紙時代の出版社の思い出話 その12『あの時代、LOGINはどうすればよかったんだろう?』
未だにLOGINの夢を見る。
これが「かつての思い出」としての夢ならば良いのだが、私の夢はもっとリアルで、なぜか現代にLOGINが復活して河野真太郎編集長で副編集長に塩崎剛三さんで、新井創士さんや青柳昌之さんが在籍して、「現在に復活したLOGINが刊行していて、私はバイトとして時給800円で働いている」という夢である。いつも、「やべえ、遅刻した💦」と嫌な汗とともに起きるのだが、これが年に数回あって、「そのたびに時間系列が経過している」のである、再復刊から今のところ5号目ぐらいは出ている。
なんかゲーム攻略記事がイマイチでいろいろ文句つけたりしている。
こんな夢を見るぐらいだから、1992年に上京して1998年まで働いたLOGINという雑誌は、私の精神に根深く爪痕を残しているのだろう。良い方にも悪い方にも。
さて、最近そんなことを思い出して、Geminiで歴代編集長について確認して、その事績を訪ねてみたところ、こんな結果が出た。

いや、誰だよ!? 初代編集長と3代目の小島文隆さん以外まったく間違っているし、そもそもLOGINにそんな人たちいないぞ!
ちなみにChatGPTにも聞いたが、こちらは小島文隆編集長以外は不明であった。
どうも、LLMが探ってくる「電子の海」には、1980-90年代のインターネット以前の時代、パソコン雑誌、いやオタクカルチャー雑誌としてあれほど存在感を発揮し、後にファミ通の母体となるファミコン通信を生み出していて、ASCII刊行のLOGINの歴代編集長の名前すら残っていないようなのだ。
これはちょっとしたホラーだった。
ここで特記しておく。
・吉崎武- 初代編集長。
・宮崎秀規- 2代目編集長。技術系編集者。月刊アスキー編集長。
・小島文隆 - 3代目編集長。事実上の「LOGIN」の生みの親であり、『ファコン通信』や『EYECOM』などを創刊し、「小島組」と呼ばれるASCIIのエンタメ系雑誌コングロマリットを作った人。
・河野真太郎(河野マタロー)- 4代目編集長。
・新井創士(ほえほえアライ)- 5代目編集長。ゲーム畑でNEWソフト情報の鬼
・高橋義信(高橋ピョン太、髙橋ピョン太、高ピョン)- 6代目編集長。でLOGINのテック系路線にリニューアルした人。
・山川真太朗 - 7代目編集長 EYECOM副編集長→TECHWIN編集長を経て外部から招聘された編集長。ASCIIの代リストラ時に、LOGINのリストラ役となった人で、月刊に戻したり完全DTP化して経費削減に務めたツライ役割だった人。
・青柳昌行(青柳ういろう)- 8代目編集長。歴史系に強く「青柳組」と言われたりしてた、私の直属の上司だった人。バイト採用ながら、LOGINでバントしながら大学に通い卒業して正社員になったので。小島組では珍しい正社員の人だった。後にKADOKAWAの取締役になる。
・原田一郎 - 10代目編集長。私は彼と折り合いが悪かった犬猿の仲。まあ、当時の俺と仲良くデキる人が珍しいとも言える。
1992年にバイトとして採用された私は、4代目編集長河野真太郎さんから8代目編集長青柳昌行さんまで仕えていたことになる。
このうち河野編集長については、ほぼ「あがり」の状態で、次期編集長として新井さんの路線が決まっていた時代だったので、河野編集長についての記憶はほとんどない。
ただ、入った当初に付録の『MS-DOS簡単ディスク』というフロッピーディスクがウィルス混入という不祥事を起こしていて、そのユーザーサポートとして手作業で苦情のあった人に郵便で新しい『MS-DOS簡単ディスク』を送るという作業をしたのが、バイトとしての最初の仕事だったのを強く印象として残っている。
責任を感じた河野さんはたびたび階下の発送作業をしているバイトたちを労いにきたりして、やさしい人だったし、一緒に作業したりしていた。
一方で当時としては大規模な不祥事だったのでピリピリしていた側面もあったので、怒鳴り声も聞いたりしている。
