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シェアハウス・ロック(or日録)2605中旬投稿分

板橋書店(0511)

「『坂口志文特別講演会』を聴きに行く(0503)」で、

 講演後は、当然(我が畏友)その1の先導で居酒屋へ。「灯(あかり)」という、相当にいい居酒屋で、飲んだことのなかった日本酒を中心に飲食タイムへ。免疫も奥が深いが、日本酒も奥が深い。

と書いた。こう書いたんで、直行したのかと思われたかもしれないが、直行などしていない。直行しても、まだ開店していない。なんだ、そっちかよ。
 その1の案内で板橋区内をミニ散策した。まあ、「灯(あかり)」が開くまでの時間つぶしだ。やっぱり。
 途中、板橋書店なる古本屋へ。私は古本屋が世界で一番好きな場所であり、それを知っているその1は、散策コースに古本屋を入れてくれることが多い。まあ、その1も古本屋が好きだということがあるのだろう。
 その板橋書店で、お店の来歴みたいな抜き刷りをいただいた。
 板橋書店創業者の加藤澄男は、明治33年徳島県勝浦郡に生まれ、15歳で大阪に出て、書店大阪屋に就職。同年京城(ソウル)大阪屋に派遣される。
 大正9年、京城府本町四丁目に「一誠堂書店」を開店。以降転変し、一度日本へ帰るも、再び渡鮮。朝鮮新義州常盤五丁目で「新義州書店」を営んでいるときに終戦を迎えた。新義州は、いまの北朝鮮にある。
 昭和21年10月、最後の引き揚げ船で帰国。帰国後23年まで、愛媛県周桑郡で農業に従事。
 昭和23年省線板橋駅前で「板橋書店」開業。省線は、現JR。鉄道省の電車だったんで、省線と呼ばれた。私も、小学校のころは省線と呼んでいた。
 その後、現在地に移転し、営業。現在、3代目が切り盛りをしているが、2代目も店に出ることがあるという。
 失礼な言い方をすると、あまり有名でもない古本屋の来歴をなぜ縷々述べたかと言うと、板橋書店も、前二回でお話しした「こどものうち八栄寮」も、いまだに戦後を、もっと言うと戦争を色濃く引きずっていると言いたいからだ。
 そんな遠くの話をしなくとも、当noteで、私がおそらく一番記事を読ませていただいている方は、ご両親双方ともその父親を戦争で亡くしているというし、卑近にもほどがあるが、私の父親も、昭和20年に、妻と息子(先妻と、私から言うと腹違いの兄)を大陸で亡くしている。父は、そのことを一言も言わずに死んだが、そんなもの仏壇の過去帳を見れば一目瞭然である。言いたくなかったんだろうし、それ以前に思い出したくなかったんだろう。
 こういう「欠落」を抱えて生きていかざるを得ない人間は、精神のどこかに影を引きずるはずだし、それが周囲に影響を及ぼさないはずはない。
 戦争という国家の巨大な暴力は、80年後だって影を落とす。
「戦後は終わった」と1956年の『経済白書』に書かれても、戦後は、国家レベルでは終わっているかもしれないが、個人史では80年経っても終わることはない。
 戦後が終わらないのに、次の戦争を用意する。それが、国家というものの正体であると言わざるを得ない。
 最後に、ちょっと明るい話をする。
 私は、古本屋に入ると、棚の見物料として、必ず一冊は買うようにしている。当日、板橋書店での一冊は、『俳句的生活』(長谷川櫂)だった。
 この本のお話は、明日にでも。

【追記】

 本日からの標題写真は、モッコウバラ。バラの原種であり、中国原産。
 キモッコウバラとシロモッコウバラがあり、これは八重咲のもの。一重咲きのものもある。
 近所の幼稚園の塀にはみ出して咲いていた。野草ではないが、どことなく野趣があるので採用した。

『俳句的生活』(長谷川櫂)1(0512)

 ― バーミヤン大仏破壊を嘆く人に

 億万の春塵となり大仏(櫂)

