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「独生女論の誤りと代案、建設的提言」第4回 祝福家庭が社会を変える──家族大切主義と地域貢献が拓く未来


第1章:「やり方」よりも「あり方」、「方法」よりも「価値観」を重視する


祝福家庭が社会に善なる影響を与えるために、最も大切なのは何か?

それは、特定の「やり方」や「方法」を学ぶことではない。むしろ、根本的な「あり方」と「価値観」を確立することだ。

方法論の限界

「どうすれば伝道できるか」「どうすれば二世を祝福に導けるか」「どうすれば氏族メシヤになれるか」──こうした「どうすれば」という問いは、方法論を求める問いだ。

しかし、方法論には限界がある。時代が変われば、状況が変われば、方法も変わる。ある人に有効だった方法が、別の人には通用しないこともある。表面的な「やり方」だけを真似しても、本質的な変化は起きない。

価値観とあり方の力

一方、「価値観」と「あり方」は、時代を超えて通用する。それは、何を大切にするか、どのような姿勢で生きるかという、人間の根本的な態度だからだ。

祝福家庭が社会に与える影響も、実は「やり方」ではなく「あり方」から生まれる。

- 家族を大切にするという「価値観」が、自然と家族大切主義の文化を広げる
- 子育てを社会貢献と位置づける「あり方」が、次世代に希望を与える
- 家庭を第一にするという「価値観」が、職場や社会での倫理性を生み出す
- 対話と分かち合いを大切にする「あり方」が、平和文化の土台を築く

自然体での伝道──生き方そのものが伝道

第3回で触れたように、祝福家庭の役割は「伝道」というよりも、家庭のあり方そのものを通して社会に善なる影響を与えることだ。

すでに「1日24時間、365日が伝道」、私たちの生き方そのものが伝道なのだ。特に、子女とか身近な人ほど、み言がどうこうというより、日常生活の姿に影響を受けるだろう。

特別なことではない。自然体で構わない。それは方法ではなく、価値観とあり方から生まれるものだ。

氏族メシヤも、氏族にみ言を伝え、教育し、食口化せよというのではなく、信仰を土台として生きる夫婦、親子、家族の姿を見せていくというのではないか?

米国の青年指導者だったチャーリー・カーク氏は、「信仰」「家庭」「自由(愛国、地域への責任)」の価値観を訴え、米国の大学生たちに圧倒的な影響を与えた。

お父様も創立された学校には、「愛天、愛人、愛国」の価値観を校訓として与えられた。

価値観が文化を変える

社会変革(ソーシャル・イノベーション)に必要な数は過半数ではない。5%である。残り95%の人が望むものが、5%の中にあると気づけば自動的に拡散する。

近年のソーシャル・イノベーション研究では、継続的に価値を体現する少数(おおむね5%前後)が現れると、集団の規範やふるまいが質的に転換しやすいことが指摘されている。大規模な制度改革に先立って、生活の次元での「手本」があれば、それが臨界点をつくるということなのだ。
最近では、たとえばキャッシュレスを考えてみよう。最初は「何それ?」とみんないぶかしがる。そのなかにポツポツと利用する人が出てきて、そしてある臨界点を超えると一気に全体に広がる。最初は違和感がありおっかなびっくりでも、実際に利用している人を見て、自分も触れてみて、そしてその便利さにだんだん慣れていく。そして当たり前のようになっていく。

Zoomミーティングもそうだし、AIの利用なんかもそうなっていくだろう。

祝福家庭が示す価値観も、これと同様ではないだろうか?恋愛しない。結婚するまでは純潔を守る。結婚してからは、妻ひとすじ、夫ひとすじ(笑)

日常的に接する人たちは、「いまどきこんな人たちがいるのか?」と、違和感を感じるかもしれないが、それが良いか悪いかを判断するのは、その人自身だ。
5%が全体に影響を与えるというのであれば、100世帯の町のなかに、5世帯の祝福家庭があれば全体に影響を及ぼしていくことになる。

だから、国家復帰=人口の半分以上を伝道しなきゃいけない、なんてことではない。ローマ帝国の大迫害下のクリスチャンも同様だったのではないか?。初代教会(エクレシア)は、組織的な教会ができる前、集めようとしたのでもなく、増やそうとしたのでもなく、どんどん広がっていった。

福沢諭吉の教え──実例が示す価値観

福沢諭吉は「学問のすすめ」の中で、社会変革について重要な指摘をしている。

「そもそも事をなすに、これを命ずるは、これを諭すに若かず、これを諭すは我よりその実の例を示すに若かず。」

意訳すると、「政府が命じる力を持っていても、社会を諭して手本を見せるのはまさに民間が行うべきことであり、世の中の改革を目指すならば、命令するより諭す、諭すより良い手本を見せるほうが効果的である。我々は人に先だってまず良い手本を示す使命を持っているのだ。」

さらに福沢諭吉は、「100回の説明よりも、1回の実例を示すほうが効果的」とも述べている。

「一燈照隅、万燈照国」という言葉がある。おのおのがそれぞれ一燈となって、一隅を照らす。この一燈が萬燈になると国を照らす。これは天台宗の開祖・最澄が説いたものを、昭和の思想家・安岡正篤が意訳して広めたものだ。