ちなみにユーザーサポートの電話番もバイトとしての最初の仕事だったので、当時は10時出社だったと思う。
そのあと新井創士編集長になって、モノクロページがリニューアルされ、私が「三国時代」という三国志ページをやったり、ファンタジーや戦国時代など「もはやゲームとは関係ないオタクのうんちくページ」が開始された。
ある意味、「今の古参の人たちが懐かしむLOGIN」がこの時代だったと思う。
実際のところ、読者の私としては小島編集長や河野編集長のバラエティー路線が好きだったし、自分も含めて「オタクの読み物ページ路線」は「当時の古参読者」には評判が悪かったりしていた。書いてた側が言うなって話だけど、先代の真似ができないから、独自路線書くしかなかったのだ。
このあたり、「2020年代にもなってLOGINを回想したりする40-50代のゲーマーが回想するLOGIN」と「当時の古参読者が思うLOGIN像」というものに乖離が起きていたのは、当時の読者であり中の人でもあった私としての実感としてある。
ぶっちゃけた話、私自身が内部で「オタク趣味が気持ち悪い」と言われていたし、この時代以前のLOGINは「テックな若者向けのハイカルチャー雑誌」という色彩が強かったのだ。
このあたり伊藤ガビンさんや船田巧さんの世代の真似が出来なかったし、やはり「オタク世代の萌芽」というものが芽吹いていた時代だったんだと思う。
ともあれ、この「オタクの読み物路線」は成功していたのは確かなのだ。
新井編集長時代は良くも悪くも「パソコンゲーム雑誌LOGIN」として完成されていたと思う。
しかし、一方で時代が「このまま」でいることを許さなかった。
簡単な話で「PCゲーム」が売れなくなっていったのだ。
もともと、スーパーファミコンの全盛期で「ゲームと言えばスーファミだよな!」という時代的流れはあったし、当時20-30万円したパソコンでゲームをするのはコストパフォーマンスとして親が許さない時代だったろう(当たり前だ)。
やはり『ファミコン通信』や『メガドライブ通信』の方が圧倒的に活気があったし、部数も鰻登りだった。
ゲームの売上本数も十万単位だったので、体力のあるソフトハウスは次々とコンシューマー市場に乗り出していった。
それでもPCゲームは「RPGやSLGなど高級路線やシムシティなど海外の実験的なゲームがある」というアイデンティティはあったし、ファミコンやスーパーファミコンの開発機材が高かったので、弱小ソフトハウスが参入しにくいという背景はあったのだ。
しかし1994年末に発売されたPlayStationとセガ・サターンの発売は決定的だったと思う。
「ポリゴンをバンバン動かすゲーム」は「パソコンゲームよりスゴイ」と思わせるのに十分だったし、特にソニーグループは開発機材を安く提供した上ににリソースライブラリの提供やPCでの開発環境の互換性をサポートしていたりと、サードパーティの取り込みが物凄かった。
編集部でも「話題になるゲーム」が『ファイナルファンタジーⅦ』を始めとして、もはや内部の人も外部の人もコンシューマーゲームの話題ばかりしていた時代に入ってしまった。
1994-5年はLOGIN編集部の中にいてさえ「もうパソコンゲームの時代じゃないよな」という同調圧力が物凄かったのが今でもトラウマとして残っている。
それでも1編集者1ゲーマーとして「パソコンゲームだって面白いゲームたくさんあるんだ!」と意地になっていたが、LOGINの部数や今後の展開を考える編集長や編集統括としては、そうもいかなくなっていたのが、今回想するとわかってくる。
そんな時期に『ゲーム路線』の新井創士編集長からプログラマー出身でテック業界に詳しい6代目高橋義信編集長に代わり、LOGINが大リニューアルを図ったのである。
そもそも1995年前後は、ゲームだけでなく世界全体がIT革命のさなかにあった激動の時代だ。
黒船Windows95の来航などと軽く語ってほしくない。
Windows95の到来だけなら、みんな苦労しなかったのだ。
