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存在が三日坊主そのものである私が今更日記を始めようにも仕方無いかもしれない。

というのも、私は常日頃中間目標を先送りにしてはショート動画と読書、不定期な通話などで時間を潰しており、右肩下がりに言語化能力が低下している。今がそうであるように。

一般人との生活リズムの差は然程無いはずで、恐らく原因は人文学にあると思う。

『読書は読んで忘れるのが正解である』というタイトルの記事があった気がする。
読書という行為は単なる用語の暗記ではなく、再言語化やアナロジーに応用する為の抽象化のプロセスに他ならない。(とりわけ前者も丸切り無用という訳ではない。gptに要約してもらった後にようやく(ダジャレではない)読める文章なんて無数にある。)

話を戻すと、私の言語化能力の低下の要因はこのうちのアナロジーにあたる部分にあると思う。

なぜなら、アナロジックな分節に文章的な連続性は不要であるからだ。
うんこは臭いという命題は因果関係の連続性の元に成り立っているが、うんこはちんこであるという命題は両者の知見から導かれる単なる共時的な推論である。

つまり、私の極端な帰納的な思考には連続性が存在せず、それはアウトプットの場においては吉と出る場合が殆どである為に、日記を習慣化したいということ。

これから綴られる日記の数々に疎外され、実存的なレベルで演繹的な連続性の思考に慰着する事も避けたいけれど。

ところで、レポート提出期限の1日前の4時にこれを書いてる事実。


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