茨城県の市町村合併の歴史

気になったのでまとめました。



阿見町

阿見町の合併の歴史は以下の通りです。

  • 1955年(昭和30年)4月1日、旧阿見町、朝日村、君原村の1町3村が合併して新たな阿見町が発足しました。

  • 同年4月20日には、舟島村の大部分が阿見町に編入されました(一部は美浦村として分離)。

  • それ以前は、明治22年(1889年)に町村制施行により、阿見村、君原村、朝日村、舟島村などがそれぞれ成立していました。

  • その後、昭和30年の合併を経て現在の阿見町の形ができました。

  • 2006年には隣接する美浦村との合併案がありましたが、住民投票で反対されて白紙となりました。

  • 近年では2025年の国勢調査後に市制施行をめざし、2027年11月1日に「阿見市」としての市制施行が正式に発表されています。

石岡市

石岡市は、2005年(平成17年)10月1日に旧石岡市と旧八郷町が合併して新たに誕生しました。

  • 旧石岡市は、1954年(昭和29年)2月11日に市制施行し、当時の石岡町が高浜町・三村・関川村を編入して成立。これは茨城県内で5番目の市制施行でした。

  • 旧八郷町は、昭和30年(1955年)に柿岡町や小幡村、葦穂村、恋瀬村、瓦会村、園部村、林村、小桜村の1町7村が合併して誕生しました。

  • これら2つの自治体が平成の大合併期に合併協議会を設置し、2005年(平成17年)10月1日に新設合併(対等合併)方式で新しい石岡市となりました。

潮来市

  • 明治22年(1889年)に町村制施行があり、潮来村と大洲村が合併して潮来町が発足しました。

  • その後、香澄村(牛堀、永山、堀之内、茂木、清水の各村を大字とする)と八代村(島須、上戸の両村を大字とする)がありました。

  • 昭和30年(1955年)に、潮来町、津知村、延方村、大生原村の1町3村が合併して新潮来町が誕生しました。

  • 同年、香澄村と八代村が合併して牛堀村となり、同年11月に町制を施行して牛堀町となりました。

  • 平成13年(2001年)4月1日、潮来町と牛堀町が合併して新たに潮来市となり、行方郡内で最初の市が誕生しました。これは人口要件緩和の改正合併特例法の第一号適用によるもので、人口約32,000人の新市でした。