家庭教会、氏族メシヤの基本思想はこれだと思う。神の国もそこから。決して天から降ってくるものではなく。

第2章:祝福家庭の社会貢献ビジョン

家族大切主義を「社会文化」に広げる

祝福家庭が社会に善なる影響を与えるためにできることの第一は、北野幸伯氏が提言している「家族大切主義」を「社会文化」に広げることだ。

北野氏は著書『家族大切主義が日本を救う』で、家族の絆を強化することが社会全体の安定と発展に寄与すると提言している。
家族を大切にする姿勢は宗教の枠を超えて、誰もが共感できる普遍的価値。夫婦が互いに尊重し、親子が信頼で結ばれた姿を見せるだけで、周囲の人々に安心と希望を与える。

祝福家庭は「家庭を第一にする生き方」のモデルを示すことで、家族大切主義を社会に浸透させる触媒となることができる。

子育て・教育を通して次世代に希望を与える


子育ては単に自分の家庭のことではなく、次世代を社会全体の財産として育てる営み。親が子どもと共に成長し、人格的に磨かれていく姿は、多くの家庭に勇気と励ましを与える。

祝福家庭が「人間性の成長の場としての子育て」の意義を体現することは、教育・福祉・地域社会に善なるインパクトをもたらす。

職場や社会での倫理的な影響

家庭を大切にする人は、職場でも人間関係を大切にする。「家庭大切主義」は、ビジネスにおける倫理性・誠実さ・持続可能性とも結びつく。

祝福家庭が職場で誠実に働き、家族と調和した生き方を示すこと自体が、社会に善の波及効果をもたらす。

平和文化をつくる家庭


家庭は「小さな社会」。家庭の中で対話と和解が行われるなら、それは社会の平和の縮図となる。

祝福家庭が「対立より対話」「所有より分かち合い」「支配より奉仕」を家庭生活で実践することは、平和文化の土台を築く。

第3章:家庭を小さな聖所として築く──訓読生活の価値観


第3回で触れた「家庭での訓読と祈りから始める」を、その背後にある価値観とあり方から整理してみたい。

ユダヤ民族の歴史に学ぶ

紀元70年、エルサレム神殿が破壊され、ユダヤ人は2000年近く国を失った。それでもユダヤ民族は消滅せず、「家庭」と「共同体」が信仰の砦となった。

安息日(シャバット)を家庭で守り、毎週家族で祈り・食卓を囲むことで「家庭が小さな神殿」となった。トーラー(律法)の学びを家庭で継続し、親が子どもに物語を語り継ぐことで、信仰と価値観を次世代へと伝えた。

国家や権力を失っても、「家庭」と「御言の学び」が民族のアイデンティティを守ったのだ。

文鮮明先生の八大教材教本と訓読生活

お父様は膨大な御言を体系化し、「八大教材教本」としてまとめられた。先生ご自身が「誰よりも熱心に訓読した」と語られ、さらに「あなたたちはそれ以上に訓読しなさい」と遺言のように強調された。

訓読は単なる読書ではなく、家庭をみ言で満たし、生活そのものを聖別する営みだ。家庭で日々訓読し、み言を共に分かち合うことは、退廃文化の影響を受けやすい現代にあって、家庭を「小さな聖所」とする最も具体的な方法だ。

第4章:夫婦1セットとしての取り組み


「生老病死」「四苦八苦」ではないけれど、生きている以上は様々な悩み苦しみに遭遇する。

家庭においても、健康、子育ての悩み、経済的なこと、そして信仰のこと、いろいろな壁にぶつかる。

それに対する教会での取り組みは、個別へのアプローチに傾きがちだ。

個人への信仰指導、あるいは先祖、霊界ごとへの結びつけ。

それで実際にどれだけの人が問題を解決しただろう。

私に大きなヒントを与えてくれたのは、「家族療法」という心理学のアプローチだった。

例えば、子どもが不登校になったり、妻がうつ病になったりする場合、心理学の個人療法では、その個人にアプローチして変えていこうとする。

しかし、家族の一人一人とカウンセリングをし、それぞれを理解しても見えてこない。

家族全員が集まったところで家族の姿をみる、家族全体にアプローチする。そこで本当の課題が初めて見えてくるという。

家族療法では、このように考える。

家族全体のバランスにゆがみが生じていて、そのゆがみを表に出す役割をだれかが担わなければいけない。それを不登校になった子どもや、うつ病になった妻がいま引き受けていると。

