歯を食いしばらなくていいんだよ
突然、我が子が学校に行かなくなった。
完全不登校。その事実を目の前にしたとき、私の頭のなかはあらゆる疑問符で埋め尽くされた。
そして次に浮かんだのが「大丈夫、すぐに落ち着く。すぐにまた学校に行ける」。
だけどそれからすぐに、私は負の迷宮に迷いこむことになる。絶望の気持ちを抱えながら。
それが約五年前のこと。
私はシングルマザーで、三人の子供がいます。上から、長女高校四年生。長男高校二年生。次女中学一年生。
五年前。長女を筆頭に、長男→次女と不登校。
全員、不登校になりました。次女はいまも進行中です。
長女と長男は定時制へ。
高校生活を各々楽しんでいます。
次女は、小五のGW明けから不登校へ。今年から中学生になり、時々支援教室へ登校。
不登校生活…五年か。まさか、の連続だったな。
いま振り返ると子供が不登校になって間もない頃、心の中でぎりぎりとずっと歯を食いしばっていたように思う。
これは約五年の間、子供たちの不登校と向き合った…私の、葛藤の物語。
学校に行かせなければ!の思考から自分を責め続けた私が不登校に対してちょっとだけ前向きに考えられるようになったシングルマザーのお話だ。
長女が「もう学校行かない」と宣言したのは中2の夏休みのことだった。
離婚して、引っ越して数ヶ月。ようやく部屋の片付け、引っ越しに伴う様々な手続きが落ち着いた頃のこと。
「なんかいまの学校、真面目」新しい学校に通いはじめて一ヶ月もしないうちに長女はそうこぼすことが増えてきた。
私はあのとき、そうなんだねえ、そんな雰囲気なんだあと流してしまっていたけどいま思えば、あれが彼女の発していた最初のSOSだったのだ。
それから少しして、長女は学校に行っては次の日休んでを繰り返すようになり、そしてついに夏休み。完全不登校となった。
あの時、馴染めそう?とか。大丈夫?とかちゃんと向き合っていれば。
あの時点で先生に相談していれば。
そもそも転校のとき、もっとちゃんと学校選びに慎重になっていれば。
ああしていたら…こうしていれば…。
そんな思考の渦に、後悔の波に心が揺さぶられはしたけど、「大丈夫、またすぐに行けるようになる」と思っていた。
考えれば、この時点でもう捕らわれていたのだ。私の中の「べきねば」の鎖に。
夏休みが明けて、新学期がはじまったけど長女は宣言通り、学校に行かなかった。
私がじわじわと心にボディーブローを食らったのはまずここでの学校への欠席連絡だ。
当時は学校への欠席連絡手段は電話だけだった。毎朝、ベッドの中にいる長女に登校の意思を確認。ここで私の期待が発動する。
ー行ってみる…の返答を。
しかし、長女からの「行かない」にまず一発目のボディーブロー。静かにその場を離れ、学校に電話。
今日も休みますと告げたときの、先生の反応が最初こそは「そうですか!わかりました」から段々と声のトーンが落ちてきて「そうですか…明日、お待ちしています…」となってきて、そのトーンの変化に二発目。
いまは「すみません~」と軽く流せるようになったけど、あの時の私は毎朝、申し訳ない気持ちで「すみません…」と電話を切ったあと鉄球を食らっていた。
途中からメールになって、本当に気が楽になったことを覚えている。
でもとにかく行かせなければ。
その気持ちは変わらず、いわゆる…世間体を気にしていた。あの頃は子供の気持ち云々より、そっちが気になってしょうがなかった。
だから、学校に行かせてない親。その烙印をぐりぐりと押し続けていた。
とにかく「学校に行ってない」。そのことで人生というレールから外れてしまった。
そしてその外れたレールはすごく目立って、みんなから早く直したほうがいいですよ、その外れたレール。
でないと、どんどん遅れちゃいますよ。と言われているような気持ちになって…。
そうだ。早く…直さないと。
なぜそこまで思ってしまったのか?
