お前は自分とこのWACCを正しく言えるか
今回は少し長い。財務の話だ。経営企画なら避けて通れない領域だが、「なんとなく知っている」で止まっている人間が多い。だから書く。読み切れば、投資判断の見え方が変わるはずだ。
これ、JTCにいた頃の俺に聞いたら、正直怪しかった。
計算式は知っている。概念も理解している。
でも「今この瞬間の自社のWACC」を根拠込みで即答できるかというと、自信がなかった。
そういう経営企画は、思っているより多い。
「知っている」と「使える」は別の話
WACCという言葉を知っている人間は増えた。
財務研修が充実してきたからだ。
でも知っているのと、正しく計算できるのは別の話だ。
さらに、正しく計算できるのと、意思決定に使えるのは、また全然別の話だ。
現場で起きているのは、この3段階のどこかで詰まっている状態だ。
俺が見てきた「WACC誤用」3パターン
①3年前のCFO発言が今も生きている
3年前の中計策定時にCFOが言及した数字が、今も社内に出回っている。
誰も更新していない。
金利環境が激変しても、自社の借入構成が変わっても、数字は変わらない。
「うちは8%ハードルで見てます」という話が、実態とずれている。
②βを「なんとなく同業平均」で使っている
β値の意味を聞けば、たいていの経営企画は答えられる。
「市場全体の動きに対して、自社株がどれだけ感応するかの指標です」
教科書通りの回答だ。
でも次の質問で詰まる。
「じゃあ今のうちのβ、いくつか知ってる?」
上場企業ならまだいい。
株価データがあるから、自社のβを実際に計算できる。
具体的にはこうだ。
自社株の週次リターンと、TOPIXなどの市場インデックスのリターンを並べる。
過去2〜5年分のデータを取る。
その2つの共分散を、市場リターンの分散で割る。
それがβだ。
ExcelのSLOPE関数一発で出る。
ただしここにも落とし穴がある。
期間をどう取るかで数字が変わる。
2年で計算するのか、5年で計算するのかで、βは普通にズレる。
コロナ禍を含む期間で計算すれば、ボラティリティが高い時期が入るからβが上がりやすい。
週次か月次かでも変わる。
一般的には週次リターンで2〜3年分が実務では使いやすい。
ただしこれも絶対の正解ではない。
問題は非上場会社、あるいは上場企業の事業子会社のWACCを計算するときだ。
株価がないから、βが直接計算できない。
そこで出てくるのが「同業他社の平均を使う」という対処だ。
これ自体は間違いじゃない。
実務でも使われる正当な手法だ。
問題は「なんとなく」やっているときだ。
比較対象の選び方が雑になる。
「同業他社」の定義が曖昧なまま、なんとなく知っている会社を3社並べる。
その3社の事業構成が自社と全然違っても、平均を取って終わりにする。
さらにレバレッジの調整を忘れる。
他社のβはその会社の資本構成を反映した「レバードβ」だ。
自社の資本構成は違う。
だからいったんアンレバードβに戻して、自社のD/Eレシオで再レバレッジする必要がある。
この手順を省いているケースが多い。
正しい手順はこうだ。
・比較対象を事業内容・収益構造で絞り込む
・各社のβをアンレバード(負債の影響を除去)に変換する
・その平均を取る
・自社のD/Eレシオでレバードβに戻す
手間がかかる。
でもこの手間を省くと、βの数字が1割2割ズレる。
WACCへの影響は小さくない。
③デットコストが税引前のまま
これは地味だが、確実に計算を狂わせる。
デットコストの計算式は単純に見える。
支払利息÷有利子負債残高。
これで「うちの借入コストは2%だ」と出す。
でも止まってはいけない。
負債には税の遮蔽効果がある。
支払利息は損金算入できるから、実質的なコストは税引後で考えるべきだ。
法定実効税率を30%とすれば、2%のデットコストは税引後で1.4%になる。
税引後デットコスト = 税引前デットコスト × (1 - 実効税率)
知っている人間は多い。
でも実際の計算シートを見ると、税引前のまま使っていることがある。
「計算した気になっている」からだ。
支払利息÷有利子負債という計算をした時点で、仕事をした感覚になる。
