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大事なのは「起源」ではなく「なぜそのとき必要とされたか」だ

 オタクの調査には、はっきりした様式がある。
 あるジャンル、ある表現、あるガジェットについて「これが最初だ」を確定させにいく調査だ。
 誰が最初にやったのか、どの作品が元祖なのか、どこまで遡れるのか。系譜図を描き、先行例を掘り出し、通説を訂正する。訂正されればまた別の誰かがさらに古い先行例を持ち出してきて、通説はもう一段古い方へずれていく。
 知識としては確かに蓄積されるし、雑な通説を潰す意味もある。ただしこの作業をいくら積み上げても、そこから何かを新しく作ろうとする人間にとってはほとんど手掛かりにならない。
 手掛かりにならないどころか、しばしば足を引っ張る。

 問うべきは「起源」ではない。
「なぜそれは、そのとき、必要とされたのか」の方だ。ある技術や表現がいつ生まれたかは、実のところ大した情報量を持っていない。
 同じものが別の時代に別の場所で生まれて、誰にも見向きもされずに消えている例はいくらでもある。
 生き残ったものと消えたものを分けたのは発明の優劣ではなく、そのとき社会の側にそれを必要とする穴が空いていたかどうかだ。
 穴の形を読まずに、穴に嵌まった栓の形だけを写し取っても、当然ながら何も嵌まらない。

起源をたどると無限後退で終わる

 RPGの起源を調べるとする。
『ウィザードリィ』と『ウルティマ』が1981年。その前に『ダンジョンズ&ドラゴンズ』が1974年。その原型はゲイリー・ガイギャックスらのミニチュアウォーゲーム『チェインメイル』が1971年。ミニチュアウォーゲームの源流をたどればプロイセン軍の『クリークシュピール』にたどりつく。
 父ライスヴィッツが1812年に国王へ木製のゲーム筐体を献上し、息子が1824年に規則を整えて参謀総長ミュフリンクに披露した。
 ミュフリンクはこれを遊びではなく戦争の学校だと評し、王命で全連隊にセットが配布されたという経緯まで、記録としてはきれいに残っている。
 さらに遡ればチェスがあり、チャトランガがあり、要するに終わらない。

 この無限後退そのものは、実はどうでもいい。
 重要なのは、この系譜のそれぞれの段階で、必要とされた理由がまったく別物だという点だ。
 『クリークシュピール』が必要とされたのは、実弾も兵員も動かさずに将校の作戦判断だけを大量に訓練する手段が要ったからで、需要の主体は常備軍を抱えた国家の側にある。
 1866年と1870年の勝利のあと各国の軍隊が競って導入したのも、ゲームが面白かったからではなく、参謀教育のコストが下がるという一点による。
 ところが『チェインメイル』から『ダンジョンズ&ドラゴンズ』への転換で起きたのは、まったく逆方向の需要だ。
 連隊を動かしていたウォーゲーマーが、駒の一つに名前をつけて、そいつが死ぬと困る、という遊び方を始めた。集団の効率を計算するための道具が、個体への感情移入を支える道具に反転している。

 さらにコンピュータRPGへの転換にも別の理由がある。
 『ダンジョンズ&ドラゴンズ』を遊ぶには、ゲームマスターと数人の卓と、休日の午後がまるごと必要になる。
 この調達コストを払えない人間が圧倒的に多かった。PLATOのメインフレームやApple IIで動いた初期のRPGが埋めたのは、その調達コストの穴だ。
 そして『ドラゴンクエスト』が1986年に必要とされた理由もまた違う。
 ファミコンにはキーボードがなく、当時の想定読者はRPGどころかコンピュータのコマンド入力自体を知らない。
 コマンド選択式のウィンドウという、あの野暮ったい仕組みは、入力デバイスの貧しさと読者層の未経験という二つの制約から逆算されたものだ。
 起源をいくら遡っても、この逆算の作法だけは出てこない。

