見出し画像

『銀河英雄伝説Ⅳ』の話

 いつも働かずに酒ばかり飲んでいたような話ばかりしているから、たまには真面目に働いた話でもしよう。
『銀河英雄伝説Ⅳ』の話をする。
 たぶん、LOGINに勤めていて、「これを流行らせよう」と思って実際にヒットした稀有な例であったし、発売日が1994年12月9日というのも、初代プレイステーションが1994年12月3日に発売されたという時勢的にも示唆的であったような気がするのだ。
 たしか、初めて『銀河英雄伝説Ⅳ』を開発していると聞いたのは、前年にボーステックに取材に行ってきたときの話であり、用賀という場所が初台のLOGIN編集部からだいぶ電車の接続的に遠かったのでよく覚えている。
 ぶっちゃけた話、ボーステックの担当になった後で、ボーステック版『銀河英雄伝説』シリーズはⅢまで発売された時点では、田中芳樹のファンとしても卒業していた時期だったし、『銀河英雄伝説Ⅲ』も「よくある国取りシミュレーションゲーム」にしか思えなかったので、大して期待していなかったのが事実だ。
 しかし、もう開発当初の画面からして思った。
「あ、これは勝ちだ」と。
 画面はキルヒアイスとラインハルトが会話している場面で、「こうやって会話しながら仲間集めて出世していくんですよ」と、当時の開発ディレクターの山田さんが説明してくれた時点で、確信できたのだ。
 未だに『銀河英雄伝説』のゲーム化については、『銀河英雄伝説Ⅳ』が最高峰だと言われているが、私はいつも思うのだが、最高峰という以前に『銀河英雄伝説』がまともにゲーム化されたのは『銀河英雄伝説Ⅳ』と『EX』だけだと思っている。
 いやだって、もう誰も異論はないと思うのだけど、『銀河英雄伝説』の魅力って「個性的な提督や指揮官たちのやりとり」でしょう? というより、「多彩なキャラクター」が魅力である原作に対して、「ただの能力値」だけを反映した駒化された戦術ゲームや戦略ゲームを作って、何が楽しいのか? とかすら思っていた。少なくともボーステック版『銀河英雄伝説』~『銀河英雄伝説Ⅲ』までは、「原作が好きだからこそ、つまんねえゲームだ!」とずっと思っていたのである。
 そこへきて、突然、『太閤立志伝』よろしく、自分が提督の一人になって、周囲の提督や幕僚とやり取りしながら、銀英伝の世界でのし上がっていくという提督プレイの雛形が提示されたのである。
 その頃は高校生ぐらいまでにあった「田中芳樹熱」は冷めていたのだが、さすがにこういうのを見せられて「やっと『銀河英雄伝説』がゲーム化された!」というのを実感したのだから、たまらない。
 その後、ググっても名前が出てこないので失念しているが、おそらくその後のボーステックの『銀河英雄伝説』シリーズやマイクロビジョン製のコンシューマー版『銀河英雄伝説』が迷走を続けているのを見ると、どうにもディレクターとしての「ボーステックの山田さん」だけが、前述したように「『銀河英雄伝説』はキャラゲーでしょ?」という本質を理解していたんだと思う。
 返す返すもお名前を失念してしまったのが惜しまれるが、リメイクやソシャゲなども含めて『銀河英雄伝説』のゲーム化がことごとく失敗しまくっているのを見るにつけ「ボーステックの山田さん」がキーマンだったのだろうなぁ……と2026年に至ってさえ思われる。
