なぜ“Stag”と名乗るようになったのか
これは、なぜ僕が“Stag”という名前で自分を呼ぶようになったのか、という話。
ひとつの言葉だけでは語れない内面の層の中で、
僕はどんな感情と構造の上に立っているのか、描いてみたかった。
本格的に話に入る前に、いくつか整理しておきたいことがある。
すでに投稿したいくつかの文章を読んでくれた人の中には、
「結局この人は、どんな性癖なんだろう?」と、
表現の曖昧さから、そう思った人もいるかもしれない。
まず、僕はStagだ。
その一言で説明できるなら、きっと楽だったと思う。
でも人間の内面は、そんなに単純じゃない。
たくさんの感情と記憶、経験が絡み合った存在に、
ひとつの単語だけを貼ってしまうのは、あまりにも乱暴だ。
だから、できる限り正確に、自分のことを言葉にしてみたいと思ってる。
僕はかつて、自分のことをBDSMシーンの“ドム”だと呼んでいた時期があった。
でも、それは長くは続かなかった。
あの呼び名すら、自分にはしっくりこなかったし、
今でもその言葉を使うとき、どこかためらいがある。
千人いれば千通りの姿があるように、
性癖って、構造じゃなくて内面から滲み出るものだと思ってるから。
これからの文章の中でも、“Stag”“Vixen”“Hotwife”“Cuckold”といった言葉を使うことはあると思う。
でも、その言葉たちが、すべて僕自身を表すわけじゃないということを、最初に伝えておきたい。
Stag & Vixen ― その中にある哲学
Stag & Vixenは、一見すると「パートナーを他人と共有する」という行為の構造に見える。
でも、本質はまったく違うところにある。
この関係は、ただ身体を開くことじゃない。
感情の中心はしっかりと閉じたまま、その上に感覚の開放が設計されている。
“Cuckold”という言葉を聞いたことがあるかもしれない。
日本や韓国では、「NTR」「招待男」なんて言葉でも呼ばれたりする。
でも、僕はそういう言葉で自分を説明しようとは思わない。
たとえ行為が似ていたとしても、そこにある感情の構造はまったく別ものだから。
これは、“Hotwife”と“Vixen”の違いを見ても、はっきりする。
Hotwifeは、自分から他の男性を探して、
パートナー(夫)はそれを支えたり、静かに見守ったりすることが多い。
でもVixenは違う。
彼女は関係の中で、あくまでStagと結ばれたまま、自分の選択をしていく。
ときにはsubmissiveな性質を見せることもあるかもしれない。
けど彼女は、いつだってStagの中心にいる存在だ。
一人のための心、みんなのための身体
この構造を、ひとことで言い表すなら、
僕はよくこう言う。
「一人のための心、みんなのための身体。」
Stagは、ただの観察者じゃない。
彼は設計者であり、守る者であり、関係の方向を整えるディレクター。
感情は独占する。
身体は開く。
でも、そのすべての流れは、自分の視線の中で進行する。
安心と緊張。
快楽と保護。
その矛盾したものを、同時に操らなきゃいけない。
それがStagの役割であり、責任だと思ってる。
僕を定義しきれない言葉たち
Cuckoldであれ、S&Vであれ、あるいは“招待男文化”であれ——
ただ「女性を他人と共有する」という行為だけで、
すべての関係を一括りにすることはできない。
文化が違えば、そこに宿る感情の質も変わる。
そして、同じ言葉の中にも、人それぞれの全く違う指向がある。
だから、いくつかの単語で、自分を説明したくはない。
でも、もしこの文章を読んでくれた誰かが、
僕の葛藤や、僕らの在り方を、
少しでも理解してくれたとしたら——
それだけで、書いた意味はある。
それが、僕がこの文章を書いてる理由なんだ。