 句の前にある文言を、「前書」というそうだ。「まえがき」と読んでいいのかな。よくわからない。
 初めてこの句を読んだとき、そこにこの「前書」があったかどうかも定かではない。だが、この句に接し、私は「わだかまり」が溶けてゆき、快感に近いものを感じた。
 オオサワという友人に勧められた本のなかで、この句に出会った。それは句集ではなく、随想か文化論か、そういったものの新書だった。その本では、「前書」はあったように記憶している。
 当時、タリバンに対して、私は複雑な感情を抱いていた。
 まず、アフガニスタンでの、米国の行動も、ロシアのそれも、私は支持しない。単純にそういったレベルでは、タリバンは解放軍に見えないこともなかった。だが、タリバンのイスラム原理主義に与することもしたくない。女性や子どもは、ひどい目に遭っていると仄聞していた。「複雑な感情」をあえて短く言えば、そういったところだ。
 2001年3月、タリバンはバーミヤンの石仏を爆破した。
 これをテレビのニュースで見たときに、私は、「なんということをするのだ」という感想しかもたなかった。
 イスラム教は、偶像を認めない。ユダヤ教も偶像を認めていない。キリスト教も、プロテスタントは、通常、偶像を持たない。
 それにしても、「なんということをするのだ」が、まず来た。
 そんなときに、冒頭の句に出会ったわけである。つまり、私は、「バーミヤンの大仏破壊を嘆く人」ではあったわけだ。
 句の、私なりの解釈は、次のようなものだ。

 嘆くことはない。
 なぜなら、大仏(おおぼとけ)と言っても、文化遺産と言っても、宗教的な象徴と言っても、多くの人の汗によってつくられた貴重なものであったとしても、しょせんそれは物質じゃないか。石じゃないか。
 だいいち、原始仏教では偶像を認めてなかったし、あの石は、億万の塵となって、宇宙空間に広がり、宇宙規模になったのである。
 そのほうが、本来の仏教、本来の仏らしいんじゃないか。

「億万の春塵」がいい。それが、宇宙大に拡散していくイメージもとてもいい。
 あの大仏が崩落する映像は、タリバンのメッセージではあるが、それは世界に向けられたものというよりも、むしろムスリムの同胞に向けたものだったのだろう。ムスリムは邪教を破壊し、前に進み、勝利の道を歩むという、同胞に対するメッセージだったのだろう。
 その文脈を、長谷川櫂が読みかえた。
 私は、「わだかまり」を溶かしてもらって以来、長谷川櫂のファンになり、だが、俳句はよくわからないので、句集、俳論は敬遠し、随想か文化論を二、三冊読んだだけである。
 板橋書店で購入したものは、もしかしたらそれらと重複するかなと思ったが、初めて読むものだった。明日は、そのお話をしたい。

『俳句的生活』(長谷川櫂)2(0513)
 
 同書p.166 - 169の抜粋から始める。

《『古今集』は十世紀の初め、醍醐天皇の命を受けた紀貫之らによって選ばれた最初の勅撰和歌集である。》
《後代の歌人たちはみな『古今集』を鑑とあがめ、手本と仰いで歌の修練にいそしんだ。和泉式部も『新古今集』の藤原定家も西行も『玉葉集』の永福門院もこうして生まれる。》
《『古今集』を亀鑑とする和歌の伝統は、千年後に恐いもの知らずの正岡子規が「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」と言い放つまで連綿と受け継がれてゆく。》
 確かに正岡子規は「恐いもの知らず」である。でも、小気味いい。小気味はいいが、私は長谷川のように、子規が伝統の切断に成功したとも思っていない。私が、「俳句の人」ではないからだろう。
 一方、俳句のほうはどうか。
《芭蕉一門の俳諧が花開いた元禄は聖代とみなされ、蕉門を代表する選集『猿蓑』は聖典として、言わば俳諧の『古今集』として長く仰がれることになる。》
《蕪村らの中興俳諧もここを母胎として起こる。》
《『古今』から『新古今』が生まれ『玉葉』が生まれたように、中興俳諧のとりどりの作風も芭蕉に習ううちにおのずから芽吹いたものなのである。》
《子どもから老人まで聖典を繰り返し読んで、そらんじ、まねることで一歩でも聖典に近づこうとする。》