それはやっぱり「学校に行く」のが普通。
その感覚が当然のようにあったからだ。
普通。
ネットで普通とはーと検索してみる。
特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。
なんて不思議な言葉だろう。
普通。その言葉を通すと正しいあり方のような。みんなそうであるかのような。
まるで疑いのない、そうすべきだよね?そうせねばだめなんだ、を潜ませながらその言葉は漂っている。
長女が不登校となったとき、私は自分の普通を真ん中に置いた。
自分も、周りも、そのレールを通ってきたから。
学校に通い、卒業して、仕事に就く。だから、学校に戻らないと、将来が閉ざされてしまう。
そんな風に感じてしまったのだ。
当たり前のように、このまま行けないと「だめ」になることが「確定」する。
そう考えてしまったのだ。
長女もその不安を感じていたのだろう、ベッドのなかで「私、終わっているね。廃人生活だね」とよく呟いていた。
私はそんなことないよ、としか声かけができなかった。そして長女が学校に行かなくなってから次女も登校を渋るようになったのだ。
これが…これが噂の兄弟連鎖ってやつですか…。自ら押した「ダメ親」の焼き印がより色濃く浮かび上がっているような気がした。
当時、次女は小二。なんとか連鎖を食い止めたい私は担任の先生や専門の機関に相談して、学校の門まで付き添い登校をすることなり、その道で次女はある質問をするようになった。
「なんでねえねは学校に行かないの?」
いまでも思い出すと心がきゅっと縮こまる。
なんでかなあ…。
当時の私はそう質問返しをするしかできなかった。
次女も新しい環境で頑張っていて、きっと休みたくて、でも行くのが普通だから。
小二ながら、なんとなくそれを感じていて行っていたのだと思う。
だからこそ、毎朝ベッドのなかにいる長女の姿を見て、疑問に感じてしまったのだろう。
そして次女も行っては休むを繰り返すようになり、門までの付き添いが、昇降口まで。教室まで。
そしてついに教室にも入れなくなって、別室登校をするようになった。もちろん付き添わないといけない。
私と次女と、二人きりの教室で学校のドリルをして給食もそこに運んでもらって食べた。
週の半分はそう過ごしていたように思える。
そう、当時参ったのは次女が行かない、休むとなった日だ。
中二の長女と小二の次女。お留守番できなくはないだろうけど、やっぱり二人を残して仕事に行くのは抵抗があり、休むのだけど…。
長女の不登校、次女の行き渋りと重なり、どうしても休みが頻繁になる。そうすると離婚したてで転職したばかりの身としては、ちょっと気まずい。
連続して休むことの申し訳なさに段々、私が耐えられなくなり長女に次女とお留守番をお願いして出勤したりした。
でもそれが重なると長女もそのとき情緒が不安定で不満が溜まり、次女との留守番を拒否することが増えてきた。
こんな風に叫ぶこともあった。
次女、学校に行かせてよ!行かせないなら次女をベランダに出す!
けど、不満が溜まった要因は私にもあって、留守番の時ごはんの用意を長女にもそのままお願いしてしまうことが多発していたのだ。
彼女にとってはそれがストレスに感じてきてしまっていたのだろう。
私がただお昼をちゃんと用意すればよかっただけなのに、どうしても頑張れなかった。
あの時の長女、ごめん。
そして、次女をベランダに発言が飛び出してくるようになって、二人で過ごすことが次女にもストレスになってきて、しょうがないので私も休むしかない。
週の半分を一緒に休むようになり、私の心もすごい勢いでガリガリと削られていった。
学校の欠席連絡、職場への休む連絡。
ダブルパンチ、しんどい。このループ、いつまで続くの。
どうしよう…生活どうしよう。その不安もプラスされる。
そこへ母からのラインが更にしんどかった。なんだろな、とぱかっと開いてみると画面いっぱい、みっちりと並ぶ文字たち。
えっ、スマホの画面、一回スクロールするくらいの文字量。
そこには孫の不登校を受けた、母のあらゆる不安が詰まっていた。
いったいこれからどうするの?つい気を遣ってしまいます。孫たちとの接し方がわかりません。見守るほうも大変だし、いまいったいどんな状態なのかちゃんと教えてくれないと…etc
とんでもない方向から、すごい勢いでボールが飛んできた感じだった。あっ、と思ったときにはそのボールにすっ飛ばされていた。
やめてくれ。球技は苦手なんだ。避けられない。ぼかすか当たる。
いや、当たりに行っていた。飛んでくるボールに自ら当たりに行っては、ぶつかったボールを拾い、なんとか投げ返していた。
過去の私に伝えたい。そのボール、避けても大丈夫だよ。私がちゃんと安心させてないから、不安にさせているから、投げてきているんだ。
だから、返さないとって思っているかもしれないけど。確かにばあばも心配するよね。
だからってどんなボールを投げてもいいってわけじゃない。もちろん、傷つけようと思って投げているわけじゃないのもわかる。
だから余計に避けちゃだめだ避けちゃだめだと碇シンジが憑依する。
しかし、その正義感は大丈夫、いらないよ。
避けていいんだよ。
だけどタイムループはできないので、あの時の私は、避けないで必死に投げられてくるボールを拾いながら
不登校のワードを夜な夜なネットで調べる。そこにはこんなに登校復帰の、成功事例があふれているのに。
長い真っ黒なトンネルに、いつまでも外れたままのレール。いつになれば、この風景が変わるのか。
苦しい。
どうすれば行ってくれるの。
何度も言うけれど、当時の私は不登校に対して、ネガティブな思考しかなかった。
そのこびりついたネガティブ思考を変えてくれたのはある本と、場所との出会いだった。
ある日仕事のあと、まっすぐ帰る気持ちになれず立ち寄った本屋さんでなんとなく棚を眺めていたら
「泣きたい夜」というワードが目に入ってきて、吸い寄せられるようにその本を手に取る。
泣きたい夜の甘味処。なんて優しいタイトルなんだろう。
表紙には柔らかいタッチで描かれたドーナツ…。本を開く前から優しい成分が溢れている。
すぐにお迎えして家に帰って早速読む。かわいいイラストと温かい話に涙が止まらない。
その中でも特に響いたのがバナナケーキの話だった。
少しだけ成長がゆっくりな子の育児をしているママの話で。
この先、上手くやっていけるかな?大丈夫かな。と心配するママ。
あることがきっかけで熊と鮭がやっている少し変わった甘味処へ寄ることになり、試食をお願いされる。
バナナケーキがでてくる。店主は言う。
バナナは置かれた環境で遅かれ早かれ熟していきますからね…甘くなるのをゆっくり待っていました。
バナナは自然と熟していくすごい果物です。
この文章に、当時、更に涙が溢れた。いまも久しぶりに読んだら胸がグッとなった。目頭が熱くなる…。
子供が不登校になって、どんどん周りは動いているのに。このままどうなっていくのか?