 さて、ボーステックから帰還して「これはイケる!」となっていた私は、その足で編集部のニューゲームを担当していた青柳さんに猛烈にアピールして、画面写真が一枚しかない時点でスクープ記事として『銀河英雄伝説』を猛プッシュし始めた。
 それから発売日まで、月2回のペースでLOGINが発売されるのだが、そんなペースで開発がおいつく筈がない。
 しかし、報道とはでっち上げの能力である。
 もう素材があろうがあるまいが、「毎号『銀河英雄伝説Ⅳ』の記事は作る」と決めてしまったし、そのつもりで編集部内でプレゼンしているのである。
 どんなにつまらない画面写真であろうとも、それどころか開発画面ではなく、「画面写真として作られた画像ファイル」でも構わないし、3Dムービーシーンの一部であっても構わないし、とにかく毎週のように「ボーステックの山田さん」に頼んで素材を提供してもらった。
 なもんだから、「記事の内容」なんて、実際にゲームのサンプルなんてない段階から記事にしているので、聞いた想像や妄想を膨らませて1-2ページ分の原稿をでっち上げたし、逆にそんな妄想からボーステック側が機能や仕様を追加したりしていたし、もう記事なんだか企画書なんだかわからないレベルで、当時のLOGINに『銀河英雄伝説Ⅳ』の記事を毎号掲載し続けた。
 たぶん、こういう「捏造でも素材を作ってしまえ!」という経験が、後にコンパイルと悪巧みして『AfterDevilForce』とかゲーム一本ぶち挙げてしまう原動力になっていったのだと思うし、業界自体もまだ「先に企画を発表してからあとは考える」という勢いのあった時代でもあった。
 笑ってしまうんだけど、完成が近づくにつれて勢いで「発売日の号には別冊付録を付けましょう!」というのも通ってしまう。
 当時のLOGINの付録は全16ページなのだが、もちろん「発売号に掲載する付録」をつけるためには、発売の1-2月前には入稿していないとダメである。そして、当時のゲーム開発では発売日の1-2月前というのは、開発の仕上げやデバッグの佳境であり、一歩間違えれば「開発仕様と食い違う」のもアリアリな時期だ。
 しかし、雑誌の印刷機は止めるわけにもいかないし、やるしかない。
 さらに言ってしまえば、「開発中の画面」にはデバッグモードとかがついていたりして、使えない画面もけっこう多い。
 こんな状況で「別冊付録としてボリュームを出し、なおかつ豪華さを演出する」にはどうしたらいいのか?
 ここに至ってようやく「アニメの画面を使えばいいんじゃね?」と思い至るのである。今更。
 もう開発も記事も佳境に迫った時期になって、ようやく「アニメの画面を使いたいんですけど……」と相談して、連絡したのがなぜか徳間書店ではなく、「らいとすたっふ」という田中芳樹事務所だったのは今でも謎である。
 ともあれ、「ボーステックの山田さん」経由で、らいとすたっふの連絡先を教えてもらい、なんと「アニメ版銀河英雄伝説のフィルムを取りに来てほしい」という話になった。
 後々まで使い倒すことになるのだけど、らいとすたっふ様より提供してもらった「アニメ版『銀河英雄伝説』のフィルム」を、中野の田中芳樹事務所で、アニメ版のフィルムを一旦持ち帰って、編集部で使いたいフィルムを切り抜いて確保して、残った分を返却するということが許されたのである。
 ……今にして思うと、1994年とはいえ、なんで「アニメ版のフィルムを持ち帰るのが許された」のか謎だ。そもそもアニメ会社とか徳間書店とか版権大丈夫だったのだろうか? もちろん毎号©表記は指定されたどおりに入れていたし、徳間書店もらいとすたっふも©表記は必ず入れた。
