人は、もっとも小さな自然 01|生成と変態の形を読む
19世紀初頭、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749–1832)は「形態学」を提唱した。そこでは、一つの形態を固定されたものではなく、生成し続ける運動の過程として捉えている。
完成した「花」という「結果」を見るのではなく、種から芽、葉、そして花へと移り変わる連続性に、また、動物の形が変わりゆくうちに、原型(Urform)を見出そうとしたのである。
原型は完成形として存在するのではなく、変態(Metamorphose)の過程そのものに宿る、永遠に続く円環的運動の一形態。それは、まるで螺旋のように廻りながら次の形を生み出していく運動であり、人もまたその一要素。それが彼の考える自然の形であり、後にラマルクやダーウィンへと連なる進化思想の種となった。
しかし、私たちはいつから、人と自然を切り離して考えるようになったのだろうか。都市に暮らす私たちは、食べ物も、水も、エネルギーも、自然とは別の所から供給されているかのような感覚のなかで生きている。特に現代において、その乖離は極まりつつある。
かつて「命」であったはずの食べ物を、私たちはスマートフォンをかざし、電子マネーというデジタルな記号で「決済」する。そこでは、一つの命が終わり、自分の命へと繋がっていくという生々しい「変態」のプロセスは、ほとんど不可視化されている。
調理しやすく処理され、パッケージされた食材の背後にある土の匂いや水の流れ、植物を採ったときの手の感触、そして動物の最期の震えを感じることは、もはや容易ではない。
効率と利便性を突き詰めた結果、私たちは自然を制御可能なシステムとして扱うようになり、自らもその円環的運動の一部であるという実感を失ってしまったのだろうか。
ただ、私たちが食事の前に何気なく口にする「いただきます」という言葉には、その不可視化された循環を繋ぎ止める、微かな記憶が宿っている。この言葉は、単なるマナーではない。自分の命を維持するために、自分以外の「もう一つの命」をいただくことへの、深い祈りと感謝の表明が込められている。
事実、人は人以外の自然の命に支えられている。それは、単にエネルギー循環といった表層的な理解ではなく、縄文時代の昔から、あるいは現代に生きるハンター・ギャザラーがその糧を得た時、即ちその命を絶った時に感じる、「生きる」という切なる自覚に他ならない。
自然のシステムが巨大な円環的運動であり、人もそのリズムの一つであるなら、人は自然と切り離された存在ではない。そして、人は自然が無ければ一刻も存在できないのであるならば、「人は、もっとも小さな自然」と言える。
このテーゼは、近代的な「人が自然を管理する」という傲りからも、あるいは「人は自然を壊す癌細胞である」という悲観からも、私たちを解放してくれる。
それは、人を特別視するのでも、否定するのでもなく、自然の運動のなかに正確に置き直すための出発点なのである。そして、その到達点は、自然と人との関係性を知識として学ぶことではなく、電子マネーの決済音にかき消されてしまった「命への手触り」を思い出すことなのである。
この視点に立つと、近代が用意してきた多くの評価語が使えなくなる。発展や衰退、成功や失敗といった言葉は、世界を理解するための道具であると同時に、世界を単純化してしまう刃でもある。少なくとも、私が「北海道・北東北の縄文遺跡群」をユネスコ世界文化遺産に登録するための推薦書に取り組んでいたとき、これらの言葉はほとんど役に立たなかった。
縄文社会の歩みは、「発展/衰退」という評価語で切り分けられる種類の時間ではなかったからである。
発掘調査で明らかになってきた縄文時代の暮らしのあり方は、進歩や発展の物語というより、反復と調整、循環と更新の痕跡である。その営みは気候変動にともなう植生遷移や海水面の変動などと絡み合いながら、何度も「集落」の構造を変えながら続いてきた。
一万年以上に及ぶ縄文時代において、集落の形態を変えながら存続したその営みは、サステナブル(持続可能)というよりも、むしろ環境変化にしなやかに対応するレジリエンス(回復可能性)に近いものであった。そこには、近代社会が前提としてきた一方向に発展する時間とは異なる、別の価値観と時間感覚が流れている。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録。その取組を通して、私のなかに一つの思いが形を取り始めた。自然界の生物にとって完成形は存在せず、形は環境のなかで変態する。そして、その変態が円環的な運動にあるなら、人の進化や発達、人が創り出す思想やアート、さらには社会や経済までもが、発展という直線的な運動などではなく、円環という同じ運動の位相にあるのではないかという考えである。
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