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紙時代の出版社の思い出話 その3 『版下という今だとPDF1枚で済んじゃうものに関わっていたたくさんの人たち』

 今回はところどころうる覚えのところがあります。ご容赦を。
 というのは、いろいろ編集の仕事を話す前に『版下』というものを説明しなくてはならないのですが、これが印刷工程の中まで説明しなければ意味がわからなくて、当時は別に編集部で印刷までしていたわけではないので、当時の印刷所で見学した話になるんですね。
 その他いろいろ分業があったので、「私がやってした仕事」の範囲を超える工程の説明をしなくてはならないわけです。

 我々のいた頃の雑誌というものは「フィルム製版」という印刷方式を採用していました。当時のLOGINは共同印刷で刷られていたので共同印刷の話ですね。
 まず紙に印刷するには、『刷版』と呼ばれる金属製(当時はアルミだったかな?)のインクをつける原盤が作られるわけです。
 細かい凹凸によってインクが乗る部分と乗らない部分を分けて印刷するわけですね。
 その『刷版』を作る工程で、当時は『製版フィルム』というアナログ写真のフィルムと同じ原理のものを使って紫外線照射によってアルミの上に原稿が反映された凹凸を焼き付けるわけですね。
 原理としては紙ではなくアルミに写真を現像する感じですね。
 そうして出来た『刷版』を輪転機に回してまとめて大量印刷していくわけです。
 この『刷版』の元となる『製版フィルム』の大元が『版下』という紙なわけです。
 ここでお分かりの人は気づくと思いますが前回お話した。

 『色校直しは金がかかる』という話になりまして、『製版フィルム』で『刷版』を作って「試し刷り」をしたあとが「色校」なので、ここで直しが入ると、もう一度『刷版』と『製版フィルム』の作り直しになるわけです。これはペナルティ金課せられますよね……。
 さて、その『版下』というものですが、言ってしまえば「ページが出来上がった姿」を指定したものです。
 いわゆる「編集者」の仕事というのは、雑誌づくりというよりもこのページごとの完成図である「版下づくり」と言ってもいいでしょう。
 今だとDTPで簡単にデザインしてフォント決めて原稿に書き込めばPDFなりなんなりで出力できていいですね😭
 しかし当時はそうはいかなかった!
 まず台紙(版下台紙)とよばれるあらかじめページと同じ大きさで、薄い青や緑で罫線が引いてある「デザインの原稿用紙」を用意します。
 編集者の場合、これを等倍コピーします。この台紙コピーに大まかな「ページラフ」を書きます。どこにどんな画像を入れて、どこにどんなイラストを入れてという、編集者が作りたいページの下書きですね。マンガで言うなら「ネーム」と「アタリ」という工程です。
 そしてLOGINと契約しているデザイナーさんと打ち合わせをして、デザイナーさんに「レイアウト」を組んでもらいます。
 画像がどこにどのように入って、文字が何文字いれるか? というのがこの時点で決定されます。いっぱい文章書きたければ、この時点でラフをきっていないとダメです。