 でも、未だに「ゲーム雑誌の記事にアニメ版のフィルムよく提供してもらえたよなー……」とびっくりしていた。
 ちなみに、職権濫用として田中芳樹先生にサインもらったりした。御本人には逢えなかったけど(そこまで図太くない)。
 こうして「よしアニメ版の画像があれば、最低限付録としての豪華さは保てるだろう」と腹をくくって、16ページ分の台割を切った。
 この頃のLOGINはまだ経費に鷹揚だったので、かねてより思っていた「付録の表紙には貸しポジ使いたいなー」というのも許された。
 貸しポジというのは、今で言う「写真素材」で、当時は世界中の貴重な景色や城塞などの画像フィルムをポジフィルムとして貸し出してくれるサービスがあったのだ。
 その店舗に行って、写真を選んで貸してもらう。
 LOGINでも2-3個ぐらい「貸しポジ屋さん」と契約を結んでいて、そのうち一つに行って、ドイツのシュトゥットガルトのエッケン湖畔のライトアップされた新宮殿の写真だったと思う。もちろん原作の「新無憂宮(ノイエ・サンスーシー)」にちなんだ。
 ちなみに一枚貸し出すのに商業素材としての権利も含めて5万円だ。
 今なら数千円で買える写真素材が、当時はされぐらいした。インターネットやDTPによって起きたダンピングの一つだろう。
 さすがに2週間で16ページを企画立案して一人でビジュアル集めて原稿全部書くのは大変だった、それだけでなく本誌の「三国時代」やNEWソフトの方の銀英伝の記事もひつようだったし、あとなんか攻略記事も書いていたと思う。当時は自分でも不思議なぐらいモチベ高く仕事していたと思う。
 ともあれ、1994年12月9日の一週間前ぐらいにLOGINが発売され、金曜日に『銀河英雄伝説Ⅳ』が発売された。
 今のようにネットのない時代だったけど、それでも読者からのアンケートハガキなどで熱気は伝わってきたし、手応えはあった。
 そして実際に9日の金曜日の翌週月曜日にボーステックの山田さんに売れ行きを聞いたら「初期ロット3万本が売れきれて、今急いで次のロット刷ってもらってます! パッケージが間に合わないので紙製のに切り替えました!」という嬉しい反応が返ってきたのだ。
 当時のPCゲームの多くはプラスチックの大きなパッケージにフロッピーディスクを梱包していて、発売ロットごとに用意されていたのだが、『銀河英雄伝説Ⅳ』は、初期ロット3万本と多めに作っていたにも関わらず、あっという間に売り切れてパッケージの発注が間に合わないという、わりと快挙な事態を起こしたのである。
 そのためPC-9801版の『銀河英雄伝説Ⅳ』は初期バージョンがプラスチックの箱だが、それ以降のバージョンが紙製の箱になっている。初回生産分が3万本でも足りなかったのだから、当時のPCゲームとしては異例の売れ行きだったのだろう。
 1週間後ぐらいに「編集部用」として10本分の『銀河英雄伝説Ⅳ』が届いたが、それらは紙製パッケージの方であり、あっという間に編集部やファミ通の銀英伝ファンの編集者に配られていった。
 ともあれ「提督プレイ」が好評であった『銀河英雄伝説Ⅳ』の売れ行きは、『三國志Ⅷ』や『信長の野望戦国立志伝』いろいろなゲームで「武将単位のプレー」ができるようになったりするなど、業界に与えた影響も大きかったし、ユーザーからの評判も未だに『銀河英雄伝説』シリーズ最高傑作と言われている。