 ここまで長谷川が書くことは、歴史的にも、論理的にも、文学史的にも一本道である。
 だが、次のフレーズは、私に、またもや『反復』(キルケゴール、枡田啓三郎訳、岩波文庫)

 追憶されるものはかつてあったものであり、それが後方に向って反復されるのだが、それとは反対に、ほんとうの追憶は前方に向って反復されるのである。(p.8)

を思い出させるものだった。私は、このフレーズによほど魅入られていると見える。

《手本となる過去こそが未来であり、未来とは過去のことにほかならなかった。和歌俳諧に限らず絵も物語も書も芝居もこうして創造されてきた。》

 この後は、「習う」「倣う」「学ぶ」「真似ぶ」論に接続するのだが、それは機会があったら。

 昨日お話しした前書については、p.194で

《 翡翠のいま飛び去りしばかりなり(櫂)》

を例にして書いている。この句に、

《「翡翠を描きし九谷の皿頼まれしに鶴の皿贖うて帰る。妻に問はれて」と前書きがあったらどう変わるか。》
と長谷川は問うている。
 その答えは次だ。あっ、翡翠は「かわせみ」ね。読めない人が、10人にひとりくらいはいると思う。

《前書というと十七音でいえなかったことを書くのだろうと思われているから、前書のある句は前書がなければ通じない、前書にもたれた句と見られがちである。しかし、俳句はまず前書なしで通じなければならない。それだけで通じない句は前書をつけたところでどうなるものでもない。》

と長谷川は挑発しておいて、

《前書はそうした俳句の欠陥を補うためにつけるのではなく、俳句を人生のすべてへ向かって開く働きをする。》

とさらに挑発的な回答をする。
 長谷川櫂は、本当におもしろい。

メダカ29匹±1匹(0514)

 5月12日にメダカの水を取り替えた。
 その10日ほど前に、水草(アナカリスとミニ・ホテイアオイ)を買って来て、メダカの諸君がいる睡蓮鉢に入れておいた。つまり、水を取り替える準備をしていたのである。
 5月12日はなにも予定がなく、かつお天気もよかったのでチャンスだった。前日に、近所の花屋にホテイアオイが置いてあったのを発見したので、それも計3株買っておいた。これで産卵準備も万全である。
 メダカは29匹±1匹いた。±1匹がヘンテコだが、あいつらジッとしてないので、うまく数えられないのである。
 昨年の春の段階では、厳寒期を乗り越えた諸君が11匹いた(このくらいだったら数えられる)。今年は29匹±1匹がスタートなので、増えそうな予感がする。いまから養子先を探しておかないと。
 まず、睡蓮鉢からメダカを小さな水槽に移し、それから水を捨て、新しい水を入れる。その作業中に数を数えてみたわけだが、メダカの学校では、まず整列から教えないとな。、
 暖かくなってきたので、このひと月ほど、朝昼晩とエサをやっていた。だから、水はそこそこ汚れている。
 作業は、我がシェアハウスのおばさんと二人がかりで、小一時間程度かかった。もうひとつの元火鉢にも水を張り、前述の3株のホテイアオイを入れた。こっちにはまだメダカの諸君がいないので、ハイポネックスも入れ、繁殖期に対応すべく、ホテイアオイの栽培池とする。万全。
 水を取り替える際、まずアナカリスとミニ・ホテイアオイをよけ、それを洗い(けっこう汚れている)、戻すのだが、なんと、なんとなんと、既にしてミニ・ホテイアオイに卵を産み付けているのを発見した!
 それは、発泡スチロールの容器に入れ、水を張り、図書室に置いた。昨年からこういう方式にしたのである。つまり、図書室を孵化室にし、真夏の酷暑期間には避暑地にするわけだ。
 これから本格的な産卵期に入るので、図書室は、発泡スチロールのインキュベータがズラリと並ぶことになる。
 本日最後に、メダカとはまったく関係のないお話をする。
 何回かご登場願った「鳥取の婆や」を自称する人から、メールをいただいた。「婆や」は、蕗の薹味噌や、ブルーベリージャム、ジューンベリージャム等々を、もう20年近く送ってくれているのだが、「『俳句的生活』(長谷川櫂)1(0512)」「『俳句的生活』(長谷川櫂)2(0513)」を読んで、「俳句のような暮らしがしたい」とメールにはあった。
「俳句のような暮らし」は、ミニマリストみたいな暮らしだろうか。以前、「遺品を整理したら、段ボール一個に収まったというのが理想である」と書いたときも、同様の反応があった。現在、断捨離に励んでおられるという。
 今回の反応は、「十七音」=ミニマリズムという連想か、長谷川櫂さんの記事の俳句の「前書」の解釈で、長谷川さんの《前書はそうした俳句の欠陥を補うためにつけるのではなく、俳句を人生のすべてへ向かって開く働きをする。》という言葉を紹介したが、それに呼応したものか。
 いずれにしても、「俳句のような暮らし」はなかなかいい。私も理想としたい。