その上にパソコン業界ではDOS/VというPC9801シリーズより性能が良い上に安いというアーキテクチャのパソコンが登場していたし、Windows95によってインターネット接続が格段に簡単になって世界が変わる、さらには音楽もDTMの荒波が押し寄せてFM音源の牧歌的時代は終わり、イラストも本格的に電子イラストが採用され始め、我々が直接関わる印刷所もDTP化に以降しようとしていたし、Linuxなんかの情報も流れてくる、それらに便乗して広告代理店などは「マルチメディア」の大合唱を煽るし、まあ言ってしまえば『いまお前らが住んでいるIT社会の基本がいきなり全部流れ込んできたような年代』だったというしかないのだ。
また裏では静かに『RanceⅢ』や『ELLE』や『ドラゴンナイトⅢ』や『同級生』など、ひたひたと「後のエロゲーブームを担う」シナリオライターやメーカーや原画師たちが現れていた時代でもある。
規定通り「PC9801の一般ゲームとオタクのうんちく読み物」で紙面を埋めるには限界を感じなかったほうが無理はないだろう。
このあたりで『LOGIN』と『コンプティーク』の明暗が別れたんだと思っている。
当時の業界のクォリティーペーパーであった『LOGIN』は、当時隆盛していて、ぶっちゃけた話ランキング上位を独占しつつ合ったエロゲーを『E-LOGIN』として分離し、オタク路線を捨ててテック路線を選択した。
一方で『コンプティーク』は福袋の実績や角川グループのバックアップとともに、アニメやエロゲーやメディアミックスなどなどオタク路線を突き進んでいった。
苦渋の決断であった。
実際のところ、「エロゲー路線」についてはエロゲー専門ページである『愛のモザイク劇場』のアンケート順位を編集長だけでなく、当時の第二編集統括の編集人であった塩崎剛三さんが確かめにくるほどで、「このままエロゲー市場を取り入れてLOGINの部数を伸ばすか、分離してLOGINは別の路線を目指すのか?」と上層部や広告部なども含めて悩みに悩んだと聞いている。
LOGINがあのまま「オロゲーも含めたオタク雑誌」として突き進むという選択肢はあったし、その方が部数が維持できるのは、現場も上層部もそんな事は百も承知だったのである。
だが、「エロゲーの広告と混交ではゲームメーカーだけでなくハードメーカーも広告が入れにくい」事実や出版コードなどなど、散々悩んだ末の決断であったと聞いているし、言ってしまえば「エロゲーも含めたオタク雑誌路線」というのもやればできたのはわかっている。
ただ、個人的にも「三国時代」と「銀英伝イレギューラーズ」などで月2回も毎回ネタをひねり出し続けている状況に疲弊していたし、たぶん他の編集者もそうだったんだと思う。
当時の「オタク読み物路線」は書いてて楽しかったし読者ウケも良かったが、何年も続けていて現場は疲弊しマンネリ化していたのも事実だったのだ。
たぶん『コンプティーク』のように専門ライターや編集プロダクションに外注していたなら、いくらでも続けられたんだと今にしては思う。
だが、編集の雑務や他のゲーム情報や攻略などの業務をこなしながら、毎回歴史記事やファンタジー記事など読み物記事を書き続けるなんて、私に限らずみんな無茶していたんだと思う。
さらに言うと1996年にASCIIは大分裂騒動を起こしていた。
「小島組」の首魁であり、LOGINの事実上の創刊者であり、ファミ通、EYECOMなどを手掛けた小島文隆編集長を始めとして、編集人である塩崎剛三さんや二代目編集長の宮崎秀規さんが西和彦社長と決裂して退社してしまう。
これが決定打となった。
LOGINは既定路線を捨てて高橋義信編集長の下、E-LOGINにエロゲー部門は切り分けて、LOGINは大リニューアルを敢行、中綴じの雑誌となり読み物連載は全部打ち切り、テック系路線を進めることになったのだ。
その後、インターネットを始めとして、ネットワークゲームやDOS/Vや3Dグラフィックや映像編集やDTMやマルチメディアなど、当時のPC界隈の流行を取り入れた先駆的な特集を組む路線に変わっていった。
だが、これで決定的に読者に「なんか違う」と思われて、びっくりするぐらい読者離れを起こしたのだ。
今にして思えば、1996年前後が「オタク文化の開花期」だったんだと思う。
