40口目 恋してー
2025年9月17日(水)/親水公園ベンチにて
台風前の夜風が、湿った髪に絡みついてくる。
深夜2時、バイト終わりのコンビニ袋をぶら下げながら、渉と雄星はいつものベンチに腰を下ろしていた。
「なあ渉、俺、恋したかもしれん」
缶チューハイをプシュッと開ける音と同時に、唐突に雄星が切り出した。
「へえ、相手は?」
「それは言えへん。けどな、なんか最近その人のことばっか考えてまうねん」
言葉のトーンは真面目。
けど渉は知ってる。
雄星が「恋」と言うときの大半は、TikTokの推しが更新を止めた時だ。
「それ、恋じゃなくて依存じゃないの?」
「ちゃうって、今回はリアル。ちゃんと存在する、地元の人」
「へえ……で、その人にどうしたいの?」
雄星は数秒間、川を見つめたあと答えた。
「……手ぇ繋ぎたい」
渉は口の中のコーラで思わずむせそうになる。
「え、それだけ?」
「それが一番やばいねん。キスとかじゃなくて、手ぇ。しかも、ただ繋ぐだけのやつ」
「それ、小学生の恋じゃん……」
雄星は顔を赤くしながら、缶チューハイをゴクゴク飲んでごまかした。
「ええやろ。なんかこう、スキンシップってより、ぬくもり感じたいっていうか……心臓が、こう……ぴょんっ!って跳ねるようなやつ」
「擬音が軽すぎる」
渉は呆れながらも、ちょっとだけうらやましかった。
誰かを思って、手を繋ぎたいなんて願えることそのものが、もはや純粋すぎて尊い。
「で、繋げたの?」
「いや、そもそもまだ喋ったこともない」
「は?」
「でも朝、同じバス停やねん。しかも週2で同じ時間」
「えっ、まって、それだけで“恋した”って……」
「だってな、アイコンタクトした日があった。あれは絶対……」
「……幻やろ」
雄星は、星を見上げて「よっしゃ来週話しかける」と唐突に言い出した。
「『今日は風、強いっすね』って言おうと思ってんねん」
「その一言で恋、始めようとしてんの?」
「ええやろ!“恋って案外、風から始まる”って名言っぽいやん」
「いやいやいやいや……詩的すぎて届かないって」
「じゃあなんて言えばええねん?」
「……『そっちのカバン、タグ出てますよ』とかでいいじゃん」
「うわ〜現実的すぎてドキドキせんわ〜」
そんなこんなで、結局恋の始まりはまた先延ばしになった。
缶チューハイの最後の一口を飲み干しながら雄星がぽつり。
「ほんま、恋って難しいなあ」
「うん、まだ始まってすらないけどね」
そしてふたりはまた、何も始まらないまま、親水公園のベンチに取り残された。
川の音だけが、やけにロマンチックに響いていた。