ビリー・ホリディを持っていなかった(0515)

 いきなり挑発的なもの言いをする。レコード、CDは音楽とはあまり関係のないものだ。あれは、音楽を定着した媒体に過ぎず、要するに、石油製品。単なる物質である。
「『俳句的生活』(長谷川櫂)1(0512)」で、

 億万の春塵となり大仏(櫂)

を紹介し、バーミヤンの摩崖仏を爆破したタリバンの「蛮行」に触れ、この句の私なりの解釈を、

 しょせんそれは物質じゃないか。石じゃないか。
 だいいち、原始仏教では偶像を認めてなかったし、あの石は、億万の塵となって、宇宙空間に広がり、宇宙規模になったのである。
 そのほうが、本来の仏教、本来の仏らしいんじゃないか。

などと述べたが、この構造と似ている。
 つまり、大仏は仏の広大無辺を表現したものではあるが、しょせん物質、石である。同様に、レコード、CDは、音楽をのせる媒体ではあるが、しょせん物質、単なる石油製品である。
 音楽も宇宙大であってほしい。たとえば、チョン・キョンファの『無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータ』に、私は宇宙を感じる。
 20歳前後、私の一番好きなボーカリストはビリー・ホリディだった。だが、ビリー・ホリディのレコードは一枚も持っていなかったし、ほしいとも思わなかった。もうちょっと正確な言い方をすると、買おうと考えたことはなかった。
 当時、ラジオで、結構ジャズが聴ける番組があり、それでたまにかかるビリー・ホリディを聴いていればそれで十分であり、もっと言えば、レコードでビリー・ホリディを聴くような生活は、どことなく不健康な感じがしたのである。
 さらに言えば、ビリー・ホリディという素晴らしいボーカリストがいたと知っているだけで十分だとさえ思っていたのである。
 さらにさらに言えば、レコードという手段を介さず、ビリー・ホリディそのものを感じたいと思っていたのだ。もうちょっと文学的に言えば、ビリー・ホリディをレコードなどという物質に封じこめることを認めたくなかった。
 だから、ビリー・ホリディの有名なナンバーばっかりを歌ったサム・クックのアルバムは持っていたし、よく聴いていた。サム・クックが好きだったのは間違いないのだが、サム・クックの「向こう」にいるビリー・ホリディを聴いていたのである。
 そのころは、結構楽器を触っていたということも関係していたのかもしれない。私は、音楽を聴く人というよりも、音楽を演奏する人だったのである。
 30歳くらいで、基本、仕事以外なにもできない生活になり、そのあたりでこの「禁忌」は破られていく。堰を切ったようにビリー・ホリディのアルバムを買いあさり、聴くようになった。不健康になったのだろう。不健康はさらに亢進し、公式アルバム以外の初期録音などもバチモンで入手したりした。
 現在、仕事はなにもしない生活になり、ビリー・ホリディはけっこう聴く。不健康から戻れなくなったんだな。
 ここまで書きながら、なんでビリー・ホリディの話ばっかりしているのか自分でも不思議だったが、『赤く染まる木々』(パーシヴァル・エヴェレット)を読んでいる影響だと思いあたった。この物語の根底には、『奇妙な果実』がある。
 それに関しては、明日。

