ひ弱な馬よ、愛しい奴らを乗せてこい!
著者 毎日人間(孫)
第一章 トムとジェリー仲良く喧嘩しな
皆さんは祖母を何と呼んでいるだろうか。
私は「ババア」と呼んでいる。
ただのババアではない。
頭に「クソ」を付けていたので、
正式名称は「クソババア」だ。
ババアはパリピだった。
毎朝五時から始まるお茶会は、参加者全員の耳が遠いため祭りのような騒々しさだ。
おかげで家族は慢性的な睡眠不足に苦しんでいた。
ババアはその日も友人たちを家に招き、ルームツアーを開催していた。
「ここはリビング」
「ここはキッチン」
──トイレにも聞こえるほどの大声を聞きながら、私は嫌な予感がしていた。
「ここはトイレ」
トイレのドアが全開になり、私は知らないババア共の前で下半身を晒すことになった。
しかも、本日の“出し物”は大である。
「あらぁ~!お姉ちゃん入ってたのね。これ、孫ね」
驚いたことにババアはそのまま会話を続ける。
「あらぁ~、お邪魔してますぅ~」
類は友を呼ぶのだろう。ババアの友人たちもそのまま会話を続ける。
「祖母がお世話になっております。(白目)」
私のHPは0だ。
精神的なダメージでゲロを吐きそうだ。
「ここは私の部屋~」
ババアと友人たちは何事もなかったかのように
ルームツアーを再開し始めた。
「………閉めてけや、クソッ!」
あのババア、生かしておけない!
私は、悔しさで泣きながら復讐を誓った。
真夜中、私はそっと起き上がり、ババアの部屋へ向かった。
時刻は午前1時。普段21時には寝てしまう私が起きていた理由はただひとつ、
──復讐だ。
ババアの部屋はまるで割ってくださいと懇願しているみたいに、ペラッペラの薄いガラス障子で隔たれている。
これを割られたら、さすがのババアもビビり散らすに違いない。
愛しのチャトラがリビングに居るのを確認する。
「チャトラ、見守っててくれよ」
合図を出すみたいに「ニャーン」とチャトラが鳴いた。
「おらぁ!」
あっけなく砕け散ったガラスを見て、尚も拳を振り上げる。さすがの尾崎豊だって、窓ガラスは素手で割ったらアカンと言っただろう。
「こんのクソガキ!!」
ババアは昔、剣道を習っていて年寄りとは思えない程に強い。
鬼の形相で追いかけて来た時は、本気で死を覚悟した。
────
そんなババアが亡くなった。
殺しても死なないと思っていたのに、あっけなく。
皆が泣く中、私は「手の込んだドッキリ」だと疑っていた。
カラフルな花に囲まれ、白い服を着たババアは、老けすぎた花嫁のようで可笑しかった。
「ゼクシィの表紙みたいじゃん」そう言うと父が泣きながら笑った。
一分も黙っていられないババアが、今日は随分と大人しい。
────夢を見た。
ババアの誕生日に欲しいものを聞こうと思ったのに、部屋にも、リビングにも、ババアの姿が見当たらない。
いつもだったら、炬燵に寝っ転がって直ぐ近くにリモコンがあるのに、
「ちょっと、お姉ちゃん。リモコン取って」
なんて言ってくる時間である。
せっかく優しい孫がプレゼントをあげようと思ったのに。
私は文句を言いながらババアを探し回った。
────
気付くと私はベッドに居た。
最悪な朝だった。
「……ババア、死にやがった」
馬鹿みたいに涙が止まらなかった。
────
私が作った馬はどう頑張っても内股になった。
精霊馬だというらしいが、霊を乗せるだなんて
野菜には荷が重い話である。
「ねぇ、あの巨漢に胡瓜って無理じゃない?
大根とかにした方が良いよね?」
「おばちゃん太ってるもんね」と母が笑う。
このひ弱な馬はあの世からババアを乗せて来るらしい。
胡瓜に跨がるババアを想像して笑ってしまった。
「久しぶりに喧嘩しようぜ、ジェリー」
思い出の中のババアがお茶目にウインクをした。
第二章 初恋の人は女の趣味が悪い
皆さんは祖父を何と呼んでいるだろうか?