そこで思考が止まる。
なぜ誤用が消えないのか
構造的な問題が2つある。
一つは「WACCを使う場面」と「WACCを計算する場面」が分離していることだ。
投資判断の場面でWACCを使うのは事業部や経営企画の上の人間だ。
でも計算しているのは若手か、そもそも誰も計算していない。
数字が一人歩きしている。
もう一つは「間違っていても誰も困らない」ことだ。
WACCが8%だろうが10%だろうが、投資案件のNPVが黒字なら通ってしまう。
赤字なら通らない。
その程度の使われ方をしていると、精度を上げるインセンティブが誰にも働かない。
経営企画が今すぐやるべき3つのこと
①毎年、WACCを計算し直す
「去年と変わってないはずです」という言葉ほど危ういものはない。
WACCを構成する要素は、放っておけば全部動く。
まず負債コストだ。
金利環境が変われば借入利率が変わる。
リファイナンスのタイミングで構成も変わる。
次に株主資本コストだ。
CAPMで計算するならリスクフリーレートが変わる。
国債利回りは毎年動く。
βも、業界環境や自社の事業構成が変われば変わる。
さらに資本構成自体が変わる。
増資すれば株主資本の比率が上がる。
借入を増やせばデットの比率が上がる。
これだけの変数があるのに、3年前の数字を使い続けるのはただの怠慢だ。
更新のタイミングは決算後が現実的だ。
更新したらCFOか財務責任者の承認を取る。
「経営企画が独自に計算した数字」ではなく「会社として使うWACC」にする。
この一手間が、数字の信頼性を全然変える。
②計算ロジックをA4一枚にまとめて共有する
WACCの数字だけ共有しても意味がない。
「なぜその数字になるのか」がブラックボックスのままだと、誰も疑えないし、誰も更新できない。
シートに落とすべき項目はシンプルだ。
・リスクフリーレート:何年物の国債を使っているか
・β:どの会社・期間のデータを使っているか
・マーケットリスクプレミアム:何のデータを参照しているか
・デットコスト:どう計算しているか、税率は何%を使っているか
・資本構成:簿価ベースか時価ベースか
根拠が見えていれば、「この仮定は保守的すぎないか」という議論ができる。
逆に根拠が見えていない数字は、誰かが都合よく書き換えても誰も気づかない。
あるいは誰も触れなくなって、ただ老朽化していく。
大事なのは「誰が見ても再現できる」状態を作ることだ。
③WACCとハードルレートを混同させない
WACCはあくまで「資本コスト」だ。
株主と債権者が要求するリターンの加重平均。
言い換えれば、会社が存続するために最低限稼がなければいけない収益率だ。
一方、投資判断のハードルレートは別物だ。
WACCに「その投資固有のリスクプレミアム」を乗せた数字がハードルレートになる。
新規事業なら不確実性が高い分、上乗せが大きくなる。
既存事業の設備更新なら、上乗せは小さくていい。
つまりハードルレートは投資案件ごとに変わるのが本来の姿だ。
ところが現場ではこうなっている。
「うちはWACC8%だから、IRR8%超えてれば通す」
これは間違いではないが、粗い。
リスクの高い新規事業も、リスクの低い既存ラインの増強も、同じ8%で判断している。
結果として何が起きるか。
リスクの高い案件が通りやすくなる。
リスクの低い堅実な案件が「8%ギリギリ」で却下される。
ポートフォリオ全体が知らないうちに歪む。
整理するとこうだ(数字は例)。
・既存事業の設備更新 → WACC+2〜3%
・隣接領域への事業拡張 → WACC+4〜5%
・新規事業・新市場参入 → WACC+7〜10%
大事なのは「全案件を同じ物差しで測らない」という意識を組織に持たせることだ。
WACCとハードルレートの違いを聞いたとき、「同じじゃないですか」と返ってくる会社は、投資判断の設計が甘い。
「たしか」で語るな
資本コストは、会社が投資家に約束しているリターンの最低ラインだ。
それを曖昧にしたまま投資判断をするのは、ゴール地点を知らないままマラソンを走るようなものだ。
経営企画がWACCを「たしか」で語るなら、その会社の投資判断は全部「たしか」で動いている。