『赤く染まる木々』(パーシヴァル・エヴェレット)(0516)

『赤く染まる木々』(パーシヴァル・エヴェレット)はいまだ読んでいる。ちょうど半分くらいまで来た。だから、まだ感想は書けない。わざとゆっくりゆっくり読んでいる。子どもが好きなお菓子を、チビチビチビチビ食べるようなものだな。
 それでも、「ここはいいね」みたいなところをひとつだけ紹介する。
 あだ名を「ディキシー」といい、白人に見える黒人女性のガートルードを指して、黒人刑事のエドが、やはり相棒の黒人刑事ジムに、「おまえが手を出せば、撃たれることになる」とささやき、次のように続ける。

「彼女には頭のおかしい夫か恋人がいるかもしれない。銃を手にした向こうみずなレッドネックとか」
「それは重複表現だ」(p.63)

 パーシヴァル・エヴェレットは黒人であり、しかも、こういう層の白人をバカにしきっているのがわかる。それが小気味いい。私もこういう奴らは嫌いである。階層として嫌いと言っているわけではなく、嫌いなタイプがこの階層にはずいぶんといると言っている。
 レッドネックは、首が日焼けで赤くなっていることを指し、つまり戸外で労働に従事する層のことだ。ウィリー・ネルソンは、日本デビュー時、レッドネックと紹介されていたはずである。中西部のプアホワイトと呼ばれる階層もほぼ同じ層で、『赤く染まる木々』に出て来る白人も、ほぼこの階層である。クー・クラックス・クラン(KKK)の母胎だ。もっと言うと、トランプ支持層と、相当に重なる。福音派とも重なる。
 パーシヴァル・エヴェレットは、以前「図書館生活2(0826)(25)」「
『ジェイムス』(P.エヴェレット)読了1、2(0215、0216)(26)」で紹介している。このジェイムスは、ハックルベリー・フィンとともにミシシッピーを筏で逃げる黒人逃亡奴隷ジムのことである。これもいい本だ。
 昨日お話しした『奇妙な果実』のお話をする。
 歌詞は「南部の木には、変わった実がなる…」で始まり、歌が進むにつれ、その奇妙な果実(strange fruits)が、リンチされた挙句に殺され、木に吊るされた黒人の死体であることがわかっていく。
 その歌の初演にまつわるエピソードが、Wikipediaにある。

(『奇妙な果実』は)ナイトクラブ「カフェ・ソサエティ」の支配人バーニー・ジョセフソンの聞き知るところとなり、当時そのクラブで専属歌手として働いていたビリー・ホリデイに紹介されることとなる。あまりにも陰惨な詩なので、ビリーも最初に歌った時は失敗したと思ったという。歌い終わっても初めは拍手一つ無かったが、やがて一人の客が拍手をし始めると、突如として客席全体が割れんばかりの拍手に包まれた。(Wikipedia)

 この感じはよくわかる。本当に感動すると、拍手すら忘れる。
 縷々紹介したが、この歌は、重要な歌ではあると思うが、私はあんまり好きではない。
 ビリー・ホリディの本領は、恋の歌であり、恋愛にまつわるささやかな喜怒哀楽を歌うとき、この人は本当に生き生きする。元々の意味でのマイナーポエットなんだろう。つまり、日常茶飯事を歌うと生き生きする。
 政治的、社会的大問題も大事だが、日常茶飯事はもっと大事だ。日常茶飯事を大事にできない人は、政治的、社会的大問題も大事に扱えない。日常茶飯事を粗末に扱う人は、政治的、社会的大問題も粗末に扱う。
『奇妙な果実』は、日本で発行されたビリー・ホリディの自伝に付けられたタイトルでもある。私がこの本の存在を知ったとき、それは絶版で、神保町を一日探し回った。発見したときの喜びはいまでも忘れられない。訳は、油井正一と大橋巨泉だったはずだ。
『赤く染まる木々』は、好きなお菓子を、チビチビチビチビ食べる子どものようにして読んでいるが、それでも、あと2、3日で終わってしまうので、感想はそのときにまた書く。