鐙は騎士を作らなかった

 起源探しが行き着く典型的な事故として、リン・ホワイト・ジュニアの鐙説がある。
 1962年の『Medieval Technology and Social Change』で、ホワイトはアジアから伝わった鐙がカロリング朝期のヨーロッパに衝撃騎兵を可能にし、それが封建制を生んだと論じた。
 土台にあるのは1887年のハインリヒ・ブルンナーで、カール・マルテルが732年のトゥール・ポワティエ戦のあと騎兵軍が必要だと確信し、教会領を没収して従者に分配した、それが封建的主従制の起源だ、という筋書きだ。
 ホワイトはこの筋書きに技術の因果を接ぎ木した。鐙という一点から社会構造の全体が説明できる、というきわめて魅力的な物語になる。

 ところがこの説は、1970年前後にドナルド・ブロウやバーナード・バクラックによって一次史料の裏づけを欠くと徹底的に叩かれ、以後ホワイトの側から再反論は出ていない。
 現在の理解では、鐙は衝撃騎兵にとって便利ではあっても必須ではないとされ、少なくとも封建制の原因ではないというあたりに落ち着いている。
 カロリング朝の騎兵化と主従制の成立が時期的に重なることは認められても、因果の矢印を鐙から引くことはできない。

 この失敗の構造がわかりやすい。
 鐙の起源は、考古学的にも図像的にも確定を目指せる。伝播経路も追える。だから研究として気持ちがいい。
 一方で「なぜフランク王国がこの時期に騎兵を必要としたのか」を答えるには、軍役を負担する側の経済力、動員距離、対アヴァールと対イスラームで異なる戦術要求、土地保有と軍役の交換レートといった、確定しない要素を全部並べたうえで、確率的な答えしか出せない。
 誰も褒めてくれないし、勝ち負けもつかない。技術決定論はいつも、この面倒くささを一発の道具でショートカットしようとして事故る。

種子島は「起源」に何の興味も持たなかった

 逆の例として使い勝手がいいのが戦国日本の鉄砲だ。
 1543年の種子島伝来については、ポルトガル人が乗っていたのは倭寇のジャンクだったとか、東南アジア経由の型だとか、伝来年そのものを疑う議論まであって、起源論としてはいまだに賑わっている。
 だが当時の戦国大名は、そんなことに一切関心を払っていない。
 誰が発明したかも、どこから来たかも、彼らにとってはどうでもいい情報だった。関心はただ一点、何丁揃うか、いくらか、いつまでに来るか、である。

 結果として堺や国友や根来で量産体制が立ち上がり、16世紀末の日本は世界のどの国よりも多く鉄砲を保有していた、とノエル・ペリンは書いた。
 この「世界一」は正確な保有統計に基づくものではなく、あくまで比較の印象を含んだ二次的な評価だと見ておいた方がいい。
 それでも、伝来から数十年で全国の合戦の主兵装が入れ替わったこと自体は動かない。なぜ必要とされたか。足軽の大量動員が常態化していて、弓のように何年もかけて熟練を作る余裕がなく、数ヶ月の訓練で戦力になる飛び道具が欲しかった。
 石見をはじめとする銀の産出で購買力があり、刀鍛冶と鋳物師の層が厚く、部品の互換生産に移りやすかった。
 何より、需要を絶やさないだけの戦争が絶え間なくあった。

 そして元和偃武で戦争が消えると、生産は縮み、職人は減り、改良は止まる。徳川の統制政策をどう評価するかには議論があるにせよ、少なくとも需要のカーブと生産のカーブはきれいに連動している。
 技術そのものは失われていない。必要とされなくなっただけだ。起源をどれだけ精密に確定させても、この上昇と下降はまったく説明できない。

科挙を生んだのは制度の美しさではない

 中国史でも同じことが言える。
 科挙の起源をめぐっては、隋の煬帝が605年に進士科を置いたのを起点とする通説に対して、南北朝の秀才科・明経科まで遡れる、いや制度としての実体が整うのは唐代だ、といった議論が積み重なっている。
 学説としては重要な精度の問題だが、そこで得られるのは開始年の候補だけだ。

