の時計は12時に留まり続ける。
「普通の時間」は、測る必要がない。
いや、違う。
測る必要がない、というより——
この時計には、測るという発想そのものが届かない。
なぜなら、それは、
“いつもここにある時間”だからだ。
一つ目と二つ目の時計が刻む特別な瞬間以外の、すべての時間。
それが普通の時間で、
それは時計の針が示す「12時」という場所に、ずっと在り続けている。
私は、三つの時計を見た。
一つ目と二つ目は、私の人生の特別な瞬間を記録してくれている。
三つ目は、何も記録しない。
でも、それは「ない」わけじゃない。
「いつもここにある」んだ。
私は、しばらくそのまま立っていた。
時計の針は、動かない。
でも、部屋の中の空気は確かに動いていた。窓から入る風が、カーテンの端をわずかに揺らし、床に落ちた光の形を変えていく。
私は、三つの時計をもう一度見上げた。
一つ目は、私の喜びを刻んでいる。
二つ目は、私の悲しみを刻んでいる。
そして三つ目は——何も刻まない。
けれど、何もないわけじゃない。
それは“いつもここにある時間”の居場所として、12時という場所に留まり続けている。
それは私が何かを感じていようと、感じていまいと、
私がちゃんと今日を生きている限り、ずっとそこにある。
嬉しい時間と、悲しい時間は、特別だ。
心が動いた証拠として、針が進む。
でも、普通の時間は、特別じゃないからこそ確かだ。
測って証明しなくても、消えない。
ただそこにある。
私は、ふっと笑った。
この部屋に決めて、よかった。
特別な瞬間だけが人生じゃない。
特別じゃない時間の上に、特別が乗っている。
だから、私は今日もこうして窓を開けて、風を感じられる。
ソファに腰を下ろす。
背もたれに体を預けると、さっきまで張っていた肩の力が、ゆっくり抜けていった。
風が頬を撫でる。
外の音が、遠くでかすかに鳴っている。
三つの時計が、静かに壁にあった。
一つ目は、私の喜びを。
二つ目は、私の悲しみを。
三つ目は、いつもここにある日常を。
それぞれが、私の時間を見守ってくれている。
これからも、ここで暮らしていく。
三つの時間と一緒に。