  • 合併の背景には、両町が水郷地帯として豊かな自然環境と文化を共有し、交通網の発展や産業の変化に対応するための行政効率化と地域活性化のねらいがありました。

稲敷市

  • 稲敷市は2005年(平成17年)3月22日に、江戸崎町、新利根町、桜川村、東町の4町村が合併して誕生しました。

  • 合併した地域は、もともと旧稲敷郡に属しており、一部は明治期に千葉県香取郡から編入された地域も含まれています。

  • 江戸時代には水運の拠点として栄えた江戸崎地区を中心に、豊かな自然環境と広大な水田地帯が広がっています。

  • 市の合併協議は2003年(平成15年)に設立され、2004年には合併協定書にも調印されるなど準備が進められました。

茨城町

  • 1955年(昭和30年)2月、長岡村が町制施行して長岡町となり、長岡町、川根村、上野合村、沼前村の4つの村・町が合併し「茨城町」が誕生しました。

  • 1958年(昭和33年)3月5日には石崎村を編入合併し、現在の茨城町のほぼ全域となっています。

  • それ以前は、1889年(明治22年)の町村制施行により、東茨城郡の長岡村、川根村、上野合村、石崎村と鹿島郡の沼前村などが成立していました。

  • 平成の大合併期には水戸市との合併協議会も設立されましたが、現在も独立した町として存続しています。

牛久市

  • 明治22年(1889年)に町村制が施行され、現在の牛久市域は複数の村々(牛久村、岡田村、奥野村など)に分かれて成立しました。

  • 明治29年(1896年)に河内郡牛久村が稲敷郡牛久村に、岡田村や奥野村も稲敷郡に所属が変わりました。

  • 昭和29年(1954年)1月1日に牛久村が牛久町となり、4月1日に岡田村と合併して新たな牛久町が誕生しました。

  • 昭和30年(1955年)2月10日に奥野村も牛久町に編入されています。

  • 昭和32年(1957年)7月1日には隣接する阿見町の福田地区の一部が牛久町に編入されました。

  • その後、昭和61年(1986年)6月1日に牛久町が市制を施行し、牛久市となりました。

大洗町

  • 大洗町は1954年(昭和29年)11月3日に、東茨城郡の磯浜町と大貫町が合併して新設合併により誕生しました。

  • 合併に先立ち、昭和29年1月23日に両町の代表者による合併懇談会が開かれ、合併協議会が結成されて準備が進められました。

  • 合併発足後の1955年(昭和30年)7月23日には、隣接の鹿島郡旭村から旧夏海地区の一部が大洗町に編入され、町の領域が拡大しました。

小美玉市

  • 小美玉市は2006年(平成18年)3月27日に、東茨城郡の小川町・美野里町と新治郡の玉里村の3つの町村が合併して新設された市です。

  • 合併に向けては、2001年(平成13年)11月に3町村の議会議員による広域合併問題協議会が設置され、合併協議会の設立や合併方式の決定など準備が進められました。

  • 2005年から2006年にかけて住民説明会や合併協定調印式が行われ、合併協議が具体化されていきました。

  • 2006年3月27日に合併が正式に実施され、小美玉市が誕生しました。同時に新治郡は消滅しました。

笠間市

  • 明治22年(1889年)に町村制が施行され、笠間町をはじめ宍戸町、大原村、北川根村、鯉淵村などが成立しました。

  • 昭和30年1月に宍戸町・大原村・北川根村及び鯉淵村の一部が合併し友部町が誕生しました。

  • 昭和33年8月に西茨城郡稲田町と合併し、笠間市として市制を施行しています。

  • 岩間町は大正12年(1923年)に成立し、その後昭和29年(1954年)に南川根村と合併し規模を拡大しました。

  • 2006年3月19日に旧笠間市、友部町、岩間町が新設合併し、新しい笠間市が誕生しました。この合併により西茨城郡は消滅しています。

  • 合併協議は2002年頃に始まり、紆余曲折を経た後、2005年に合併が正式に決定され、2006年に発足しました。

鹿嶋市

  • 明治22年(1889年)4月1日に町村制施行により、鹿島郡内で宮中村と根三田村が合併して「鹿島町」が発足しました。

  • 同じく明治期に高松村、豊津村、豊郷村、波野村、大同村、中野村など複数の村が成立しました。

  • 昭和29年(1954年)9月15日に、鹿島町が高松村、豊津村、豊郷村、波野村と合併し、改めて鹿島町となりました。

  • 昭和30年(1955年)3月3日には、大同村と中野村が合併して大野村が発足しました。

  • 平成7年(1995年)9月1日に鹿島町が大野村を編入合併し、市制を施行して「鹿嶋市」となりました。市名については佐賀県に同名の鹿島市があったため、同じ読みのまま異体字の「嶋」を使うことで区別しています。

かすみがうら市

  • かすみがうら市は2005年(平成17年)3月28日に、新治郡の霞ヶ浦町と千代田町が合併して新設された市です。

  • 霞ヶ浦町はもともと1955年(昭和30年)に下大津村、美並村、牛渡村、佐賀村、安飾村、志士庫村の6村が合併して出島村となり、1997年(平成9年)に町制施行とともに霞ヶ浦町と改称されました。

  • 千代田町は1954年(昭和29年)に志筑村、新治村、七会村の3村が合併して千代田村が発足し、その後1992年(平成4年)に町制施行し千代田町となりました。

  • 新設されたかすみがうら市は、霞ヶ浦という湖の名前を由来としつつ、旧町名の公平性のため市名はひらがな表記となりました。

神栖市

  • 明治22年(1889年)の町村制施行により、鹿島郡内に息栖村(旧・居切村などの合併)、軽野村、東下村(のちの波崎町)、矢田部村、若松村などが成立しました。

  • 1955年(昭和30年)3月1日に息栖村と軽野村が合併して神栖村が誕生しました。

  • 1963年(昭和38年)に東下村が町制を施行し、波崎町となりました。

  • 1955年から1956年にかけて波崎町は矢田部村や若松村の一部を編入して規模を拡大しました。

  • 1970年(昭和45年)1月1日に神栖村が町制施行し、神栖町となりました。

  • 1980年(昭和55年)に神栖町と波崎町の境界が一部変更されました。

  • 平成の大合併期にあたる2005年(平成17年)8月1日、神栖町と波崎町が合併し、市制を施行して新たに神栖市が誕生しました。この合併により波崎町は廃止されました。