その不安に大丈夫、と言ってもらえたような気がした。
ちゃんと子供は成長している。そう、いま熟成中なんだ。
ずしずしずしと重くなっていた心がちょっとだけ軽くなったのを感じた。
そして私は、そのとき、ずっと気になっていたある場所に行くことを決める。
気になっていたある場所…。それは不登校の子供の親のおしゃべり会。
そのとき学校からもらっていたプリントの束に入っていたおしらせで知って、気になるけどなかなか行けずにいたのだ。
なんか失礼だけど、もう堂々と子供が不登校と名乗るようなその行為が恥ずかしいと思ったから…。
だけど、不登校は恥ずかしいことじゃない。止まっているように見えて、熟成中なんだ。
ちょっとだけ心が軽くなった私は、リアルで同じく不登校の子供がいるママの話を聞いてみたい。どんな場所か見てみたい。
その気持ちに動かされ、会場である公民館へ向かった。
二階の和室。おずおずと入る。そのとき。「あ、こんにちは~」
明るい笑顔がそこにはあった。
最初は主催の方のごあいさつ、そのあとはグループに別れてのおしゃべりタイム。
みんな笑顔の裏に、たくさんの悩みを抱えていた。
聞いているうちに、話しているうちに涙が出てきた。
嬉しかったのは、みんなけして不登校を否定しないことだった。ただただ、受け止めてくれたことが嬉しかった。
私だけじゃない、こんなに同じ悩みを抱えているかたがいる。
そして主催の方が力強く、言う。
大丈夫、道は繋がっているから!とにかく大丈夫だから。
バナナケーキの話の、言葉と重なる。
道が塞がったわけじゃない。ちょっと歩きにくい道が出てきただけ。いまはその道を確かめながら、時折景色を見ながら、ゆっくりと歩いているだけ。
私は、温かい気持ちに包まれた。
それから長女と入れ替わりに長男が完全不登校となり、また揺らぎ、そのおしゃべり会へ参加して、それからは行っていない。
気持ちは相変わらず揺らぐし、落ちたりするけれど、不登校はけしてネガティブじゃない。
不登校はひとつの経験で、いま歩いている道がちょっと歩きづらい道になっただけ。
その思考がベースにあるから。落ちっぱなしにならなくなった。
みんなが生きていく中で色々な経験をするように。子供たちも経験しているだけだ。
学校に行かなくても、行けなくても大丈夫。
そういうと登校復帰しなくてもいいのか、と言われるけど。そうじゃなくて。
学校に行かせるべき、行かせねば。その思考を見つめすぎるとママの心は一気に崩れる。
それでも子供の前では笑顔で、と歯をくいしばっているママがたくさんいると思う。
ほんとうにすごい。でもね。
歯を食いしばらなくて、いい。
溢れる気持ちをそのままにしないで。
歯をくいしばらない、ほどける時間を取ろう。
あなたの笑顔も、大事にしてほしいから。
あー、泣きてえな!と思ったら泣けるドラマ、映画、本を見よう。読もう。
ちょっと散歩、ってひとりでどっかで泣いてもいい。
個人的にお風呂場、おすすめです。
あー、もうイライラする!ムカムカ!ってなったら。自分が信じられる人に話を聞いてもらったりしよう。
ノートにひたすら気持ちを書くのもいい。
いまだったらAIに聞いてもらうのもあり。
いいことばかり言ってくれるから、元気になりますよ。
推しがいたら、とことん推しを愛でる時間を作ろう。
美味しい食べ物、摂取しまくろう。カロリー?気にしない、心に栄養を与えるほうが大事じゃない?
…不登校には正解がない。その道のりをこれからも歩いていくために。
自分の心を大事にする時間をとる。
その大切さをこの五年の不登校生活で知った。
歯を食いしばらなくて、いい。
溢れる気持ちをそのままにしないで。
歯をくいしばらない、ほどける時間を取ろう。