昨日はイノウエさんの雀葬(0517)

 標題は、雀荘の変換ミスではない。雀葬。麻雀葬である。
 ウーバーイーツの記事はずいぶん書いたが、基本的に、私鉄で最寄り駅からふたつ目の駅近くで死闘を繰り広げている我がシェアハウスのおばさん、我が友・青ちゃん、そしてイノウエさんに手料理を届ける話だった。青ちゃんも、イノウエさんも独居老人なのである。
「【Live】ウーバーイーツの消息(0810)(25)」で、イノウエさんは義理の妹さんにせん妄状態のところを発見され、救急搬送されたところまではお話しした。その後、義理の妹さんは我がシェアハウスのおばさんに定期的に連絡をくれ、イノウエさんの状況を伝えてくれていたのだが、この4月にあった電話は訃報だった。
 半年余りの入院期間中、意識が戻るかと期待できる局面も何回かあったというが、結局かなわなかった。
 イノウエさんの思い出話をする。
 イノウエさんは、ひたすら本を買い集める人だった。
 いつかそのことを聞くと、20代で一日一冊買うと決めたんでそうしていると言う。私も、昼飯を抜いても詩集を買うというタイプだったから、この気持ちはわからないでもないが、それにしても極端である。
 昼飯を抜くどころか、一日に菓子パン一個みたいな食生活だったようだ。それで、せめてもと思い、独居老人仲間の青ちゃんとイノウエさんにウーバーイーツをしていたのである。
 こういう食生活を続け、かつ、マンションにはクーラーもつけていなかったから、昨年の酷暑にやられ、「【Live】ウーバーイーツの消息(0810)(25)」の状態になったのだろう。
 イノウエさんは、麻雀が好きな人だった。麻雀好きにはいろんなタイプがあるが、麻雀牌を触っていれば機嫌がいいというたぐいだった。こういうタイプにはえてして「自分の手に惚れる」傾向がある。
 そこへいくと、我がシェアハウスのおばさん、青ちゃんは、「どんなド汚い手でも勝ちは勝ち」というリアリストである。だから、イノウエさんは常に負けていた。
 それでも、イノウエさんのようなタイプは、一度つきだすとバカづきをする。おばさんなどは、そのたびに、「あんな打ち方で勝つなんて」と怒り心頭だった。
 イノウエさんにはお子さんがいなかった。おそらく兄弟くらい、つまり年寄りが集まる程度の、さびしい葬儀だったに違いない。
 そこへ、おばさんが「花を贈る」と言い出した。「こちらの名前をどうするかねえ」と言うんで、私は「麻雀大会有志」でどうですかと提案し、採用された。
 昨日が、その麻雀大会の当日、イノウエさんが亡くなって最初の麻雀大会だったのである。そこへ、義理の妹さん、さらにイノウエさんのお兄さんが、「挨拶に行きたい」と言ってきたのである。
 おばさんは、花を用意し、イノウエさんの遺影を用意し、それらを持って我らがシェアハウスを出発した。雀荘の、空いている雀卓にそれらを飾るのだろう。本葬に比べ、賑やかだったろうと思う。
 
 
トランプと習近平(0518)