  • 合併に向けては2004年4月に波崎町長から神栖町長へ合併協議の申し入れがあり、その後「神栖町・波崎町合併協議会」が設置され、協議が進められました。

河内町

  • 昭和30年(1955年)5月3日に長竿村・源清田村・生板村の3村が合併して「河内村」が誕生しました。

  • 昭和33年(1958年)2月15日に隣接していた金江津村が河内村に編入され、旧4村による河内村が成立しました。

  • その後、農業の基盤整備や用水パイプラインの導入、道路整備(長豊橋の開通:1968年・常総大橋の開通:1979年)などのインフラ整備を進めて発展を遂げました。

  • 平成8年(1996年)6月1日に町制を施行し、河内村から「河内町」となりました。

北茨城市

北茨城市は、1953年(昭和28年)に町村合併促進法が公布されたことを契機に、合併の機運が高まりました。主な合併の流れは次の通りです。

  • 1955年(昭和30年)には、磯原町と華川村が合併し、新たに磯原町が誕生しました。

  • その翌年の1956年(昭和31年)3月31日には、磯原町、大津町、平潟町、関南村、関本村、南中郷村の6つの町村が合併し、茨城県内で15番目の市として北茨城市が新設されました。

  • 北茨城市の誕生当時の人口は約6万人で、現在の北茨城市の基礎となっています。

古河市

  • 古河市は2005年(平成17年)9月12日に、旧古河市と猿島郡の総和町、三和町の1市2町が新設合併して誕生しました。

  • 旧古河市は1950年(昭和25年)8月1日に単独市制を施行し、茨城県内で4番目の市として成立しました。古くは「許我(こが)」と表記され、歴史は奈良時代の万葉集にも詠まれるほど古く、室町時代の鎌倉公方の本拠地としても栄えました。

  • 旧総和町は1955年(昭和30年)3月16日に勝鹿村・岡郷村・桜井村・香取村の4村が合併して総和村となり、1968年(昭和43年)に町制施行で総和町となりました。

  • 旧三和町は1955年に幸島村・八俣村と隣接の結城郡名崎村が合併して成立しました。

  • これらの市町村が連携し合併協議会を設立し、2005年に新設合併方式で現在の古河市が作られました。合併によって人口は約14万人となり、茨城県西地域の中核的な都市へ発展を遂げています。

五霞町

  • 五霞町は元々「五霞村」として1889年(明治22年)4月1日に誕生しました。この時、西葛飾郡の元栗橋村、幸主村、山王山村、山王村、江川村、冬木村、新幸谷村、川妻村、小手指村、大福田村、小福田村の11村が合併してできたものです。

  • 1896年(明治29年)3月29日に郡の区画変更で五霞村は猿島郡に編入されました。

  • 以降130年以上にわたり合併なく村制を維持しました。

  • 1996年(平成8年)6月1日に五霞村は町制を施行し、「五霞町」となりました。

  • 2000年代には埼玉県幸手市との跨県合併の協議も進められましたが、住民の意向もあり最終的には合併協議会が解散され、単独での存続が決定しました。

境町

  • 江戸時代は関宿藩領であり、河川舟運の拠点として発展しました。

  • 明治22年(1889年)の町村制施行により、猿島郡内に境町の前身となる境村や長田村、静村、森戸村、猿島村などが成立しました。

  • 昭和30年(1955年)3月16日に、旧・境町、長田村、猿島村、森戸村、静村の1町4村が合併して新たに現在の境町が誕生しました。

  • その後も境町は、工業団地の整備や交通インフラの発展(1964年の境大橋開橋など)により地域の発展を支えています。

  • 平成時代には、隣接した岩井市(現在の坂東市)や猿島町との合併も検討されましたが、住民投票で反対が多数を占めたため、単独町制が継続されました。

桜川市

  • 桜川市は2005年(平成17年)10月1日に、旧岩瀬町(西茨城郡)、旧真壁町(真壁郡)、旧大和村(真壁郡)の2町1村が合併して誕生しました。

  • 旧岩瀬町は岩瀬盆地の中央を東西に流れる桜川周辺の地域で、大昔からの遺跡が多く存在し、古代には常陸国新治郡に属していました。

  • 旧真壁町は江戸時代の町割りが現在も残る歴史的な町で、1954年に周辺の村々と合併して成立、その後2005年の合併まで町制を維持していました。

  • 旧大和村は昭和29年(1954年)に複数の村が合併して誕生しました。

  • 3つの町村の合併により、新たに「桜川市」が生まれ、市名は両地域を縦断し霞ヶ浦に注ぐ「桜川」に由来します。市名は公募で選ばれ、3町村共通のキーワードであったことから決定されました。