だから、家族全体のバランスを整えれば、個人はその役割から解放される。家族全体にアプローチしていくことで、子どもの問題だったり、個人の問題だったりが解決していく。

家族療法の視点から見た健康な家族


健康度の高い家族の共通点は、「世代間境界」がしっかり保たれていることだという。

「世代間境界」とは、親と子の間に適切な境界線があるということ。重要な意思決定は親が行い、子どもは子どもとしての役割を果たす。

たとえば、実家の心配事、家計の心配、それは親の責任であり、子供を巻き込まない。

夫婦間だけで共有されて、子供の耳には入れない情報がある。

世代間境界という秩序があると、子供は親に安心して甘えられるし、安心して反抗できる。そのなかで子供は健康的に育つ。

子供は子供らしく。自分本位で自分の好きなことに没頭してる。親を困らせるくらいが健全だという。

「祝福家庭は、子供の前で喧嘩をしてはいけない」というお父様の指導を、皆聞いたことがあるだろう。

この家族療法の考え方を聞くことで、さらに納得だ。


おもえば、神の二性性相の話から「創造原理」の講義は始まる。

神の二性性相から生まれたすべての存在物は、単体ではなく対(ペア)として存在しているということだ。

「そんな話は何十回、何百回聞いた」と言われるだろう。

「家族療法」なるものを知ってみると、統一原理を生活化する上でこの「ペアシステム」が核心ではないかと考えるようになった。

知っていることとわかっていることは違う。
生活の中で、ほんとうにそのことを実感しながら生きているか、実践しているか?

神に似た陽性と陰性の究極のペア、それは夫婦だ。
夫婦で、神に似たものとなっていく。

個人の信仰がどうこうではない。
お互いの相性がどうこうではない。
仲が良い悪いではない。

とにかく、夫婦がお互いを、自分にとって絶対的に必要な相対として位置づけているか?
無視していないか。
ないがしろにしていないか?


私とメシアとの出会い、
人生の色々な場面を振り返る。
その結論は何か?

「メシヤによって相対が与えられた」ということ、それがほぼ全てではないか?
一世にとってはそれが原点だ。

メシヤによって与えらた相対を、どれほど価値視し、貴重に扱ってきたか?

家族の問題ごとも、個人の信仰として捉えると、誰が悪い、彼が悪い、幼いとか、信仰がないとか、そういう話になる。

しかしそれが問題ではない。

夫婦で1セットなのだ。

いつまでも個人の信仰を基準として考えていては、家族が歪んだままだ。

家族の歪みを整える。
そこから個人の問題が解決していく。

じつは、二世の問題も、夫が、妻が、ではなく、夫婦1セットとして取り組むことから、解決の糸口が見えてくるのだ。

第3者から見ると、夫と会う、妻と会う、それでは見えない。夫婦一緒に会うと、初めて見える。

「家族療法」という心理学のアプローチは、本当に目からウロコだった。

原理をより深く理解する手助けになった。
祝福の尊さを再確認することになった。

(「家族療法」については、[野口嘉則氏のサイト]を参照した)

第5章:次世代への継承


「親を見ていると、たしかに神様はおられると思う」

第1回で触れたように、「親を見ていると、たしかに神様はおられると思う」とか「親から愛されることを通して、神様の愛を感じた」そんな言葉を子どもたちからもらえるか?

説得でも強制でもなく、自ら神の子としての生き方を選んでいけるように。

物語として継承する

御言をただ読むだけでなく、親が自らの体験を語り、子どもと共に生活に適用する。

親が子どもと共に成長し、人格的に磨かれていく姿は、多くの家庭に勇気と励ましを与える。

だからこそ、父母が自ら変革し、自立した信仰を示すことが、二世・三世への継承の鍵となる。

三代にわたる摂理

アダム、ノア、アブラハムと、3人の中心人物が立てられた時、アブラハムは絶対に失敗できない立場だった。そのアブラハムの使命未完遂を、神様は「アブラハム、イサク、ヤコブを三人で一代とみなす」という苦肉の摂理をされることで乗り越えられた。

同じように、真のご家庭に対しても、三代かけて建て直される摂理を神様はされるのだろうか。

どのお孫様が中心になるかはわからない。ただ、神様は生きて働いておられる。心情の神様であり、愛の神様だが、どこまでも原理原則で働かれる。

だから、原則的に、真理に基づいて歩む人を祝福されるだろう。真理でないものを真理と信じて、それを人生の指針にすれば、その人生は間違った方に行く。

年月が、歴史がはっきりと答えを出してくれるだろう。

一燈照隅、万燈照国

第1章で述べたように、祝福家庭が社会に与える影響は、特定の「やり方」や「方法」ではなく、根本的な「価値観」と「あり方」から生まれる。

祝福家庭の姿は、宗教を超えて「日本社会が幸せを感じ、世界に貢献する未来」の理想像となり得る。

全国津々浦々の祝福家庭が、家庭を小さな聖所として、神様を中心に、真の愛を実践する家庭を築いていく。その実体が、氏族メシヤの基盤となり、地の基盤となる。

一燈照隅、万燈照国。

家庭から始まる世界平和。氏族メシヤとしての使命の完成へ。

第4回まとめ


祝福家庭が社会を変えるには、「やり方」より「あり方」、「方法」より「価値観」を重視する。家庭のあり方そのものが伝道となる。家族大切主義を社会文化に広げ、家庭を小さな聖所として築き(訓読生活)、夫婦1セットで取り組む。5%の祝福家庭が全体に影響を与え、次世代へ継承する。


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