 需要の側から見ると、話はもっと単純で乱暴になる。
 九品官人法のもとで人事を握った門閥貴族を、皇帝権力が解体したかった。それだけだ。
 試験という装置は公平のために発明されたのではなく、貴族が握っていた推薦の回路を切断して、人材の供給ルートを皇帝の手元に直結させるために要求された。
 宋になって趙匡胤が殿試を導入し、合格者が皇帝の直接の門生になる形式を整えたのも同じ理屈の延長にある。
 唐代の進士科合格者が年に20人から30人程度と言われるのに対し、宋代には一回の科挙で数百人単位が世に出るようになる。
 この桁の変化は制度が洗練された結果ではなく、五代の武人政治への恐怖から文官を大量に必要とした政権の側の要求が制度を膨らませた結果だ。

 制度史を制度の内側だけで読むと、こういう膨張は理解できない。
 誰が最初に何を定めたかを確定させる作業と、誰が何に困っていてそれを求めたかを読む作業は、まったく別の技能である。

起源探しが好まれるのは、勝ち負けがつくからだ

 ではなぜ、これほど起源ばかりが調べられるのか?
 理由はわりあいはっきりしていて、起源は答えが有限で、確定でき、勝ち負けがつくからだ。
「それより古い例がある」と一つ出せば議論に勝てる。検証コストが低く、成果が離散的で、他人に対して即座に優位を示せる。要するに調査の形をした通貨として使いやすい。

 需要の分析にはそれがない。
 当時の価格、可処分所得、可処分時間、識字率、流通網、競合の不在、法規制、代替手段のコスト、そういった外部条件を並べたうえで、それでも「おそらくは」としか言えない結論に着地する。
 反証もされにくいかわりに、誰にも褒められない。
 しかも面倒なことに、必要とされた理由はたいてい一つではなく、ロマンチックな理由と実務的な理由が同時に走っている。
『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の個体への感情移入という話は魅力的だが、同じくらい重要なのは、ミニチュアを大量に買わなくても紙と鉛筆で遊べるという購買コストの話だったりする。
 両方書かないと需要の説明にならない。

企業が過去を調べても何も出てこない理由

 起業家や企業家がこの罠に嵌まるとどうなるか?
 ベンチマーク調査や成功事例分析と称して、「あの会社が何をやったか」を熱心に調べる。施策のリスト、組織図、KPI、導入したツール。全部が栓の形の記述だ。
 穴の形については誰も調べない。その結果、需要の条件がすでに消滅したあとで、フォーマットだけを模倣することになる。

 GUIの経緯がこれをよく示している。
 起源を遡ればゼロックスPARCがあり、その前に1968年のエンゲルバートのデモがあり、さらに1963年のスケッチパッドまで行ける。
 だがAppleが1984年にGUIを必要とした理由は、その系譜のどこにも書いていない。計算機の使用者が専門家でなくなり、自分でプログラムを書かない人間に売らなければならなくなった、という需要側の変化がそこにあった。
 同じ技術が、需要が到着するまで十数年寝ていたわけだ。PARCが発明してAppleが盗んだ、という起源譚だけを覚えている人間は、この十数年の空白を説明できない。

 LLMも構造はまったく同じで、Transformerが2017年、ニューラルネットの起源となると1940年代から50年代まで遡れる。
 起源探しは容易だし、実際もう散々やられている。だが2022年末に何が必要とされたのかは、技術年表の側には書かれていないし、おそらくは起源主張ばかりが歴史に残されるのだろう。

需要は再現しないから、起源を模倣しても何も起きない

「なぜそのとき必要とされたか?」を問う利点は、過去の理解が深まることではない。
 問い方を変えると、必ず「では今、何が必要とされていないのか」が視界に入ってくることの方だ。
 当時の需要を成立させていた条件を一つずつ並べていくと、そのうちのいくつかはすでに消えていて、いくつかは形を変えて残っていて、まったく新しい条件が二つ三つ増えている。
 その差分こそが、次に何が要求されるかの手掛かりになる。

 逆に言えば、起源の側からはこの差分が絶対に出てこない。
 誰が最初にやったかという情報は、需要の条件を一切含んでいないからだ。系譜図をどれだけ精密に描いても、そこに描かれているのは栓の形の変遷でしかない。穴は描かれていない。
 古いものを調べても新しいものが作れない理由は、調査量が足りないからでも敬意が足りないからでもなく、調べている対象が最初から違うということだ。
 YouTubeによくある「◯◯の歴史」のような動画が「歴史を学ぶ」ことにちっともならないのは、そういうことだったりする。

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