  • 合併に伴い、旧真壁町は「桜川市真壁町」として地名を保存しています。

下妻市

  • 1954年(昭和29年)4月1日、旧下妻町、大宝村、騰波ノ江村が合併し新しい下妻町が誕生しました。

  • 同年6月1日にはさらに上妻村、総上村、豊加美村、高道祖村が合併し、下妻市として市制を施行し発足しました。この時点で、1町6村の広域合併による下妻市が成立したことになります。

  • これ以前の明治以降の町村制施行時には、真壁郡下妻町が存在し、周辺の村々と段階的に統合が進んでいました。

  • 平成の大合併期では、2006年(平成18年)1月1日に隣接していた結城郡千代川村と合併し、新たな下妻市が誕生しました。この合併により市の人口や面積が拡大しています。

  • 合併の過程では、下妻市と周辺町村による広域合併の検討もありましたが、市民の強い「下妻市の名を残してほしい」という声が反映され、最終的に下妻市と千代川村の合併でまとまりました。

常総市

  • 常総市は2006年(平成18年)1月1日に、旧水海道市と旧石下町が合併して誕生しました。

  • 旧水海道市は1954年(昭和29年)7月10日に水海道町を中心として周辺の村々が合併して市制を施行し、その後も近隣村の編入を経て現在の市域の基盤を形成していました。

  • 旧石下町も1950年代に複数の町村が統合されて成立し、農業や畜産、織物業が盛んな地域でした。

  • 当初、水海道市は筑波郡の伊奈町や谷和原村との合併を目指していましたが、合併協議は破談となり、代わりに結城郡石下町との合併協議が進められました。

  • 合併は水海道市が石下町を編入する形式をとりましたが、新市名は「常総市」とし、地域の一体感を図りました。

  • 常総市は鬼怒川や小貝川に囲まれた豊かな農業地帯で、水運の歴史が深く、水海道地区は江戸時代から重要な交通の要所として発展してきました。

城里町

  • 城里町は2005年(平成17年)2月1日に、茨城県東茨城郡の常北町、桂村、西茨城郡の七会村の1町2村が合併して新設された町です。

  • 常北町、桂村、七会村はいずれも「城北地方」と呼ばれ、古くから歴史的・地理的・経済的に結びつきが強く、住民の日常生活においても交流が盛んでした。

  • 合併に向けては2001年(平成13年)頃から合併研究会や住民アンケートを実施して合併の機運が醸成され、2003年3月に常北町・桂村・七会村合併推進協議会が設立され、その後法定合併協議会を設置して議論を重ねました。

  • 合併の背景には少子高齢化の進展、地方分権時代の到来、国・地方の財政悪化に対応するため、行財政基盤の強化と行政運営能力の向上が求められていたことがあります。

  • 3自治体の合併により、城里町は東西約19km、南北約13km、総面積約161.8平方キロメートル、人口約23,000人(合併当時)を擁する町として発足しました。

  • 発足後は行政組織の再編や財政計画の見直しなど、合併効果発揮のための施策が進められています。

  • また、2007年には水戸市との境界変更も行われています。

大子町

  • 大子町はもと陸奥国白河郡の「依上保(よりかみのほ)」と呼ばれた地域で、平安時代にはすでに成立していました。その後、常陸国に属するようになっています。

  • 明治22年(1889年)に町村制施行があり、保内郷地域で大子村、依上村、黒沢村、宮川村、袋田村、生瀬村、上小川村、下小川村、諸富野村などが成立しました。

  • 1891年(明治24年)には大子村が町制を施行し大子町となりました。

  • 1955年(昭和30年)3月31日に、保内郷の1町8村(上小川村、黒沢村、佐原村、生瀬村、袋田村、宮川村、依上村と下小川村の一部)が合併し、改めて現在の大子町が誕生しました。この際に下小川村の一部は那珂郡山方町(現・常陸大宮市)に分割されています。

