── 深海と地上のあいだ ──
今回は、久しぶりに少し深い層へ潜っていく回です。
(光の翻訳手帳)
しばらく地上で呼吸をしていたけれど、
どうやらまた、深海の入口に戻ってきたらしい。
人と話し、言葉を届け、
誰かの現実のそばで過ごしているうちに、
すっかり地上の光に目を慣らしていた。
けれどある日、ふと気づく。
言葉になる前の静けさが、足元に満ちていることに。
ここは、深海と地上のあいだ。
まだ形にならないものが、
やわらかく呼吸をしている場所。
言葉は、ここで生まれる。
地上では、言葉は目的を持つ。
誰かに届き、役に立ち、意味を持つために。
けれど、この境界では違う。
言葉はまだ役割を持たない。
ただ、存在の表面に浮かびはじめるだけ。
翻訳は、ここから始まる。
意味が生まれる、ほんの少し手前で。
境界に立っていると、
言葉はまだ完全な形を持たない。
意味になる前の気配が、
水面に触れる直前の波のように揺れている。
それをすくい上げて言葉にした瞬間、
ただの感覚だったものが、
誰かに届くものへと変わる。
翻訳とは、きっとその一瞬の出来事なのだと思う。
けれど、この境界に立ち続けることはできない。
言葉にすれば地上へ近づき、
言葉にしなければ深海へ沈んでいく。
そのあいだを、何度も行き来する。
深く潜りすぎれば、言葉は届かなくなり、
地上に長くいれば、静けさの声が聞こえなくなる。
だから、何度もこの場所へ戻ってくる。
言葉が生まれる、ほんの少し手前へ。
意識がゆっくり内側へ沈んでいくにつれて、
頭の中の言葉が静かに減っていく。
何かを考えようとしても続かず、
ただ静かな感覚だけが広がっていく。
そこには、意味も形もない。
ただ、かすかな気配だけが満ちている。
何かが起きているわけでも、
何かを考えているわけでもない。
それでも確かに、
静かな気配だけが続いている。
その気配に触れていると、
言葉にしようとする動きが、静かにほどけていく。
何かを理解しようとする必要も、
意味を見つけようとする必要もなくなる。
ただ、気配の中に在る。
それだけで、すでに満ちている。
けれど、いつまでもここにはいられない。
やがて、静けさの底から、
かすかな言葉の気配が浮かびはじめる。
深海で触れたものは、
再び地上へ向かおうとする。
それはそっとすくい上げられ、
言葉となって誰かのもとへ届いていく。
だから、何度もこの場所へ潜り、
そしてまた地上へ戻ってくる。
深海で触れた気配は、
やがて言葉になり、誰かのもとへ届いていく。
言葉は地上のものだけれど、
その源はいつも静かな深い場所にある。
そのあいだで、言葉は静かに生まれていく。
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