 この時に画面写真やイラストなどの素材が多ければ多いほどイメージの解像度が高くなるので、事前に素材を沢山用意できるかが編集者の腕の見せ所です。
 このときにデザイナーさんは、デザインだけでなく、文字ごとに「写植指定」というものを入れてくれます。
『写植指定』といううのは、当時は印刷するために文字に『写真植字』という方式が使われていたんですよ。
 「写真植字」は今ではデジタルでフォントを指定すればポンと出してくれますが、当時はネガフィルムで指定された自体の文字をレンズで拡大または変形して印画紙に焼き付けたものを使っていたのです。
 そう当時の原稿や見出しは、原稿や見出しの元になる原稿をライターや編集者が入稿した後に、別に「写植屋」が写真植字して出力していたのを版下に貼り付けていたわけです。
 デザイナーさんは、「この見出しはこの大きさでこの字体、原稿はこの字体でこの大きさで何文字」といちいち指定したわけです。
 ですから、この打ち合わせのときに、すでに見出しの文章は決めて居ることが望ましく、見出し部分については変更するとしても文字数をそのまま反映しなければならなかったわけです。
 こうして打ち合わせの後にデザイナーさんが「レイアウト」を作ってくれたら、ここからが編集者の仕事で、画面写真や原稿やイラストなど『版下』の素材を集めるわけです。
 ここまでやってようやく「版下入稿」です。
 当時のLOGINでは「版下」は「印刷所」とは別の所に発注していました。というか当時の出版業界はだいたいそんな感じです。
 とういうのも大手の印刷所は、「フィルム製版」の刷版と輪転機回して製本するのが精一杯で、いちいちページごとに「版下」なんて組んでられません!
 そんなわけで、当時の出版業界には無数の出版社と契約をしている「版下屋」が存在していたのです。
 これが今はほぼまったく絶滅した業種だというから恐ろしい話です。DTPの普及から10-20年ぐらいでほぼ絶滅したんですよ……。
 その版下屋さんの仕事は、まず原稿を当時のLOGINではデータ入稿でしたから、データを「写植屋」さんに送って原稿を写植指定どおりに印字した「写植」を作ってもらいます。
 さらに写植をデザイナーさんのレイアウト通りに貼り付けていき、素材を「版下」として組んでいきます。
 こうして「版下」が「初校」(出版社によってはゲラ刷り)が編集部に帰ってきます。
 編集者はこの初校を赤入れして、文字を直して版下屋さんに戻します。
 版下屋さんは初校を校正通りに写植屋さんに発注して、それを初校の指定通りに組んで「再校」を戻します。
 再校を元に編集者がまた校正をして……。
 LOGINの場合ここで「念校」というものが出ます。
 この「念校」というものは、版下屋さんにとっては「もうこれ以上直すことはないですね? 念のために校正送りますから確かめてください」という意味で、本来は直しは入らない校正です。
 前回も言ったように「もう直さないよ」と言っている「念校」に直しをいれるのですから、もう一工程を版下屋さんにお願いしているわけですから、そりゃあ追加料金とられます。それも特急料金。
 「色校」の次に「念校」直しが経費がかかるというのは版下屋さんに無理を言ってもう一回仕事してもらうことになるからです。
 そりゃこんなもん毎号何百ページもやってたら雑誌潰れますわね。
 そうして「版下」が出来上がったら、ようやく「ビジュアル入稿」(デザインに指定された画面写真やイラストなどのビジュアルの入稿)を共同印刷に送って、編集者の仕事は一段落します。
 ここまで終わってようやく編集者は「下版」といって一段落します。だいたいの仕事は終わった状態です。
 共同印刷では、版下とビジュアルをレイアウト指定どおりに組んで、「フィルム製版」を行ないます。
 こうして試し刷りをして、帰って来るのが「色校」であり「青焼き」とも言われる「最終的な版下」なわけです。
 ここではビジュアルの色味や配置、印刷のゴミなどをチェック……だけのハズですが、ここで直しいれるやつもいます……(はい、追加料金)。
 をして編集長が全ページチェックして「責了」あるいは「校了」となります。この「校了」と「責了」の区別については、実は編集者というより編集長やクライアントとの関係ですので、別に述べるとしましょう。実はヒラの編集には関係ない話です。
 ……でさぁ。
 ここまで延々と書いてきたじゃないですか?
 今はこれらの作業全部PC上でPDFにまとめるだけでできちゃうんですよ……。
 そう、1990年後半から2000年代にかけて、DTPが各出版社にも印刷所にも当たり前の時代になっていくにしたがって、「レイアウト系のデザイナー」や「版下屋」や「写植屋」はほぼ絶滅しました。
 ほぼすべての出版社がデータのやり取りだけで印刷所に入稿できるようになったので、これらの「紙による版下づくり」に携わる人々が仕事を喪っていったのです。
 ほぼ10-20年の間に、たぶん数万数十万人規模で仕事がなくなりました。
 実は1990-2000年代から出版不況と言われましたが、そのアオリを食らってどの出版社もDTPによる経費削減と人員削減によって、関連会社をどんどん切っていったのがこの時代でもあります。
 技術の進歩に伴う大失業と大リストラが、紙からDTPに移る過程で行われていたわけです。
 このあたり、インターネットが普及する前だったので、炎上とかネット運動とかにはならなかったのですが、いろいろとエグい規模で人が切られていった時代でした。
 まあ、確かに以上に挙げた紙の版下作業が膨大な手間と時間と人員と経費がかかっていたのは事実ですが、それがまとめて切られて行き、それらの工程や作業や技術がほとんど失伝してしまっているというのも惜しいものがあります。
 なので、うろ覚えであり、編集者としての仕事の範囲外だったのですが、「紙の版下」というものについて解説しました。

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