  • 合併当時の人口は約43,000人でした。

高萩市

  • 1889年(明治22年)4月1日の町村制施行により、秋山村、島名村、安良川村、高萩村、伊師村の一部が合併して松原町が発足しました。

  • 1928年(昭和3年)4月17日に松岡村が町制施行し松岡町となりました。

  • 1937年(昭和12年)10月1日に松原町が高萩町に改称されました。

  • 1954年(昭和29年)11月23日に高萩町、松岡町、高岡村、黒前村の一部(福平)、櫛形村の一部(友部の一部)が合併し、新たに高萩市が発足しました。

  • 1955年(昭和30年)2月11日に高萩市の友部地区が黒前村および櫛形村の一部と合併して十王村が発足しました。

  • 1957年(昭和32年)7月1日には北茨城市中郷町日棚の一部が高萩市に編入されました。

筑西市

  • 筑西市は2005年(平成17年)3月28日に、旧下館市と旧真壁郡の関城町、明野町、協和町の1市3町が合併して誕生しました。

  • 旧下館市は歴史的に城下町として栄え、江戸時代以降は商業都市として発展。藤原秀郷ゆかりの地でもあります。

  • 真壁郡の関城町、明野町、協和町はそれぞれ歴史や自然、文化に特色があり、合併により広域の行政効率化と地域連携が進められました。

  • 合併に向けては2001年頃から複数の町村が合併協議会や研究会を設置し、合意形成を進めていきました。協和町が参加を一時拒否したりするなどの動きもありましたが、最終的に4つの自治体が結集して新市が誕生しました。

  • 合併後の筑西市は約10万3千人の人口を擁し、筑波山の西側に位置する茨城県西部の中核都市として、農業や工業、商業がバランスよく発展しています。

  • 新市名の候補には「しあわせ市」や「北つくば市」もありましたが、「筑西市」が選定されました。住所表示の「大字」表記は合併に伴い廃止されています。

つくば市

  • つくば市は、1987年(昭和62年)11月30日に、筑波郡の谷田部町・大穂町・豊里町と新治郡の桜村の3町1村が合併して誕生しました。この合併は筑波研究学園都市の一体的整備を背景としたもので、市の基盤形成の大きな転換点となりました。

  • 1988年(昭和63年)1月31日には、筑波郡の筑波町がつくば市に編入合併され、さらに市域が拡大しました。

  • 2002年(平成14年)11月1日には、隣接する稲敷郡の茎崎町が編入合併され、現在のつくば市の形が完成しました。

  • 合併の背景には、国による筑波研究学園都市建設の国家プロジェクトがあり、これに伴い複数の自治体が協力して広域的な行政運営を目指しました。昭和60年(1985年)の国際科学技術博覧会(つくば万博)開催も合併機運を高める契機となりました。

つくばみらい市

  • つくばみらい市は2006年(平成18年)3月27日に、筑波郡の伊奈町と谷和原村が合併して新設された市です。この合併により筑波郡は消滅しました。

  • 伊奈町は1954年(昭和29年)7月1日に三島村、谷井田村、豊村、小張村が合併して成立し、その後1985年(昭和60年)に町制を施行しました。

  • 谷和原村は1955年(昭和30年)に谷原村、十和村、福岡村、小絹村が合併して発足し、さらに1950年代に鹿島村と長崎村が合併して谷原村となるなど段階的に統合が進んでいました。

  • 合併に至るまでの協議は2003年ころから進められ、2004年12月までに11回の合併協議会が開催されましたが、合併に対しては住民の間でも賛否が分かれるなど紆余曲折がありました。

土浦市

  • 1940年(昭和15年)11月3日に、新治郡の土浦町と真鍋町が合併し、土浦市が誕生しました。茨城県内では三番目の市制施行です。

  • 1948年(昭和23年)9月1日には朝日村の一部(沖新田と荒川沖・荒川本郷の各一部)と都和村を編入しました。

  • 1954年(昭和29年)11月1日には上大津村を編入し、市域を拡大しています。

  • 平成の大合併の時期には、2006年(平成18年)2月20日に新治村を編入合併し、現在の土浦市の形となりました。これにより市域は約122.9平方キロメートルに拡大しました。

  • 合併前の歴史としては、明治22年(1889年)の町村制施行により土浦町などの町村が成立し、鉄道の開通や交通インフラの整備が進みました。第二次世界大戦前には霞ヶ浦海軍航空隊の拠点が置かれ「海軍のまち」としての役割も持っていました。

東海村

  • 1955年(昭和30年)3月31日、茨城県那珂郡の村松村と石神村が町村合併促進法により合併し、「東海村」が誕生しました。

  • 1956年(昭和31年)4月6日には日本原子力研究所の設置が決定され、以後、東海村は日本の原子力研究の中心地として発展してきました。

  • 1957年(昭和32年)8月には日本初の原子炉(JRR-1)が臨界に達し、原子力の火が灯った国内最初の場所となりました。

  • その後も原子燃料公社の精錬所開所や原子力発電所の営業運転開始など、数多くの原子力関連施設が東海村に集積しました。

  • 1999年には、JCO臨界事故が発生し、大きな影響を受けました。

  • 地理的には太平洋に面し、原子力施設のほか、交通インフラや学校、行政施設の整備も進められています。

利根町

  • 1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行され、北相馬郡に布川町、文村、文間村、東文間村の1町3村が成立しました。