 トランプと習近平は、意外と気が合うんじゃないか。

トラ おめえんとこなんざあ、三権分立もへったくれもねえだろ。
   やりたい放題じゃねえかよ。うらやましいよ。。
近平 だけどよ、その代わり、意外と足すくうヤツが多いんだ。
   なまじ、選挙がないからな。全人代で決まるだろ、だいたい。
   足すくいたいやつが一年中ゴソゴソゴソゴソ動いてやがってな。
   油断も隙もねえ。蓋開けるまでわかんねえからな、正味のとこは。
   そこ行くとおめえんとこはいいよ。
   選挙受かっちまえば、4年間やりたい放題だろ。うらやましいよ。
トラ バカ言うんじゃねえよ、マスコミとかな、司法とかな。
   ゴミのくせしやがって、けっこううるせーからな。
   やりたいことの半分もできやしねえや。
近平 マスコミなんざ、おめえ、金持ちに買収させてるじゃねえか。
   けっこううめえことやってるじゃねえかよ。
トラ ワハハハハ。バレちゃっちゃあ、しょうがねえな。
   でもよ、司法がなあ、結構うるせんだ。
   あいつら、金で転ばねえやつもけっこういるんだぜ。
   信じらんねえだろ。始末におえねえや。
近平 金で転ばねえやつは、ホント、タチ悪いよな。
トラ ところでよ、ここんとこシノギがキツイんで、飛行機買ってくれよ。
近平 おお、まかしといてくんな。
トラ ついでによ、大豆も頼むわ。
近平 てーげーにしろよ。
   おーい、コラッ、酒が切れたぞ。とっとと持って来てつがねえか。
   バカヤロー! おれについでどうする。お客人が先だろうが。
トラ おお、ありがとよ、兄弟(「きょうでえ」って読んでね)。
   切れたのはわかってたけど、一応よそんちだからな、遠慮してな。
近平 遠慮なんかすんじゃねえよ、おめえらしくもねえ。
   遠慮なんて言葉、知ってんだな。驚えーたよ。ワハハハハ。

 これ、一生続けられそうだし、書いてておもしろいけど、キリがないんで、このへんで止めるね。
 でもよー、あっ、感染ったな。感染ったって言っても、もともと私だけどな。
 トランプとか習近平とか、プーチンとかネタニヤフとか、そういう連中が結託したら、世界はどうなっちゃうのかね。一時的にせよ、利害が一致するってことも、あるんじゃないかね。全世界同時ファシズムみたいになるのかね。冗談で言ってるように聞こえるかもしれないけど、割合本気である。冗談で、こんなバカなことは言えない。
『畜生道の地球』(Ⓒ桐生悠々)みたいになるんだろうか。ヤダヤダ。

雀葬の日、私は。(0519)

「昨日はイノウエさんの雀葬(0517)」でお話しした日、当然我がシェアハウスのおばさんは麻雀大会に臨戦していたので、私は留守番だった。それで、これ幸いと昼飯にベーコンビーンズをつくった。
 ベーコンビーンズは料理とも言えないものだが、私は割合好きで、年数回は食べたくなる。うまいのかと聞かれれば、あまりうまいものではないと答えるしかない。だが、年に数回は食いたくなる。私の七不思議のひとつである。
 ベーコンビーンズは、私くらいの年齢の人間には、『ローハイド』(アメリカのTV映画。西部劇。日本でも放映された)でロディ(だったと思う。役者はクリント・イーストウッド)が、ウィシュボーンさん(だったと思う)がつくったそれを、まずそうな顔して食うんでおなじみだった。
 つまり、カウボーイ料理。牛を移動させている連中が、設備も、水すらろくすっぽなにもないところで調理して食うようなものだ。うまいものであるはずはない。
 ベーコンビーンズという名前と、セリフで見当をつけて、当初は再現したわけである。そのときもあまりうまいものではなかったが、それから60年後のいまでもそうだ。
 昔の映画やTVのプロデューサーは、まめに、さらに昔の映画を見たり、小劇場を観に行ったりして才能を発掘した。アメリカでもこれは同様のようで、80年ごろ、アメリカで、こういうことについての小話があった。
 古いTV映画『ローハイド』を見て、あるプロデューサーが、あるディレクターに言った。

P おれ、すごい役者を発見した。そいつを使ったら、いい映画つくれるぞ。
D どんな映画の役者だい?
P 古いTV映画だ。『ローハイド』に、「ロディ」っていう役名で出ている。
D ああ、そいつだったら無理だ。
P なんでだよ。
D だって、そいつ、いまクリント・イーストウッドになってる。