エロゲーや同人誌や格闘ゲームやなど、その後も延々と続けられるオタク文化が花開いていく中で、読者も「インターネットで繋がったりしてオタクという新しい文化」を享受し始める端境期であったのだ。
しかし、結果的にオタク化している読者を跳ね除けてしまったのが、このリニューアルだったと思う。
これが失敗に終わり、ASCIIグループも放漫経営で破綻し、グループ全体でリストラの大鉈が振るわれる。
LOGINも半数以上が解雇され、これまでLOGINとは無関係だったテックウィン編集長の山川真太朗さんが7代目編集長となり、完全DTP化や月刊化など、雑誌としての採算性を考えた雑誌としてリストラされる。
山川真太朗さんとは最後まで理解し合えなかった人だけど、この人はこの人で「リストラの首切り役」として就任させられたのだから、今にして思うと気の毒な人だったと思う。
そして、ぶっちゃけた話、この時点でLOGINは死に体になっていた。
私はリストラされずに、山川真太朗さんから8代目編集長の青柳昌之さんまで在籍し続けていられたが、LOGINとコンパイルのコラボ企画である『AfterDevilForce』をコンパイルの経営破綻とともになんとか発売できたのを最後に、完全に心が折れていたと思う。
仕事も投げやりになっていたし、そんな態度を見かねた原田一郎氏ととっくみあいの喧嘩騒ぎになったのを皮切りに契約満了で退社した。
確かに、後知恵で6代目高橋義信編集長のテック路線は間違いだった、というのは容易いと思う。
だけど、今考えても「あの時代に正しい舵取りをするなんて不可能だったんだ」と思うしかない。
コンシューマーゲームに技術も市場も追いつかれていて、ソフトハウスも次々と潰れるか、エロゲー会社になるか、コンシューマー市場に打っててるしかなかった時代。
さらに言えば、市場がMS-DOSからWindows95に変わっていく中で、技術的にWindows95に対応できなかったソフトハウスも多かったし、そのWindows95のゲーム市場だって「売れるのはエロゲーばかりで、一般ゲームはほとんど売れなかった」という時代なのだ。
エロゲーやオタク路線を突き進むにしても、後知恵なら「エロゲーやオタク人気があるんだからその路線で」と言っても、まだ「後に世界的にオタク文化が花開く」なんて予想もつかなかった時代だったのだ。
さらに言えば、むしろ「オタク路線」なんかよりも「世界的な広い市場」にDOS/VやWindows95とともに打って出たほう勝ち目があったと思わせる時代だったのだ。
1996年時点で、「まさか世界中が日本のアニメやゲームに熱狂するオタク文化が花開く」なんて誰も思うわけがない。
その路線を進んだ『コンプティーク』だって、なんども危機に陥っていくのである(エロゲー専門雑誌が雨後の竹の子の如く発売され、コンプティークの読者を奪っていった)。
だから、当時は「あー、読者が離れていったなー」というのは、アンケートはがきを見ていても感じていたが、それでも「こういう路線でいくしかなかったよなー」ともリアルタイムでは思っていたのだ。
さらに言えばASCIIが御家騒動で分裂して、一番有名な編集者からアクセラに移っていったような時代である。
そういう意味では、未だに答えはわからないし、その後、膨張していく日本のや世界のIT産業の中で、「もしかするとワンチャンあったのかもなー」と妄想はするけど、その妄想ですら「成功率は低いよなー」と考えるしかない。
そんな鬱懐が、未だに私に「今も刊行してしまうLOGIN」の夢を見せてしまうだな、と思っている。
1980-90年代、間違いなく「オタクの中心」であった雑誌『LOGIN』は、1995年前後の当時のIT革命の激動の中で「オタクのままであり続けられなかった」せいで滅びた。
だが、未だにどうすればよかったのが検討もつかない。
その後、2006年の『電車男』ブームをきっかけに「オタクの時代」がくるまで、10年以上もあったのだ……。
今も未練である。
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