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紙時代の出版社の思い出話 その5 『あの頃(1992-1993)の南青山の話』

 2025年現在ともなると、東京だけでなくもはや日本の1980-90年代について語り残す人も資料も少ないという時代になっていた。存命な人は多いが、そういう人たちは「自分たちの時代」が貴重なものだと自覚していなかったりするので、調べてみると案外そういう消息が少ない。
 この「紙時代の出版社」の話も意外と紙時代の出版社やゲーム業界について書き残している人が少ないので書き始めたというのがある。
 そういう意味で、今思うと1992年のバブルの余波(というより実は実社会ではそれほど打撃がなくて、不動産屋や金融系やバブルに乗った企業が潰れていただけで、今思えばまだまだ日本が豊かだった時代だった)の残っている『南青山』に通って仕事していたというのは、貴重な証言になりそうな気がしたので書き残しておくことにする。
 2000年頃、私はとある縁でエイベックスの仕事をしていたのだが、あの頃のエイベックスは本社ビルが南青山にあり、ちょうと私が働いていたLOGINの編集部があった『韮沢ビル』の至近距離であり、そのビルはよく通っていたりするのであった。
 で、10年ぶりぐらいに地下鉄表参道駅から南青山を歩くことになったのだが、びっくりした。
 牛丼屋があって、コンビニがあって、ドラッグストアがある「普通の街」になっていたのだ。なんというか、東京のどこにでもあるような、普通の街。あまりにも普通すぎて、拍子抜けした気分で私は何度かエイベックスビルに行っていた記憶がある。
 ほんの10年の間に一気に日本は貧しくなって、『南青山』はびっくりするぐらいオーラのない街に成り下がっていたのだ。