 割合好きな小話である。ホントにあったことなのかもしれない。
 ベーコンビーンズはあまりうまいものではないと言ったが、今回は大成功。史上初と言っていい出来になった。辛いチリパウダーを使い(チリパウダーには、まったく辛くないものもある)、それの量が適切だったのだろう。ここのところ、辛味を隠し味に使うのがうまくなっていることもあるのかもしれない。
 ああ、余談だが、いまのTV番組がつまらないのは、こういうプロデューサーがほとんどいなくなったからだろう。バラエティ番組なんかは、吉本芸人の救済番組みたいになっている。おもしろくなるはずがない。
 夕方から、陶芸クラブの窯入れに行く。
 先生格の方が、緊急入院され、窯入れは先生不在。これは初めてのことである。タカダ(夫妻)、オオノさんと四人で、「ちょっと失敗させときますかね」「先生が、『やっぱりオレがいないと、ダメだなぁ』とかね」などと軽口をたたきながら作業を終える。
 適度に心配させるのが親孝行ってよく言うでしょ?

『赤く染まる木々』(P・エヴェレット)読了1(0520)

 以前に読んだ『ジェイムス』(P・エヴェレット)は、素直な作品だった。ところが、本作『赤く染まる木々』は、そうとうにひねくれた作品である。
 まず、ネオナチみたいな白人グループが、武装して「黒人の暴徒」と対峙しようとするときのセリフを紹介する。はじめのセリフは、ラリーのものだ。

「あんたたちはどうか知らないが、おれは一度に二挺しか撃てない」
「ラリーはいい点をついてる」うしろの男が言った。「ここに十五人いて、各グループに約十人だから、えっと、全部で九十人? 一人につき二挺とすると合計百六十挺になるがそんな数じゃたかが知れてる。ニガーは数千はいるだろ」(96)

 こいつら、勘定もろくすっぽできない。エヴェレットは、この作品では、隙さえあれば、こういう白人連中をバカにすることに余念がない。
(96)は、節の数。『赤く染まる木々』には章はなく、せいぜい数ページの節を積み上げた、コラージュのような小説である。
 トランプらしい人物がTVで演説する。「最新ニュース/アメリカ合衆国大統領の演説」という節(102)である。

 私はニガーという語を使いませんでした。(中略)私は最も人種差別をしない人間です。私がニガーという語を使ったとフェイクニュースは言うでしょう。(中略)民主党とCNNびいきの人たちは、私がニガーと言ったと言うでしょうが、私は言っていません。ここにいる人に尋ねてください。私はニガーという語を使ったか?

『赤く染まる木々』が発行されたとき、アメリカはトランプが大統領(第一次)だった。日本のニュースだと、演説を全部流さないし、すぐに吹替え音声になるんでいまいちわからないが、ヤローはこういうしゃべり方をするんだろうか。そんな気もする。ネオナチのあんちゃんと、ほとんど変わらないな。そんな気もする。
 節を、「せいぜい数ページ」と言ったが、(64)は例外的に長く、18ページに及ぶ。本文は、ほぼ、リンチで殺された黒人の氏名だ。約130年以上にわたり、それは行われた。「氏名不詳男性」など、死んだ後でさえも名前を呼ばれない者もいる。それがひとり一行で、延々と続く。
 なぜ約130年と限定をつけたか。
 奴隷解放宣言をリンカーンが発布したのが1863年1月1日、南北戦争の終結は1865年4月9日、憲法修正第13条による奴隷制の完全廃止が1865年である。これ以降、黒人へのリンチ殺人はむしろ多くなった。書き間違いではない。これ以降多くなったのだ。
 それ以前は、黒人奴隷は、それなりに大事にされていたのである。ただし、財産として。牛や馬と同じ。自分の飼っている牛や馬は、誰だって大事にするだろう。それと同じ。
 小説中のママZという105歳の黒人女性は、リンチで殺された黒人の記録を自分で集めた。それには名前だけでなく、周辺記録も含まれている。言わば、私設の「アメリカ黒人リンチ殺人歴史館」みたいなものである。
 デイモン・スラフというシカゴ大学助教授が、Hの鉛筆でその名前を書き写していくシーンがある。
 ママZはデイモンに「なぜ鉛筆で?」と問う。

「書き終わったら全部の名前を消して、彼らを自由にしてやるつもり」
「続けて、ぼっちゃん」老婆は言った。(64)

 原文は、go on my boy だろうか。go on my son だろうか。

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