  • 1955年(昭和30年)1月1日に、布川町、文村、文間村、東文間村が合併して「利根町」が誕生しました。当時の人口は約9,800人で、主に農業(稲作)が主要な産業でした。

  • 以降、利根町は農業を基盤としながら、1970年代以降は住宅団地の開発が進み、都市近郊地域として変貌を遂げました。

  • 2003年には隣接の龍ケ崎市との合併協議会が設置されましたが、合併は成立せず、2005年に合併協議会は廃止されました。

取手市

  • 明治22年(1889年)の町村制施行により、取手町(取手駅周辺・台宿村)と寺原村、井野村、稲戸井村、高井村、小文間村の1町5村が成立しました。

  • 昭和22年(1947年)には、井野村と取手町が合併して新たに取手町となりました。

  • 1955年(昭和30年)2月、町村合併促進法により、取手町・寺原村・稲戸井村・高井村の一部(同地村は守谷町に合併)・小文間村が合併して新しい取手町が誕生しました。

  • 1970年(昭和45年)10月1日、取手町は市制を施行して取手市となり、茨城県内で17番目の市となりました。

  • 2005年(平成17年)3月28日には、隣接する北相馬郡藤代町と合併し、人口10万人を突破。これにより「まちづくり特例市」に認定されて行政権限の移譲を受けるなど、都市基盤の強化が進みました。

那珂市

  • 那珂市は2005年(平成17年)1月21日に、旧那珂町と旧瓜連町が合併して新たに誕生しました。

  • 旧那珂町は1955年(昭和30年)3月31日に、那珂郡の菅谷町、神崎村、木崎村、五台村、戸多村、額田村、芳野村と合併して成立しており、茨城県内でも人口規模が大きい町でした。

  • 旧瓜連町は1955年(昭和30年)3月31日に、旧瓜連町と静村の一部が合併して新たに瓜連町となりました。

  • 合併前の旧那珂町および旧瓜連町は、それぞれ独自の文化や行政施設を充実させて発展を続けていました。

  • 2003年に那珂町と瓜連町の合併協議会が設置され、合意が得られた結果、2005年に合併して那珂市が誕生しました。

行方市

  • 2005年(平成17年)9月2日に、行方郡の麻生町、玉造町、北浦町の3町が合併して新設合併により行方市が誕生しました。この合併により行方郡は消滅しました。

  • 旧麻生町は、1955年(昭和30年)1月1日に麻生村、太田村、大和村、小高村、行方村の5か村が合併して成立しました。

  • 旧玉造町も1955年(昭和30年)1月1日に玉造町、手賀村、立花村、玉川村、現原村が合併して発足しています。

  • 旧北浦町は1955年(昭和30年)4月1日に武田村、津澄村、要村が合併して北浦村が発足し、1997年(平成9年)10月1日に町制を施行して北浦町となりました。

  • 合併時には、各旧町の住民からは近隣市との合併を望む声もありましたが合意には至らず、3町が一体となった行方市の成立に至っています。

坂東市

  • 坂東市は2005年(平成17年)3月22日に、岩井市と猿島町の対等合併によって誕生しました。この合併により猿島郡は消滅しています。

  • 合併に先立ち、2003年(平成15年)11月に合併協議会が設立され、新市の名称を公募し、その中から「坂東市」が選定されました。「坂東」は関東地方の古名で、関東一円を表す名称として地理的にも文化的にもふさわしいとされました。また、地域を流れる利根川の古くからの愛称「坂東太郎」に由来しています。

  • 坂東市は茨城県西部の県西地域に位置し、農業(特にレタス、ネギ、白菜などの近郊農業)が盛んで、工業団地も設置されています。市内には平将門公のゆかりの地とされる場所もあります。

日立市

  • 1889年(明治22年)に町村制が施行され、茨城県多賀郡の宮田村と滑川村が合併して「日立村」となりました。この地域には江戸時代から赤沢銅山と呼ばれる鉱山があり、鉱山の歴史が地域の基盤となっています。

  • 1924年(大正13年)に日立村は町制を施行して「日立町」となりました。一方、近隣の高鈴村は1925年に町制を施行し「助川町」となりました。

  • 1939年(昭和14年)4月1日に旧日立町と旧助川町が対等合併して「日立市」となりました。この合併において新たな市名を決める際には一時「常陸市」の案も出ましたが、県の判断で広く知られている「日立市」に決定しました。

