文化的自堕落のすすめ 八百屋の一平ちゃん&かっちゃん&丸忠@京成立石
金町で丼を抱え、私は静かに満腹の手前で箸を置いた。舞台はもちろん、一条流がんこラーメン金町。絶品、という言葉は安売りしない主義だが、この日はやむを得ない。塩の角が立たぬのに芯がある。出汁は幾重にも重なり、まるで老練な外交官のように余計なことを語らず、しかし肝心なことだけはきっちりと主張する。
麺は半分にした。分別ある大人の判断である。と書けば聞こえはよいが、要するにこの後の酒席に備えた周到な腹八分目作戦にすぎない。
酔いもほどほど。理性もまだ息をしている。
これはもう、立石へ戻るしかない。
金町駅で、帰宅するマルジさんと、いったん家に戻ってから14時の丸忠開店時間に合わせて再出陣するというY社長と別れる。私はひとり、戦場へ向かう敗残兵のように金町線に揺られた。
時刻は12時ちょうど。
立石に着くと、宇ち多゛はすでに暖簾を仕舞っていた。あの店が閉じている光景には、どこか祭りの後の寂しさがある。店前であんちゃんと少し立ち話をし、ふらりと八百屋の一平ちゃんを覗けば、ネコちゃんや宇ち多゛あがりの面々が実に楽しそうに杯を重ねている。
抗えるわけがない。

コーヒー牛乳ハイ(無糖)を三杯。

甘やかでいて、どこか背徳的なその味わいは、昭和の駄菓子屋と場末のスナックを同時に思い出させる。つまみは、さすがに入らない。胃袋はがんこの余韻をまだ誇らしげに抱えている。ネコちゃんと談笑し、気づけば13時40分。人はなぜ、こんなにも「もう一軒」という言葉に弱いのだろう。
店を出て、開店前の丸忠に軽く顔を出す。まるで開場前の劇場を覗き込む芝居好きの客である。そのまま流れるように、かっちゃんで再び乾杯。

一杯ポッキリに20分を費やすあたり、われながら往生際がよいのか悪いのか分からない。
そしていよいよ丸忠。
特等席には宇ち中さん。その向かいに腰を下ろし、「レモンハイ、アメリカンで」と告げる。薄め、という意味である。酒量を気にするあたり、私はまだ自分を紳士だと思っているらしい。

この日は初めてのお客様が多く、注文も立て込む。弥生さんは大忙しだ。それでも合間に交わされる何気ない一言、カウンター越しの目配せ、隣席との相槌。そうした断片が、酒場という小宇宙を完成させる。

ネコちゃんが帰宅し、その席にY社長が滑り込む。場はさらに温度を上げ、気づけば二時間。レモンハイはアメリカンで三杯。薄めとはいえ、三杯は三杯である。
「お先に失礼します」
そう言って店を出ると、夕暮れ前の立石はどこか柔らかい。

帰りがけに愛知屋でコロッケを二つ買う。カリカリ揚げたての衣が、かすかにビニール袋を結露させる。この温もりを提げて家路につく自分を、私は少しだけ誇らしく思う。
半分にした麺。
アメリカンにしたレモンハイ。
どれもこれも節度の証拠のようでいて、結局は朝から夕方まで飲み歩いているのだから、説得力はない。だが、こうして腹と心に余白を残しながら、街を行き来する一日こそが、私にとっての贅沢なのだろう。
早朝からの行列に始まり、宇ち多゛劇場とがんこラーメンの湯気を経て、八百屋の一平ちゃんやかっちゃんで時間を調整し、丸忠の一体感にほっとし、コロッケの油の香りで締めくくる。
なんとも文化的で、なんとも自堕落な休日であった。
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