 今思うと西国分寺→新宿→原宿下車、都営地下鉄で表参道駅かあるいは原宿から歩いていた1992-1993年というのは、陰キャオタクの私にとっては自殺行為レベルで光り輝く街だったのだと思う。
 だってなー、走ってる車が普通にやばいんですよ。ベンツとかは別に目立たないし、フェラーリが普通に走っていて、たまにクラシックカーが走っているんですよ……。
 別にカーショウが開催されているわけでもカーマニアのミーティングがあるわけでなく、お前ら中川かよ! っていうようなフェラーリやらマクラーレンやらが普通に走っている。道路交通法がどうなってんだかわかんないけど、あの街で目立つにはクラシックカーぐらいでないと目立てない……。
 この時点でおかしいし、原宿は田舎から「今日のためにキラキラめだとうとしてる10-20代の若者たち」が群れているから理解できる。
 それが南青山の通りに入るとアレ、今の子たちは金持ちの着る服というとハイブランドのロゴつけたギラギラの服を想像するのだろうけど、そういうちゃうんや。
 なんか、大半の人が「さりげないスーツ姿」で、たまに見かけるTシャツにジーパンの人は金髪の白人で、男も女もめちゃくちゃスタイルがいい「どう見てもモデルだろ」って人ばっか。
 その「さりげないスーツ」もクソ高そうな生地で、しっかり着こなしてる。というより「高級スーツ着こなしてないレベルの人は表通り歩くな」ってレベルの街なのよ。
 表通りに並んでる店も、ブティック通りとか言われてただけあってコムデギャルソンやプラダ、ミュウミュウ、カルティエが並んでる。この頃のこういうハイブランドって、ロゴやデザインが「わざとおとなしい」んだよ。「わかるやつだけわかれ」って感じ。
 ハイブラたちがロゴまみれになってこれみよがしの「映えアイテム」になったのは1990の後半ごろからで、LVMH系のブランドが世界的というかアジア向けに「ラグジュアリ戦略」を打ち出して以降だと思う。
 そんなわけで街を歩く人も「その高級感は分かる人にだけ解れ」っていうスーツやアイテムまとった人たちばかりで、一見するとバブリーな感じまったくなかったです。
 でも、なんかみんな服はスマートだし高級感あるし、歩き方キレイだし、基本的に走らないね!
 そんな街ですよ。
 だからね、コンビニとかファストフードとかまずないの! 許されたのはマクドナルドだけ! 少し奥まった所にビジネスマン向けにドトールやサブウェイがあった!
 当時の南青山の表通りに許されたのは華やかでセンスの良いディスプレイのブティックか宝石店とかそういう店だけ。
 当時だってコンビニは普通にあったし、他の街ではコンビニや牛丼屋とかあった時代ですよ、当然。
 でもそんなの許されない。地価的に、それ以上に「おしゃれじゃない店は存在を許さない」って圧力があったんだと思います。
 マクドナルドだけが、何故か生存を許されていました。多分あの頃のマクドナルドにはブランドとしての価値があったんだと思います。当時の家賃考えると絶対に採算取れてないですね、あのマクドナルド。
 いやー懐かしい。
 あの頃、街の中でダセー服着て走り回っていたのは、アスキーの編集者たちとゲーム業界関係者だけですよ(笑) 見ればわかるぐらい自分たちは浮いてました。
 でねー、昼飯とか食べに行くんだけど、ほぼ唯一あったマクドナルドかドトールか和幸のカツ丼のローテーション。だってね、店がない! いや、あるにはあるんだけど、「隠れ家的ランチ店」とか1992年代で普通に1000円オーバーの店ばっかり! 当時の我々LOGINのバイトの時給が700円の時代ですよ? そんなのいけるわけないし、どう考えても浮く。
 夜になって外に出て食うと今のエイベックスビルの地下にあった高級中華料理店で安い「担々麺」か和幸の店内ぐらいしか選択肢がない。
 この俺、オタクどっぷりでおしゃれなんて無縁で浮きまくっていた私ですら、朝にカフェのダークラズベリーパイとか食べて生きてたんですよ。
 ただ、そんなおハイソすぎる街の中でも、不思議と私やアスキーの編集者たちは堂々と走り回ってましたね。
 なんか明らかに浮いてるんだけど、当時は『LOGIN』とか『ファミコン通信』とか、1992-1993年のゲームバブル前夜でコンピューターの未来が輝きまくっていた時代ですから、なんかもうみんな自信に満ちあふれていました。なにしろ編集長レベルですら30歳前後だもん、みんな若い若い。下手すりゃ原宿にタムロっているような年代ですよヒラの編集者たち。
 だから、なんかおハイソな街に反逆するかのようなオタク丸出しのファッションや逆にメタル系のファッション(ファミ通に多かった)してたり、鎧着てバカ記事の撮影とかしまくっていましたからね。
 無意識的にだろうけど、たぶんみんな「次は俺たちの時代」って予感がビンビンする時代で、LOGINもファミ通と部数ガンガン伸びていた時代ですからねー。コンプレックスを感じなかったのでしょう。
 しかもさー、南青山の一等地に大仁堂ビルと韮沢ビル占拠していたし、面白いのは「根津の館」と呼ばれる庭付き一戸建ての邸宅を持っていたんですよね、あの頃のアスキー。
 そこにいろいろ雑誌やゲーム機やパソコンの廃棄物を保管庫代わりに使っていました。雑誌続いていると、印刷所から帰ってきたポジフィルムや版下が毎号積み上がっていくんですよ、雑誌毎号ごとに全部。たまに「昔撮った写真」が必要になって、そこに行って探し回るわけです、手作業で。
 そんな裏通りの住宅街は東京なのにすっごい静か。
 庭付きの邸宅ばっかり。
 やっぱり駐車場もクラシックカーとかフェラーリとかアストンマーチンとかそんな感じ……お前ら中川かよ……。
 1992-1993年の南青山ってそんな街でした。
 後に初台に移転したときに、LOGINやファミ通で「編集者たちの吉野家通い」がネタになりましたが、あれ南青山時代には「気軽に食えるファストフード自体が近隣になかった(マクドナルドはけっこう遠い)」という過去があるからだったんですよ。
 24時間気軽に500円ぐらいで食える店ができたって本当に嬉しかったんですよねー。
 そんなわけで初台に移転して、やっと「普通の街」で息ができるというような気持ちになったのを覚えています。
 バブルの余波がバリバリに残っていた1992-1993年の「南青山」というのは、街も人々もそういうオーラのある街でした。という話。
 ああ、今では古い建築マニアの間で有名な南青山同潤会アパートも毎日のように見る風景でした。なんかアートみたいなことやってんなーって思ってました(笑)

 今考えてみると「歩いていける場所」に「若者たちがはっちゃけている原宿」があるのに、そういう「原宿っ子」というか10-20代の人絶対入ってこなかったんですよね。もう絶対にいない。
 原宿と南青山の人たちが絶対に混ざらないの!

アパルトヘイトかよ! ってぐらいに往来なかったので、その間で駆け回ってんのアスキーの編集者ぐらいでした。

 同世代は面識なくても「ああ、たぶんアスキーの人かゲーム会社の人だな」ってわかったのよな(笑) そんな時代のそんな街でした。

 追記・調べてみたら、1980年代後半からルイ・ヴィトンやエルメスやカルティエといったハイブランドは、LVMHなどの大資本に買収されて「ラグジュアリーブランド」として、世界的な資本と広報、戦略によって「高級感」を演出して販売していく端境期だったようだ。 職人たちの一族による同族経営から、大資本の経営陣が世界レベルで「ラグジュアリー感」を演出して販売していく様になっていく、なので価格は高くなっていくが、「無理すれば庶民にも手に入る」大衆相手の企業になっていったんだね。当時の「ブランド」と今の「ハイブラ」の違いって資本や経営戦略レベルで違っていたのか。

ラグジュアリー戦略の誕生と ラグジュアリー・ブランドの概念規定の再検討より

https://core.ac.uk/download/pdf/144444125.pdf

『ラグジュアリー戦略の誕生と ラグジュアリー・ブランドの概念規定の再検討』
寺﨑 新一郎

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