 ゲーム内容や当時の評判についてはだいたいここで述べられている。

https://w.atwiki.jp/gcmatome/pages/4067.html

 私だとほぼ当事者なのでバイアスかかりまくりだしね。
 その提督プレーしていての臨場感もよかったが、地味に私が「ここがエライな」と思っている部分に、提督として艦隊を率いる場合「副官や参謀などの幕僚をつければ能力値に補正が貰える」という部分で、この「自分の能力が低くてもフォローして貰える」という要素が、「今度はこのマイナー提督も使ってみよう」というモチベーションにつながっていったのは、密かに「ボーステックの山田さん」の優れたディレクションだったなと思っている。
 その後『銀河英雄伝説Ⅳ』の追加きっととして『銀河英雄伝説Ⅳex』が発売されて、反乱や敵陣営に寝返るなど、リップシュタット戦役や同盟軍の内戦などが再現されるようになって、ますますファンとしてはたまらない作品になっているが、それについてはその後発売される『銀河英雄伝説Ⅳ』が事実上『銀河英雄伝説Ⅳex』同梱になっていることからも好評なのがわかる。
 ただ、これがこのままめでたしめでたしになればいいんだけど、その後「ボーステックの山田さん」が独立したかなんかして退職すると、ボーステックの『銀河英雄伝説Ⅴ』はまた戦術ゲームに戻ってしまい、一度、山田さんが戻ってきて『銀河英雄伝説Ⅵ』が作られたが、迷走は否めず『銀河英雄伝説Ⅶ』では、MMO的展開をしたあげくにいろいろ問題を起こして、ボーステック自身がらいとすたっふから版権契約を打ち切られてしまっている。
 私が知っているのは『銀河英雄伝説Ⅵ』までだが、どうにも「Ⅳ以降は瞑想している」というのが否めない。
 ここでもう一つ視点としてあるのが、「ボーステックの外注開発会社」として存在していたマイクロビジョンで、実はここも私が担当していた。
 実際、マイクロビジョンの社長でプログラマーでもある青沼さんを始めとするプログラム技術の高いゲーム会社で、激動の時代を抜けて今もゲーム開発会社として生き残っているのは素直に感服している。
 実際、ほとんど私以外は知らないゲームとして『エクスランダー 青き紋章の騎士団』というゲームは1993年にPC-9801で発売されたにも関わらず「クォータービューで展開されるリアルタイム戦術SLG」という後のRTSを思わせるゲームで先駆的ですらあった。

 ただ、「プログラム技術」と「ゲームのディレクション」はどうにも別らしくいつも「ここは技術は高いんだけどゲームとしてはイマイチだよなぁ……」とはいつも思っていた。
 たぶん、『銀河英雄伝説Ⅳ』以外の『銀河英雄伝説』ゲームが、キャラクター重視ではなく、ユニット単位なSLGになってしまったのは、銀河英雄伝説のファンでセリフ単位までディレクションできた「ボーステックの山田さん」がいてこそだったんだと思う。
 ボーステック以降のコンシューマーゲームの『銀河英雄伝説』がことごとく「Ⅳ以外の『銀河英雄伝説』シリーズのゲームシステム」なのは、たぶんそういうことなのだと思う。
 全10巻の原作のテキストを「自分で解釈してゲームに落とし込む」というのは、言うほど容易いことではなく、それができる数少ない人物であった「ボーステックの山田さん」が、今ググっても名前が出てこない感じに思ったほど報われていなかつたのは、1994年以降衰退していくPC9801市場とともに惜しまれることだったなー、などと回想するのでった。

 あと個人的な話になるが、実はLOGINで単行本として『銀河英雄伝説Ⅳ』の攻略本を出すという企画が実は進んでいた。初版は3万部だったと思う。
 企画書の作り方などを教わっていたり、資料などを集めたりしていたのだが、1995年に私は『三国志新聞』の編纂に加わって、そっちのめり込んでしまったで立ち消えになった。後に私がフリーライターとして独立するのも、『三国志新聞』の成功体験のおかげであるのだが、もしかするとその話がなくて『銀河英雄伝説Ⅳ』の攻略本を作っていたら、もう少しASCIIに対して忠誠心を維持していたと思うし、もしかすると退職せずにそのままKADOKAWAグループにASCIIが吸収されるまでいられたのかもしれない。なんだかんだで、ASCIIもLOGINも好きだったし、『AfterDevilForce』など内部を巻き込んだ企画も多かったし、実はその後独立してフリーライターとなった人々からは嫌われていたので、むしろ独立心は低かった可能性もある。
 ただそれ以上に『三国志新聞』をきっかけに、「外で仕事をする」という野望に燃え上がっていた時代だったし、若さとはそういうものだから仕方ない。
 いろいろな意味で『銀河英雄伝説Ⅳ』は転機になっていたのだなーと、回想する次第である。
 なおこの回想はうろ覚えだし、私の主観でしかない。
 ただ『銀河英雄伝説Ⅳ』もかなりネットの忘却の彼方になりつつあるようなので、あら溜めて当事者に近い視点から書き残しておきたいな、と思ったのであった。

ここから先は

0字

¥ 100

Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?