式神のまなびや1-8
客人を通すための部屋に、春日アキラが座っていた。
その向かいには髪の毛の白い男が一人。
「レン…」
「お久しぶりです。アキラ先生」
「なんのようですか?わざわざ、言伝なら文を寄越せば済むことでしょう」
「つれないですね」
レンは微笑んだ。
まるで旧友に会ったかのような穏やかな表情だった。
白い髪。
白い着物。
白い手袋。
どこか色の薄い存在。
だがその赤い瞳だけが妙に印象に残る。
「それで?」
アキラはため息をつく。
「今日は何を言いに来たんですか」
「子供たちは元気ですか」
「元気ですよ」
「そうですか」
それだけ言ってレンは窓の外を見る。
校庭では子供たちが走り回っている。
笑い声が聞こえる。
「楽しそうですね」
「ええ」
「羨ましい」
アキラの眉が動く。
「あなたがそんなことを言うんですか」
「言いますよ」
レンは首を傾げた。
「私にも感情はあります」
「そうは見えませんが」
「それは心外ですね」
本当に傷ついたような顔をする。だがアキラは騙されない。
レンは続けた。
「先日」
「神喰いが現れたそうですね」
アキラの空気が変わる。
「どこでそれを」
「情報網はあります」
「あなた方の?」
「ええ」
レンは否定しない。
「被害は?」
「ありません」
「そうですか」
本当に安心したようにレンは息を吐く。
その反応が。
アキラには少しだけ不気味だった。
「何がおかしいんですか」
「おかしくありません」
レンは静かに答える。
「私は子供が死ぬのが嫌いなんです」
その言葉だけは。
嘘ではないように聞こえた。
「だからこそ」
レンの視線がアキラを捉える。
「あなた方のやり方は危険だと思う」
静かな声。
責めるでもなく。
怒るでもなく。
「またその話ですか」
「またその話です」
レンは微笑む。
「アキラ先生」
「もし」
「もし、あなたの生徒が神喰いに喰われたら」
部屋の空気が凍る。
「その時も同じことを言えますか?」
アキラの拳がわずかに握られる。
「その子の死は必要な犠牲だったと」
「言わない」
即答だった。
「僕はそんなこと言わない」
「では」
レンは首を傾げる。
「どうやって受け入れるんです?」
沈黙。
レンは追い打ちをかけない。
ただ静かに言う。
「私はね」
「受け入れたくないんですよ」
「子供の死を」
その言葉に。
アキラは返せない。
なぜなら。
その願いだけは。
自分も同じだったからだ。
「人間は弱い生き物です。それは迷いがあるからです。一瞬の躊躇いや、後悔、そして優しさが隙になる」
「そんなことは言われなくても僕がいちばんよく解ってるんだ」
珍しくアキラが声を荒げる。
「ほら、その怒りも…ひとは判断を間違う」
「それでも、必要なんだ。喜びも悲しみも、そうじゃなくっちゃ人は…」
「あなたが変わっていなくて私は安心しました」
レンは静かに微笑む。
怒鳴られたというのに、少しだけ肩の力を抜いたようだった。
「安心?」
アキラは眉をひそめる。
「ええ」
レンは頷く。
「私はあなたを尊敬していましたから」
沈黙。
アキラは何も言わない。
「子供の頃」
「誰よりも泣いて」
「誰よりも怒って」
「誰よりも子供たちの味方だった」
レンは懐かしむように目を細める。
「だから教師になったのでしょう?」
「……」
「だから私は残念だったんです」
アキラの瞳が揺れる。
「何がですか」
「あなたが」
レンは窓の外を見る。
こはるが笑っている。
多賀が騒いでいる。
カナタが呆れている。
白峰は本を読んでいる。
「死を受け入れようとしていることが」
部屋が静まり返る。
アキラは否定しようとした。
だが。
言葉が出ない。
神喰いによる犠牲者はいる。
過去にも。
今も。
そして未来にも。
おそらく。
いる。
「受け入れてなんか」
アキラが呟く。
「受け入れてなんかいない」
「そうでしょうね」
レンは即答した。
「だから苦しんでいる」
その言葉は優しかった。
優しすぎるほどに。
「私はね」
レンは立ち上がる。
「あなたの敵になりたいわけじゃない」
「だったら子供たちに近づかないでください」
「それは出来ません」
即答。
「なぜ」
レンは少しだけ笑った。
「私もまた」
「彼らを守りたいと思っているからです」
アキラは拳を握る。
嘘ではない。
だから厄介なのだ。
レンの言葉は。
いつも半分だけ、
自分の心に届いてしまう。
「また来ますよ。先生」
障子が静かに閉まる。
レンの足音は遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
部屋には再び静寂が戻る。
遠くから聞こえるのは子供たちの笑い声。
誰かが騒ぎ。
誰かが怒られ。
誰かが笑っている。
いつもの光景。
アキラはひとり座ったまま動かなかった。
机の上に置かれた茶はすっかり冷めている。
「忘れればいい」
レンは言外にそう言った。
苦しみを。
後悔を。
喪失を。
アキラは目を閉じる。
すると。
思い出したくもない光景が浮かぶ。
小さな箱。
開いた蓋。
泣き叫ぶ子供。
届かなかった手。
血の気を失った顔。
そして。
二度と開かなかった瞳。
「わかってる」
小さく呟く。
誰に向けた言葉なのか。
自分にもわからない。
「わかってるよ」
レンの言うことは正しい。
忘れられたら楽だろう。
後悔も。
痛みも。
罪悪感も。
全部。
けれど。
アキラはゆっくり首を振る。
「忘れることなんてできやしないんだ」
窓の外を見る。
今を生きている子供たち。
そして。
もうここにはいない子供たち。
「忘れちゃいけないんだよ」
その言葉には決意もあった。
祈りもあった。
そして。
教師としての覚悟も。
痛みを抱えたまま。
迷い続けたまま。
それでも子供たちを守る。
それが。
春日アキラという教師の選んだ道だった。