私はとびっきりの愛情を込めて「じじ子」と呼んでいた。
じじ子は私の初恋の人だった。
「じじ子のカラコンないなぁ」
その日は、じじ子の運転でドンキホーテに来ていた。目的はただ一つ。
じじ子とお揃いのカラコンを手に入れる為だ。
ちょっと何を言ってるか分からないだろうが、当時の私は真剣だった。
じじ子とおんなじ紅茶色の瞳になりたい。
沢山の種類が置いてあるのだから、一個ぐらいは紅茶色のカラコンがある筈なのだ。
結局、目当てのカラコンは置いておらず、じじ子が疲れたから帰ろうと言ったので仕方なく珈琲色のカラコンを買った。
小学生の私は時間割りを見て教科書を準備したことがない。
上履きを洗ったこともない。
全てじじ子がやってくれたのである。
ちびまる子ちゃんの友蔵通り越して、花輪家に遣える執事のヒデじいである。
いや、ヒデじいだって花輪くんの為にも
「ご自分でおやりなさい」と言うかもしれない。
こうして甘やかされて育った私は自分に都合の悪いことがあると直ぐにじじ子に泣き付いた。
「ドラえもん!役に立つ道具出してよぅ!」
あぁ、私は完全にのび太だった。
────
ある日、じじ子と私とババアの三人でデパートへ行った。
ババアは趣味の裁縫用の布を買い、私は便乗して本を買ってもらった。
買ってもらった手前、私はババアの昔話を熱心に聞いた。
ババアは若い頃、スレンダーな美人で、それはそれはモテたらしい。
下駄箱には毎日ラブレターがぎっちぎちに詰まっていたそうだ。
私は1ミリも信じていなかったが、「スゴーイ」と言っておいた。
家に帰ったら読もうと、本を抱えて車に乗り込んだ。
数分後、じじ子の運転する車は駐車場で停車中の車に激突した。
その頃からだったのかもしれない──
誰よりもしっかり者のじじ子が物を失くすようになった。
家に居るのに家に帰りたいと言い出すようになった。
────
じじ子の紅茶色の瞳はどこまでも透明で、
美しいのに私を見てはいなかった。
「お姉ちゃん、今日は学校休みかぁ?」
私が卒業してから随分と時間が経っていた。
────
じじ子は認知症になってからも、我らの事を気にかけていた。
私の帰りが遅い日は自転車で探し回ったし。
雨が降れば弟を迎えに行くと言い張った。
ある日突然、じじ子が
「自転車がパンクして、パーツを買うからカインズに連れてってくれ」と私に頼んできた。
じじ子が私に頼ってきたのは初めてかもしれない。
そんなもんお安いご用だよと張り切ったが、自転車は弟のものだ。
やっぱりこの人は心の根っこまで誰かの為に生きているのだと思うと打ちのめされる思いだった。
────
カインズに到着して、私はトイレに寄った。
出てきた瞬間、待っていてと伝えたはずのじじ子がどこにも見当たらない。
慌てて周りを見回した。
自転車のコーナーにも、工具コーナーにも、日用品のコーナーにも、どこを探しても姿が見えない。
────
子供の頃、私は迷子になる天才だった。
「迷子になるから、離れないのよ」
めかしこんだババアが怖い顔で言い、
「おじいちゃんの手を離さないでね」
じじ子が優しい笑顔でそう言った。
「はーい!」
元気に返事をしても、約束を守れたことは一度もなかった。
デパートは子供にとって遊園地である。
様々な商品に目移りして、首輪が外れた犬のように走り回っているうちに、いつの間にか二人の姿がどこにもないのに気付いた。
その瞬間、魅力的だった遊園地は物がたくさんあるだけの場所に変わってしまった。
おじいちゃんと手を繋いだ女の子が目の前を歩いて行った。
おばあちゃん達が立ち話に花を咲かせている。
まるで世界にひとりきりになったみたいだった。
「お姉ちゃん。どこ行ってたんだぁ?」
振り返ると、じじ子がいつもの穏やかな笑顔で立っていた。
少し遅れて、ババアが駆け寄ってくる。
「だから言ったでしょ!」
怒鳴ったババアが私の頭を軽く叩いた。
私は安心して、じじ子にしがみついて泣いた。
もう、この二人から絶対に離れるものか─。
子供の私は強く心に刻んだ。
もちろん、翌日には綺麗に忘れていたけれど。
────
私は慌てて、近くに居た店員さんに声をかけた。
「すみません、おじいちゃんを見ませんでしたか?」
店員さんは困ったように微笑んで言った。
「おじいちゃんばかりなので」
それはそうだ。カインズである。
全国のおじいちゃんが集合する場所じゃないか
「服装とか覚えていませんか?」
情けないことにそれが全く思い出せないのだ。
私は自棄になって自分の顔を指さした。
「この顔です!私をそのままおじいちゃんにした顔です!」
「………………あ!見ました!此方です」
店員さんの後を追うと、全くおんなじ顔が
「お姉ちゃん。どこ行ってたんだぁ?」
と笑った。
遅いよ、じじ子。もっと早く迎えに来てよ。
私は安心して、おんなじ顔で笑った。
─────
ババアが死んでから、じじ子の笑顔が消えた。
葬式の準備は慌ただしかった。
私が死んだら遺影写真に使ってくれとババアが指定したのは五十代の時の物だった。
「流石にこれは若すぎる」と親戚が言い、大急ぎで写真を決め直すことにした。
アルバムの1ページは浜辺に打ち上げられたトドだった。
良く見たら、それは水着を着たババアで一丁前にウインクまでしていた。
「あぁ、懐かしい。二十歳ぐらいだね」
ババアの妹がのんびりと言った。
『若い頃はスレンダーな美人でね、それはそれはモテモテだったのよ』
今と全く変わらないじゃん!!
どこがスレンダーだよ!!
ウインクすんな腹立つ!!
私たちはアルバムを回し見し、腹を抱えてゲラゲラ笑った。
久しぶりにこんなに笑った気がした。
じじ子だけは笑わず、静かに。
まるで高嶺の花を見るような、恋する少年の目をしてババアを見つめていた。
────
家族で映画を観に行った時、じじ子は母の手を決して離さなかった。
「きよ子、愛してるよ。お前と決して離れないぞ」
ババアの名前を呼びながら、じじ子は何度も何度もそう言ったらしい。
らしいと言ったのは後から母に聞いたからだ。
────
「おじいちゃんが、いちばんすきなのだれ?」
「◯◯だよ、◯◯が一番好きだよ」
うそつき。じじ子の浮気者、一途じゃんかよ
────
ババアの遺影は本人の希望通り五十代の時のものになった。
これを見る度にムカつく顔してるなとしみじみ思う。
その隣には年相応の良い笑顔をしたじじ子がいる。
私の初恋の人は女の趣味がすこぶる悪い。
ババアは高いところから私を見下ろしている。
「あんたが惚れた男、私に首ったけだからね」
と言っているようだ。
悔しい、悔しくて堪らない。だが、いいさ。
私は今日、あんたに自慢をしに来たのだ。
「私ね、この人と結婚するよ」
夫は紅茶色の瞳をしている。

