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『道具を大切にする』と書いた大谷翔平が、世界一の舞台で投げ捨てたもの

大谷翔平の「グラブ投げ」は本当に“名シーン”なのか

2023年WBC決勝。
大谷翔平がトラウトを三振に仕留め、日本が世界一になった瞬間。
大谷は帽子を投げ、グラブを投げ、両手を突き上げて歓喜した。

このシーンは“名場面”として繰り返し放送され、
日本中が感動した――ということになっている。

だが、私はあのシーンを名シーンだと思っていない。
むしろ、あれを無批判に称賛し続ける空気の方が問題だと感じている。

(何を今さらと言う意見もあろう。前回のWBCの話でもう3年も経っている。だがどこかでこの話は書いておきたいと思っていた)

■ 子どもたちは「投げていい」と受け取った

少年野球の指導者から、こんな話を聞いた。
「子どもたちがグラブを投げるようになって困っている」
当然だ。
テレビで誰も批判しないのだから。

  • あれは自分の道具だからいい?
     → 普段は「物を大切にしろ」と教えているはずだ。

  • バットだって放り投げる?
     → あれはプレーの一環であって、感情の爆発ではない。

  • WBC優勝なんだから許される?
     → では甲子園優勝は?初勝利は?奇跡の復帰登板は?
      どこからが“投げていいライン”なのか。

子どもに注意しても「テレビで褒めてたもん」と返されたら終わりだ。
私なら「褒めてた大人たちが間違ってる」と指導するが、それで子どもが納得するだろうか?

■ 大谷は「道具を大切にする」と自分で書いていたはずだ

大谷は高校時代、目標達成シート(曼荼羅チャート)を作っていた。
その中に 「道具を大切にする」 という項目があった。

つまり、
自分で掲げた目標を、世界一の舞台で真っ先に破った
ということになる。

これを皮肉と言わずして何と言うのか。 「道具を大切にする」と書いた本人が、 世界中に向けて豪快にグラブを投げ捨てたのだ。

■ 私は大谷のファンだ。だからこそ言う

私は大谷翔平のファンだ。
彼のホームランの音は本当に最高だ。
あの乾いた破裂音を聞くためだけに球場へ行く価値がある。

だが、ファンだからこそ、
彼の行動が“批判されないまま放置される”状況が不気味なのだ。

■ 大谷の行動を誰も批判できない“構造”

フジテレビが自宅映像を放送した件で、
大谷はフジの取材を拒否した(当時報じられた範囲ではそうだった)。

世間は「真美子夫人を守るための行動」と美談化したが、
私は違和感しかなかった。

そんなんで取材拒否する?

スター選手が気に入らないメディアを排除できるなら、
メディアは萎縮し、批判は消える。
大谷に不利な情報は出てこなくなる。

これは構造として健全ではない。
むしろ危険だ。

(ちなみにフジテレビを擁護する気はさらさら無い。あれはやり過ぎ。謝罪レベルだがそれはそれ。別の話だ)

■ 有名になることのメリットだけ享受し、デメリットは拒否するのか

大谷は世界的スターだ。
そのメリットは十分に享受している。

だが、デメリット――
つまり「メディアに追われる」「批判される」
こうした部分だけを拒否する。
私はこれを “有名税の脱税” と表現している。

もちろん、家族の安全は守るべきだ。
だがそれは、余りあるカネを持つ大谷なら
高度なセキュリティを配備すればいいのだ。
それが嫌ならば有名人など辞めればよい。
誰も頼んでない、とは言わないが、私は彼にお願いしたことは無いしするつもりもない。

メディアを締め出すことが正当化される理由にはまったくならない。

気に入らないことをされたからって不貞腐れて取材拒否とか、子供みたいなことをするんじゃない。お前は大坂なおみか?

■ 誰か大谷に苦言を呈する人間はいないのか

栗山英樹前監督でもいい。
大谷の恩人と呼べる人はいるはずだ。

誰かが一度、
「お前のその態度は良くない」
と真正面から言うべきだ。

才能に恵まれ、周囲に甘やかされ続けた結果、
“誰にも叱られない大谷翔平” が出来上がってしまったのだ。

■ 批判されないスターは、社会にとって危険だ

私は大谷を嫌いなわけではない。
むしろ好きだ。
大ファンと言っても過言では無い。
彼の試合はすべてチェックして、ドジャースの勝敗に一喜一憂している。
彼はベーブルースも遥かに及ばない史上最高の野球選手だと考えている。

だから―――だからこそ、彼が批判されない構造は良くないと考える。

スターは批判されてこそ健全だ。
批判されないスターは、
本人にとっても、社会にとっても不幸であると言えよう。

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