  • 1940年(昭和15年)には市の紋章が制定されました。

  • 1955年(昭和30年)から1956年にかけて、日立市は多賀町、久慈町、中里村、日高村、坂本村、東小沢村、豊浦町と合併・編入し、現在の市域の基礎が形成されました。

  • 2004年(平成16年)には隣接する十王町と合併し、さらに市域が拡大しています。

  • 日立市は太平洋戦争末期に大きな戦災を受けましたが、その後復興が進み、鉱山および日立製作所を中心とした工業都市として発展してきました。

  • 市名「日立」は、江戸時代の徳川光圀による命名伝承に由来し、日立鉱山と日立製作所の知名度も合併時の市名決定に影響しました。

常陸太田市

  • 1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行され、久慈郡に太田町が発足しました。

  • 1954年(昭和29年)7月15日に、久慈郡太田町が機初村、西小沢村、幸久村、佐竹村、誉田村、佐都村の6村を編入合併し、町名を常陸太田町に改め、同日に市制を施行して「常陸太田市」が誕生しました。同時に改称したのは群馬県にすでに太田市があったためです。

  • 1955年(昭和30年)3月1日、世矢村と河内村の一部を編入しました。

  • 2004年(平成16年)12月1日には、金砂郷町、水府村、里美村の3町村を編入合併し、県内で最も広い面積を持つ市となりました。

常陸大宮市

  • 常陸大宮市は2004年(平成16年)10月16日に、那珂郡の大宮町、山方町、美和村、緒川村と東茨城郡の御前山村の5町村が合併して誕生しました。

  • 合併に伴い、大宮町は「常陸大宮町」に改称され、同日に市制を施行して「常陸大宮市」となりました。

  • 「常陸大宮」の名称は、関東地方で知名度の高い埼玉県の旧大宮市(現さいたま市大宮区)と区別するために旧国名の「常陸」を冠したものです。

  • 大宮町は明治時代以降、昭和の大合併期に複数の村や町が分村・合併しながら発展してきた地域で、江戸時代から水戸と奥州を結ぶ街道と久慈川の舟運の要衝として栄えました。

ひたちなか市

  • ひたちなか市は1994年(平成6年)11月1日に、旧勝田市と旧那珂湊市が合併して誕生しました。この合併は平成の大合併に先駆けたもので、平成初の新自治体発足となりました。

  • 旧勝田市は日立製作所の企業城下町として発展した工業都市で、多くの市民が日立製作所や関連企業に勤めており、また水戸市のベッドタウンでもあります。

  • 旧那珂湊市は水産業を主な産業とし、平磯海水浴場や阿字ヶ浦海水浴場などの観光資源を持っています。

  • 19世紀末から20世紀初頭にかけて、現ひたちなか市の地域には勝田村や中野村、川田村、佐野村、前渡村、湊町、平磯町などの町村が成立し、その後合併や市制施行を経て勝田市と那珂湊市が形成されました。

  • 合併後は茨城港常陸那珂港区の整備や国営ひたち海浜公園の開園などが進み、工業と水産業の双方の強みを生かした発展を続けています。

鉾田市

  • 鉾田市は2005年(平成17年)10月11日に、鹿島郡の旭村、鉾田町、大洋村の3町村が新設合併して誕生しました。この合併に伴い、鹿島郡は消滅しました。

  • 旧鉾田町は1889年(明治22年)に町村制施行で成立し、1955年(昭和30年)に新宮村、徳宿村、巴村、秋津村と合併して再編されました。

  • 旧旭村は1955年に夏海村、大谷村、諏訪村が合併して成立しており、太平洋の鹿島灘に面した地域です。

  • 旧大洋村も独自に存在し、これら3つの自治体が合併して鉾田市となりました。

  • 合併協議は2004年から進められ、住民投票や議会の合併協議会設置が経てられ、2005年に合併協定調印式が行われました。

水戸市

  • 1889年(明治22年)4月1日に市制を施行し、茨城県内では早期に市制を導入した都市の一つとなりました。当時の面積は約6.17平方キロメートル、人口は約25,591人でした。

  • 昭和期に入ってから合併を積極的に進め、昭和8年(1933年)に常磐村を編入し、市域と人口を拡大しました。

  • その後も昭和24年(1949年)から昭和33年(1958年)にかけて、吉田村、緑岡村、上大野村、柳河村、渡里村、酒門村の一部、河和田村の一部、飯富村、国田村、赤塚村など複数の村や町を編入し、面積を146.02平方キロメートル、人口を13万人以上に拡大しました。

