必死だった「しっかり者」が、自分の等身大を受け入れて「淡々」となるまでの話
小学生から大学生まで、周りから言われていた言葉を並べてみたら、そこには私の、リアルな変化のプロセスが映し出されていました。
🔹 小・中学生:「しっかり者」「まじめ」「天然」
小学生の頃は「しっかりしている」「お姉さん的」と言われ、その言葉に応えようと必死に背伸びをしていました。
中学時代は「まじめ」と言われる一方で、初めて「天然」とも言われるように。 当時の私は、運動以外は「すべてができる」=勉強ができる人でした。まだ世間や自分の不器用さを広く知らなかったからこそ、提示されたルールを疑うこともなく、「先生は絶対」「いい高校に入らなきゃ」と目の前の目標に向かってただただ必死。 その、物事を知らないがゆえの「真面目さ」が、周囲の目にはどこか、「天然」に映っていたのだと思います。
🔹 高校生:部活での「ストイック」と、完璧の終わり
高校の部活では、練習に対して「ストイック」と言われるようになりました。 けれどその一方で、勉強面では「すべてを完璧にこなすことはできない」という現実を思い知った時期でもありました。
上を見れば、できる人はいくらでもいる。自分は一番ではない。自分の中にも「好き」と「嫌い(苦手)」がはっきりとあることを知り、時には赤点を取ることもありました。中学までの「頑張れば全部できる」という感覚が崩れたのがこの高校時代でした。
けれど、色々な友達との出会いがあり、それぞれだと認識もした時代です。
🔹 大学生:好きなことを中心に、手に入れた「淡々」
すべてを完璧にはできない。自分の凸凹(デコボコ)を受け入れたからこそ、大学時代はぐっと自由になりました。誰かと競って完璧を目指すのではなく、「自分の好きなこと」を中心に選んで、自分のペースで学ぶことができるようになったのです。(それでも人と比べることはもちろん、ありましたが。就活とか)
この頃によく言われたのが、「淡々としている」「夏でも涼しい顔をしてる」という言葉でした。 それは、何も知らずに必死だった小・中学時代や、周りはすごい!と思う高校時代を経て、良い意味で肩の力が抜け、「自分のできること・好きなプロセスをフラットに進める術」を身につけた姿だったのだと思います。
💡 振り返ってみて
今、キャリア迷子の中にいる私は、無意識のうちに「またあの頃のように、すべてを完璧にこなさなきゃいけないんじゃないか」と自分を追い込もうとしていた気がします。
でも、大学時代の私が「好きなこと」を中心に据えて、淡々と楽しんでいたように。 何でもできる完璧な人になることではなく、「自分の『好き』や『得意』を自覚した上で、自分のペースで、フラットにプロセスを楽しむこと」。かもしれません。
