見出し画像

ゲーム雑誌の青春 「第7話 アスキーとアクセラ」

つづき

第7話 アスキーとアクセラ

 アスキーとアクセラの分裂騒動について、 というより"小島組"というゲーム業界に多大な影響を与えた人々や組織については、一応ですが予定だけはされているこの本の続編で述べたいと思います。
 ここでは、この騒動のときに筆者が一編集者としてどんな体験をし、何を見て来たのかだけを書く事にしましょう。ちなみに、この辺の記述はすべて筆者の曖昧な記憶によるものです。というより、このあたりの情勢につ いては変にまとめようとするよりも筆者の印象で書いたほうが、この章の趣旨には合っているでしょう。
1996年5月。
 このころすでに「仕事さえやりゃいいんだろ」とばかりに不良編集者の仲間入りをしていた筆者はいつものように午後3時ごろ出社しました。そして席に着こうとした筆者は、机の上に知らない紙切れが置いてあるのを発見しました。
 その内容は、"今回の小島さんについてマスコミなどから問い合わせがくるだろうが、すべて広報部に回すように”という通達でした。全く迂闊な話ですが、このときの筆者はアスキーを揺るがした大騒動についてまるで知らなかったのです。
 そして編集部の人々が集まると、当時の編集長だった高橋さんが、「小島さんや塩崎さんが社長とモメてアス キーを退職するかもしれない」という当時の状況を手短に説明し、「明日、この事について話し合うから、2時 (記憶曖昧)に全員トーシンビルの地下ホールに集まる ように」との通達がありました。
 もうどの編集部も蜂の巣をつついたような大騒ぎになってました。この時期には新聞やテレビなどで、西社長が会社に個人的な借金をしようとして小島さんと揉めた、とかいう事情がわかり始めてくるのですが、このことについて西社長に味方する人間は光山ビルには一人も見かけませんでした。しかし、「ログイン」や「ファミ通」 や「アイコン」グループの生みの親である小島さんや育ての親である塩崎さんは、自分たちにとっては西社長などよりも直にアスキーの象徴とも言うべき存在でした。 それに元々、光山ビルの面々は韮沢ビル時代から連綿と続く「本社はウチの稼ぎを吸い取って足を引っ張りやがる」という印象を誰しも少なからず持っていたのです。ともあれ、自分たちがなんの疑問もなく、 愉快な楽園として仕事をしてきたこの職場が失われようとしている......。そんな不安を抱えたまま一日は過ぎていきました。
 次の日、光山ビルの全社員や全バイトがトーシンビルの地下大ホールに集められました。中には西社長と副社長の橋本という人が中央に坐っています。
 まずは西社長の言い訳が始まりました。「スクウェアに乗っ取られる」だの、「ソフトバンクの孫正義氏にホワイトナイトとして助けを求めた」だの、言い並べてましたが正直どうでもよかったです。 西社長になんの思い 入れもない筆者にとっては空しいものでしかありませんでした。
 また、社長に腰巾着のように着いている橋本とかいう興銀から出向してきた人物にいたっては、なんとも偉そうに「こんな非常事態だからこそ全員一丸となって」みたいな事を言い出してきたので(何言ってやがる、最初に秩序乱して稼ぎ頭追い出そうとしているのって貴様らだろう)と、はっきり言って不愉快でした。この興銀出身の副社長に関しては、今思い出しても不快感が胸に兆します。なによりこの後、社員やバイトたちにはデカイ態度取っていたくせに、マスコミにはヘーコラしている姿を見ていたので、その不快感はなおさら募るばかりでした。
 この辺、かなり筆者の主観と偏見が込められていますが、仕方がないでしょう。退職した今はほとんどどうでもよくなっていますが、正直、このとき筆者ははっきりと彼らを"敵"だと認識していたのですから。
「ここからはみんなの質問に答える。なんでも答えたる」社長の繰り言が終わると質問コーナーとなりました。 このときは「小島さんは戻ってくれないのですか?」、「社長は会長に退かないのですか?」など、ほとんど質問の名を借りた社長に対する糾弾コーナーとなったので、少し溜飲が下がる思いがしました。
「小島さんたちからの説明はないんですか? 小島さんたちを呼んでください」
 誰かが言い出し、みんなもそれに唱和します。
 そして間もなく、小島さんと塩崎さん、そして宮崎さんという知らない人の三人がホールに入ってきます。そして彼らが現われた時期せずして拍手が湧き、彼らを迎えたのです。 それは、なんとも感動的な光景でした。 実は筆者はこのとき昔好きだった「ログイン」や「ファミ通」、数々のアスキーの本などの事、 楽しかった仕事 の思い出などが去来して泣いてました。
 ですから、このあと小島さんたちと西社長たちの間で 激烈なやりとりがあったのですが、その内容はよく覚えていません。ただ、「小島さん戻って来てください」、 「お願いします!!」 などという声が常にどこからか出て いた事だけは覚えています。
 そんな声のする中、三人は振り切るようにしてホールを出て行きました。
 そして、この後小島さんたちが戻って来ることはありませんでした。
 正直、下っ端編集者であった筆者にとって劇的だったのはここまでです。  も少しお偉いさんたちだと、 アクセ ラとアスキーの引っ張り合いなどがあったようですけど ね。
 形勢は 「ファミ通」の編集長である浜村さん、「月刊アスキー」の編集長である遠藤さん、 光山ビルの長である河野さんたちが手を携えてアスキーを支えるという事を決定した時点で決まりました。
 後日、またホールで説明会があって、編集長たちとともに西社長が現われ、アスキーのこれからの体制がみんなに説明されました。 このとき、妙にハイになって落ちつきがない西社長とはっきり不愉快そうに憮然としている編集長たちの表情は、なんとも対照的なものがありました。
 筆者が個人としてアスキー・アクセラ分裂騒動を見たのはこの程度です。 まあ、重大事件なのであえてボカしたりもしてますが、だいたい雰囲気だけは伝わったと思 います。
 余談ですが、ついに「ファミ通」が分社化するようですね。このとき、おそらく価妮たる思いでアスキーに留まった(おそらくこの騒動のキャスティングボードを握っていたのはこの人だったのでしょう) 浜村さんの悲願が達成されたわけです。そして、この悲願は旧小島組以来のものだったような気がします。
 アスキーの稼ぎ頭であるにも関わらず、常に植民地のように扱われてきた彼ら。
 こうした不満が噴出してアスキー・アクセラ騒動が起こったのでしょうし、小島さんたちはアスキーを飛び出して独立しました。
 そして、なんとか独立を思いとどまった浜村さんは、 何年も耐えながら(浜村さんにとって小島さんや塩崎さんは縁の深い人だったのに、結果的に裏切るような形になってしまったわけです) ついに、アスキーからの独立を果たしたというわけですね。
 もしかすると、筆者の勘違いかもしれませんが、なんとなく感慨深くこのニュースを聞いたものです。

浜村さん

 いうまでもない現「ファミ通」編集長。断言するがゲーム業界の中で最も“大人”な人物であり、その抑制の効いた言動と決して"中心"を外さない編集方針によって、日本最強のゲーム誌「ファミ通」を育て上げた人物である。筆者はほとんど面識がないが、挨拶などを交わしたときの柔らかで人を逸らさない 物腰は、今の日本にはいない一流の政治家としての風格を感じたものである。

ここから先は

0字

¥ 100

Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?