  • 平成時代に入り、1992年(平成4年)に常澄村を編入して市域は175.9平方キロメートル、人口は約24万人に。

  • 2005年(平成17年)2月1日に隣接していた那珂郡内原町を編入合併し、現在の広さ217.45平方キロメートル、人口約26万人の規模となりました。

  • 内原町との合併にあたっては、2002年8月に内原町長から合併協議の申し入れがあり、2003年から法定協議会などで協議が重ねられ進められました。合併後は内原町役場を支所とし、議会議員の特例措置などもとられました。

美浦村

  • 1955年(昭和30年)4月1日に、旧・木原村、安中村、そして舟島村の一部(舟子地区)が合併し、最初は「霞村(かすみむら)」という名称で発足しましたが、即日「美浦村」に改称されました。

  • この合併により、稲敷郡の地域が再編され、現在の美浦村の基盤が形成されました。

  • 初代村長は市川郁三氏です。

  • 1978年(昭和53年)4月10日にはJRAの美浦トレーニングセンターが開場し、地域の特色ある施設として知られるようになりました。

守谷市

  • 守谷市はもともと北相馬郡に属し、1955年(昭和30年)3月1日に、守谷町と大井沢村、大野村、高野村の1町3村が合併して新たに「守谷町」が誕生しました。この合併により現在の守谷市の基盤が形成されました。

  • 旧守谷町は1889年(明治22年)に北相馬郡小山村、赤法花村と合併して誕生しており、その後約60年以上が経過した後の大規模な町村合併でした。

  • 合併前には当初、守谷町を中心に小絹村、高井村、稲戸井村なども含む大規模な合併計画がありましたが、小絹村などが合併に慎重な姿勢を示したため、最終的には守谷町と大井沢村、大野村、高野村の合併にとどまりました。

  • 守谷町誕生後も、町は都市化と企業誘致を進め、のちに2002年(平成14年)に市制を施行し、「守谷市」となりました。

  • 地名の由来には日本武尊が見た「森なる哉」に由来する説や、平将門が築いた城を守りやすい地形に由来する説などがあります。

八千代町

  • 明治22年(1889年)の町村制施行により、結城郡に安静村、下結城村、中結城村、西豊田村、川西村の5つの村が成立しました。

  • 1955年(昭和30年)1月1日に、この5つの村が合併して「八千代村」が誕生しました。

  • 同年6月には三和村の一部(成田新田)が八千代村に編入され、規模を拡大しました。

  • 1972年(昭和47年)2月1日に八千代村が町制を施行し、「八千代町」となりました。

結城市

  • 地理的には鬼怒川・田川沿岸の結城野に位置し、奈良時代以降、農業と織物(特に結城紬)の産地として栄えてきました。

  • 明治22年(1889年)の町村制施行によって、結城郡に結城町、絹川村、江川村、上山川村、山川村の1町4村が成立しました。

  • 昭和29年(1954年)3月14日に山川村が結城町に編入されました。

  • その翌日、昭和29年(1954年)3月15日に結城町、絹川村、江川村、上山川村が合併し、市制を施行して「結城市」となりました。これにより結城市が誕生し、茨城県内で6番目の市となりました。

竜ケ崎市

  • 龍ケ崎の地域は、縄文時代の遺跡が出土するなど古くから人が住んでいた地域で、平安時代以降、平将門の乱や藤原秀郷の活躍、戦国時代の豪族の勢力争いを経て発展してきました。

  • 明治22年(1889年)4月1日の町村制施行により、河内郡の龍ケ崎町が単独で自治体を形成しました。その後の郡区再編により稲敷郡所属となりました。

  • 昭和29年(1954年)3月20日に稲敷郡の龍ケ崎町、馴柴村、大宮村、八原村、長戸村と北相馬郡の川原代村、北文間村の1町6村が合併し、龍ケ崎市が誕生しました。

  • 昭和30年(1955年)2月21日に北相馬郡高須村の一部(高須、大留地区の一部)が編入され、現在の龍ケ崎市の市域となりました。

  • 市制施行後は、市役所や消防署、新しい中学校、公共施設の建設など都市基盤の整備が進み、教育、医療、文化施設が充実していきました。

  • 昭和40年代からは流通経済大学の開校など学園都市としても発展し、昭和50年代以降はニュータウン建設など住宅都市としての拡充が進み、人口が増加しました。

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